第5話
帰りは塾が終わったら、途中までメグと歩く。メグと知り合ったのは小学校時代の塾で、中学からは一緒の校区になった。その頃から私と潤の事は知っているから、まったく気にした素振りを見せないのが気安いところである。そのメグはまず受験、と決めていて、恋愛はその先らしい。
ちょっと青春を無駄遣いしていないかな、なんてことが言えるのは私が潤と言う恋人を持っているからだろう。口に出したらぺけんと殴られるだろうから言わない。メグは良い友人なのだ。許されるなら親友と呼びたい子なのだ。今日も助けてくれたし、いつでもメグは私の味方でいてくれる。
じゃあね、と分かれた所で私は大きな手に口を塞がれた。
んーんー言っているとメグが戻ってくる気配がして、私は近くの物置に突っ込まれる。そこにはバイクがあって、サイドカーなんて珍しいものが付いていた。洗剤の匂いのするハンカチで口を塞がれて、両手も縛られてそこに座らされるともう動けない。狭いし、脚伸ばせないし、スカート捲れそうだし。
落として来たスポーツバッグだけが気がかりだけど、それも今はどうでも良いのかもしれない。男の人はぶぉんっとバイクにまたがりアクセルを吹かす。どうしよう。これは誘拐と言う奴? 私一応社長令嬢だった、そう言えば。普段潤と一緒に居るから忘れてたけど、誘拐するには結構な獲物だ。物置からびゅんっと出て行くと、編み込みの髪が引っ張られて痛い。
思わず目を閉じてしまったけれど、その最後の映像にメグとバッグが見えたから、それを頼りにしておくとしよう。身体を固まらせた私は初めてのサイドカーが怖くて、そしてその速度が怖くて、目をぎゅっと閉じてしまっていた。
潤の原付の後ろにいるのとは全然違って、怖い。潤。せめてスピード違反で警察に捕まってくれないかな、と思いながら私は足を抱えて誘拐された。
バイクが止まったのは港の倉庫だった。メグがナンバーを覚えてくれていてもフロントにナンバープレートの無いバイクじゃNシステムも使えないだろう。変な絶望感にやっとハンカチを吐き出すと、げほげほ咳が出た。繊維が喉に引っ掛かって痛い。涙目になっていると、両脇に手を突っ込まれてサイドカーから下ろされる。見えたのは同じ学校の学ランの生徒達で、四人だった。どれも解らない顔。否、倉庫の奥にもう二人。
それはあの日私と潤に告白して来た二人だった。
女子の方、まだ懲りてなかったのか。私の質問に何にも答えられなかったのに、こんなことするなんて良い度胸をしている。応援団長の方は何となく居辛い感じで木箱に座っているようだった。こんなことしたら内申点だだ下がりで進路にも響くだろうに。否、ここで私の口を塞げばいいと思ってる? もしかして殺人目的の誘拐? 潤ってばやりすぎた?
頭の中をくるくる回って行く色んな推測。男四人も応援団の人だ、とやっと気付く。女子は私が転げているのを見て笑った。悪い笑みだ。根性の捻くれた、悪い笑い方だ。
多分女子が応援団長をそそのかしたんだろう。短髪で長身、人を威嚇する身体つきでありながら応援団長の手紙は真摯で丁寧だった。だからこそ本当はこんなことしたくなかったと見える。勘でしかないけれど、私にはそう見えた。むしろ早々に後悔しているような。でももうやってしまった事は、どうにもならない。
「……身代金は出さないよ、うちのお父さん」
「ああ、そう言えばあんた社長令嬢だったわね。学校にも多額の寄付をしてるって聞いた事があるわ。大丈夫よ、別にこれは身代金目当ての誘拐じゃないから」
だろうな~、嫌な予感がするな~、警察間に合ってくれないかな~。
たらりと汗を垂らした私は、はーっと息を吐く。先延ばしを。何かされるまでに先延ばしをしなければ。そうすればきっと、会社があちこちに設置してる防犯カメラで私を見付けてくれると信じてみる。
「……私が言った質問の答えは出たの?」
カッとした女子に腹を蹴られる。ローファーだったから結構痛い。でも私も小学生の頃だけは少林寺をやっていたから、とっさに腹筋を締めることは出来た。しかし容赦ないな。そんなにあの質問に答えられなかったのが屈辱だったのだろうか。大したことは聞いていないはずなんだけれど。
私と潤の何を知っているのか、なんて。
簡単すぎて吐き気がするほどなんだけど。
