神様にお願いした10秒間

青いひつじ

第1話


僕の体が、手放された風船のようにゆっくりと浮かんでいく。泣いているお父さんとお母さんの姿が見えた。空を手でかいて下に降りようとしても、体はどんどん浮かび上がった。


「お父さん!お母さん!」


叫んでみたが、僕の声は届いていないようだった。



はっきりと覚えている。あの夜は強く雨が降っていて、長靴の中まで水が入ってきた。濡れた肌に触れる空気は嫌な温かさだった。僕はお母さんと手を繋ぎ横断歩道を渡った。青が点滅していたので小走りで。『急げー』とお母さんは笑っていた。横断歩道を渡り切り、向かい側に辿り着いた時だった。ぶぉんと、全てを吹き飛ばすような風が吹いて、手に持っていた傘が飛ばされた。自分で選んだ黄色の花柄の傘。僕は繋いでいた手を離し、空を舞う傘を追いかけた。その時の僕には、傘しか見えていなかった。


「あ、しまった」 


あの瞬間のことを思い出しているうちに、体は病院の壁とガラス窓を通り抜け、あっという間に、深い青色の空の中まで来てしまった。

僕の心は今、驚きと小さな感動で満ち溢れている。これは僕が子どもの頃に読んだ物語と全く同じ展開だったからだ。その物語の主人公は、悪さばかり繰り返していたから、たしか下界送りになっていた。僕は小さくなる街を見ながら、どうか上界に行けますようにと両手を合わせた。



目が覚めると、ふかふかのベッドの上だった。

しかし、起き上がると柔らかい羽毛が全面に敷き詰められていることに気づいた。僕が眠っていたのはベッドではなく床だった。目の前には同じように横になる大きな背中があった。

ぽりぽりとお尻をかくと、茶色い瓶を口に咥えた。そして僕の存在に気がつくと、『よっこらせ』と体を起こし、あくびをして、あぐらをかいた。ツルッとした頭に、白い髭を蓄えたおじさんだった。


『やっと起きたか。これだからガキは』


最悪だと思った。僕は一瞬にして、自分がどこに辿り着いたのかを理解した。


あの物語の主人公は、行動を改めることにより上界に上がることができた。僕はとりあえず、背筋をのばし正座をした。

おじさんはツルツルの頭を指で掻きながら、丸い机の上にあった1枚の紙に目を通した。



『ほー、まぁこの年齢にしてはいい評価なんじゃね?転生先もそこそこ良さげだぁ』


「転生先‥‥?あれ?‥‥ここは‥‥」


『あ?上界だ』


つぎはぎの布を羽織ったおじさんは、『俺、神様だから』と親指を立て笑った。前歯4本しかなく、そのうちの1本はキランと銀色の光を放ってみせた。


絶対嘘だろ。と、僕は思った。


「あの、僕が子供の頃絵本で見た神様とはとても違って見えるのですが」


『子供の頃って、今も子供だろ。お前さん何歳だ』


「5歳です」


『神様にだって色々あんだ。真面目な奴もいれば、呑気な奴もいる。俺みたいに怠惰な神様だっているさガハハハハ』


「どうせなら真面目な神様に会いたかったなぁ」


『なんだって?』


「いえ、なんでも」


『んじゃあ、そーゆーこった。お前さんにはこれから転生先に行ってもらう』



このおじさん曰く、これから僕は転生先に送り出されるらしい。しかしその前に、僕にはひとつだけ叶えたいことがあった。



「質問があります」


『なんだ』


「最後にお母さんや、お父さんにメッセージが送れるというのは本当ですか?」


読んだ絵本では最後、主人公が両親に手紙を送り終わっていた。


『‥‥できる。しかし、お前はできない』


「どうしてですか!?」


『中界に手紙を送るにはポイントが必要なんだよ。人生で積んだ徳がこの世で還元され、そのポイントを使うことができる。しかし、お前は手紙を送れるほどのポイントは持っていない』


「そんな、この世界にもポイント制があるなんて‥‥僕のポイントはいくらですか?」


『10ポイント。せいぜい10秒何かできるくらいだな。手紙を送るには100は必要だ。とっとと諦めろ』


「10秒‥‥10秒で何ができるんだろう」


『できることなんてない。だから諦めろ。そもそも転生したら、昔の記憶なんかは全部なくなるんだ』


「でも、どうしても、伝えたいことがあるんです。そうじゃないと、お母さんがずっと後悔して生きていくような気がして」


『だめだ。世の中には、どうにもならないことがある。いや、その方が多いんだ。いくら子供の願いでも、できないものはできない』


「‥‥けち」


『なんだと!そもそもお願いごとをする時は、チップを渡すもんだろうが!』


「子供にチップを要求するなんてサイテーだ!」


『チップ知ってんのか?』


「海外行ったことあるからね」


『最近のガキは生意気だな』



僕は諦めたふりをして、もう一度少し甘えた声でお願いしてみた。お父さんに謝る時使っていた必殺技である。


「どうしてもだめですか?」


『だめだ。申請するものめんどくさいんだよ。手続きとかあるし』


「そーなんだ。どの世界も変わらないね」


おじさんは『出発の時間まで待ってろ』と言うと、また横になりお尻をボリボリとかいた。僕も隣で横になり両手を頭に回し、ずっと続く白い空を眺めた。


『お前さん、両親との記憶で思い出すものはなんだ』


「んー、なんだろう」


楽しい思い出はたくさんあった。お父さんに怒られたこともたくさんある。

しかし、ふと頭に浮かんだのは、お母さんと並木道を歩いたある夏の記憶だった。


「夏の日、お母さんと散歩してたんだ。そしたら風が吹いて、お母さんの帽子が木の上まで飛んでっちゃって、でも、僕もお母さんも届かなくて取れなかった」


あの後、お母さんはその帽子を少しの間眺めて『行こっか』と僕の手を引いた。ジージー蝉が鳴いていて暑い夏だった。帰りにアイスキャンディーを買って一緒に食べた。

帰り道、僕はお母さんの人差し指を握りながらその横顔を見て、大切な帽子だったんじゃないかなって思ったりした。少しだけ悲しんでいるように見えたから。



『ふーん』


おじさんは興味なさそうに返事をすると、瓶に入っている何かを飲み干した。少しするといびきが聞こえてきて、覗くと、幸せそうに眠っていた。僕も横になり空を見つめた。だんだん呼吸が深くなり、一定になり、ゆっくりと空に幕が下りていった。








『けいちゃーん、お待たせ。ごめんね遅れちゃって』


「大丈夫だよ。はるか、おじいちゃん達に会えて喜んでたろ?」


『もう大喜びよ。まるで私がいじめてるみたい!ま、預かってくれてよかった。こうしてけいちゃんとゆっくり過ごせるから』


「2人っきりでデートって久しぶりだなぁ」


『はるかが生まれてからだから、3年ぶり?!』


「ははは、そうかも!」



久しぶりの妻とのデート。僕はそっと手を繋いだ。この道は、秋になると紅葉が色づいて、燃えるような幻想的な景色が広がることで有名だ。でも僕は、夏のみずみずしい緑色の方が好きだった。


『暑いけど気持ちいいねー!』


「帽子似合ってる」


『へへ、麦わら帽子買っちゃった』


人も少なく静かな道。向かいから、女の子とお母さんが手を繋ぎながら歩いてきた。片手にはソフトクリームを持って、女の子はそれに夢中だった。


『はるかより少し大きいくらいかなー。かわいいね』


「ね」


すれ違う、少し手前で風が吹いた。女の子がかぶっていた白い帽子が、風に乗り、空を舞った。

僕は思わず手を伸ばし、道路に飛ばされそうだった帽子を掴んだ。


『けいちゃん、ナイスキャッチ!』


お母さんと女の子が小走りで近づいてきた。


『ありがとうございます!お兄さんかっこよかったね』


『ありがとー』


女の子は、僕の人差し指をギュッと握った。お母さんはペコペコと頭を下げ、女の子は何度も振り返り手を振ってきた。


僕はまた、妻の手をとり並木道を歩いた。なんとなく気になり振り返ってみると、ふたりの姿はもう見えなかった。



『どうかした?』


「なんだか懐かしい気がするなぁ」


『この道が?』


「ううん、なんでもない」






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