恋人がいる相手からそれを奪おうとする、人、それ略奪と言う。なんちって。
「どっちにしろあんたの方から崩してやれば良いと思っていたのよ! 何よ、いつもべたべたして気持ち悪い!」
「べたべたしてくるのは潤だしその位置になり替わろうと言うのなら気持ち悪いのはあなたになるんだけど」
「ッ!」
「げふっ」
また蹴られた。痕に残らないような場所を狙ってる辺り、本気度が伺えるな~。でも私は痛みには屈しないのだ。ふう、と息を吐いてみると、その落ち着きに女子は応援団の一人を睨みつける。
「本当に見られなかったんでしょうね、ここに来るまで!」
「そ、そんなこと言われても俺達だって誘拐なんかしたことねーし……バッグ落として、女子生徒がそれ拾ってたぐらいだ」
「バッグは落としてきたわけね。じゃあスマホの探索は使えない」
ほ、っとした顔になる女子。そうかスマホと言う手があったかと気付く私。実はスカートのポケットに入っている。潤の原付で登校するようになってからは、スカートを長くしていたのだ。そうするとポケットが復活するから、サイレントモードでも分かるようにスカートのポケットに入れている。殆どの女子はセーラー服の胸ポケットだ。だから私も持ってないと思われたのだろう。これは良いミスリードだ。
それにしても蹴られたお腹が痛いなあ。絶対明日まで響く奴だよこれ。それにしても身代金目当ての誘拐じゃないって言うなら何だって言うんだろう。まさか婚約破棄させるため? だとしたらどうやって? 周りには四人、否、団長を入れて五人の男。嫌な予感がする、嫌な予感がする。女の子をお嫁に行けなくさせる方法。
にたあっと笑った女子が、私の髪を掴んで顔を持ち上げる。せっかく潤に編み込みしてもらったのに乱れちゃうな、なんて現実逃避をする。
「許嫁ッてさあ」
「……」
「他の男に犯されても、言い張れるのかなあ?」
やっぱり、そー来るよねえ!?
「やだっやだやだやだー!」
私をサイドカーから出した男子が縛られた両手を上げさせる。ちょっと申し訳なさそうな顔をしているのは全員だ。全員女子にそそのかされて、ちょっと引っ込み思案な顔になっている。それは団長もだった。出来ればしたくないけれど、もしそれで私と潤の許嫁の関係が途切れたら、自分の元に嫁に来るしかなくなる。そう思っているんだろう。
でもお父さん達はもしも私にここで何かあっても、婚約関係は持続させるだろう。会社の為の関係だからだ、元々。気の毒だったが、で済ませる。多分。
あははははっと笑いながら女子は携帯端末の動画で私を撮っている。リベンジポルノって言うので、私の動画を晒すつもりなんだろう。ワールドワイドウェブで。世界単位で、私の痴態を晒すつもり。そこまで悪いことしてないと思うんだけどな、私。
だって私と言う恋人に無理やり潤との別れを迫ろうとしていたんだよ、彼女。私が嫌だって言う前に潤が行動で示した、それだけだ。私と別れるつもりはない。だって許嫁だから、ううん、愛しているから? 分からない、分からなくなってくる。怖い。スカートを捲られた。中学の時から潤の家に置いてあるイチゴ柄の下着が晒される。気持ち悪い。怖い。潤には平気なのに。抱き締めて眠られても朝までぐっすりだったぐらいなのに。
団長、と私の足を押さえつける二人が、声を掛ける。下着を下ろさせるつもりなんだろう。その役を譲る意味って何? どうせみんなで見るつもりなんでしょ? 嫌だ。涙が出る。やだやだやだ、叫んでみるとまたハンカチで口を塞がれた。手首を縛るロープも痛い。嫌だ助けて。
潤。
潤、助けて!
「マナ!」
少林寺の道着のまま、私を呼んだのは潤だった。半開きだった倉庫のドアを全開にして、光を入れる。うっ、と団長が狼狽えて、それは団員四人にも伝わった。ぽかん、としているのは女子。それに向かって弾丸の如く走って来るのはメグだった。
ガンッと私のスポーツバッグに入っていたのだろうハーフヘルメットで頭を殴って携帯端末を没収、撮影を止めさせる。
それと殆ど同時に運動靴で私を抑え込んでいた団員達を蹴り飛ばす潤。勿論見えないよう腹に。そして呆然としていた団長が正気を取り戻す前に、その腹に膝を入れた。げぽ、と昼食を吐き出すってことは胃に入れたんだろう。あれは痛いし苦しい。あれ? 実際痛くて苦しかったのは私じゃなかったっけ?
蹴られて、下着を晒されて。ふー、ふーっと口に入れられたハンカチが音を立てる。全員を伸した潤が、それを取ってくれた。手を縛っていたロープも外す。
そして抱きしめてくれた。
マナ、と呼ばれる。
全然気持ち悪くない、潤の声。
「わああああああん潤んんん!」
「遅れて悪かった。原付が思ったよりのろくて」
「ちょっと後ろに乗ってた私の所為にするつもり、河原君。ナビしてあげたでしょ。多分スマホ持ったままだから大丈夫だろうって走り出そうとするあんたを宥めながら。走るより原付って言った私は偉いと思うわ」
「う、う、メグぅ……」
「ライブ配信になってなかったのが不幸中の幸いね。男子の顔はモザイクにするつもりだったんでしょ。これ持って校長室行けば、全員退学でしょうよ。大丈夫よ、マナ。大丈夫、大丈夫」
ぽんぽんと頭を撫でられて、その手を握る。夏服のセーラーには目立つロープ痕に、顔を顰めて見せた。テープを取り出した潤が、私の手首にテーピングしてくれる。腕時計はしばらく我慢だけど、構わない。
「痛くないか?」
「平気」
「違う」
とん、と胸を押されて、あ、と声が出る。
「こっちだ」
心。
心も身体も傷付けられた。
ぶわわわわわっと涙が出て来て、止まらなくなる。
私は潤のものなのに、潤のもの一つ守れない。
弱いな、私。
でも、女の子だもん。
好きな人にぐらい、泣き付いたって良いよね。
「怖かっ……た、怖かったぁ」
「うん」
「襲われるって、思ったッ。助けなんて来ないと思ってた、あ」
「俺が間に合わない訳ないだろ。いつもそうだった。今回はちょっと遅れたが、それは悪かった。下着見られて嫌だったよな。指掛けられて怖かったよな。ごめんな。俺がもっと早く駆け付けてやれれば良かったのに。ごめんな……」
「ひっ、ひぃ……」
「はいはい二人っきりの空間はそろそろ止めにして。警察来たよ」
遠くから響く、ふぁんふぁんふぁんふぁんと言うサイレンの音に安心するのは、これっきりにしたい。思いながら私はセーラー服を整えて、入り込んで来た刑事さん達に保護された。大企業の社長令嬢って事で大部隊で来てくれたらしいけれど、箱を開けて見れば高校生六人しかいなくて、呆気に取られてもいたようだった。
でもメグが見せた撮りかけの動画をみると悪質と判断してくれたのか、男子は全員が十八歳以上なのを確認してから手錠を掛け、女子は十七歳なのでロープで腰を縛って連行された。じろりと涙目で睨まれて、それから隠すように潤に抱き締められる。
たぶん彼女だって本当に潤が好きだったんだろう。でも潤には親に決められた学校公認の許嫁がいる。最初は許嫁の方から婚約破棄を言い出させようとした。それで駄目だったから、婚約者としての立場を失くしてやろうとした。だけどそれは無理だった。無駄だった。人生を賭けた恋は破れた。
でも私だって悪くない。潤が来てくれなかったら強姦被害者にされるところだったし、潤が私を好きなのだって事実だ。私も潤が好き。それで完結している関係に罅を入れようとして来る人は、脅威でしかない。だからたっぷり見せ付けてやったはずだったのに、それは逆上させるだけだった。
そこはちょっと潤が悪い。自分の事を好きだと言っている女の子の前で、違う女の子とディープキスだ。私だったら失神してる、潤がそんなことしたら。それはこの恋の大きさ故。彼女もその恋の大きさ故の過ちだったと、いつか思ってくれることを願うばかりだ。
いや本音はすぐにでも転校したいし引越ししたいけれど。でも彼女だって反省してくれるだろう。少年院とかに入るのかな。そこで緩和ケアとかあれば良いんだけど。二度と会いたくない顔になったから、出所してくるまでにはお父さんの会社に入って自分の部屋を持とう。
それが唯一の自衛方法だと思えば、なんで襲われた方が逃げなきゃならないんだと思うところもあるけれど、確実な逃げを取らないと危険なのは自分だ。私は私を守る。潤が好きな、私を守る。私が私を守ることは潤を守る事にも繋がるのだ。そう思えば、悪くない答えだと思う。
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