第3話
「清洲さんって河原君の彼女なの?」
「? ううん、許嫁だよ?」
「今どき古臭いなー。恋愛感情とかあるの、って意味」
「そりゃあるよー。生まれた時から一緒だもん」
クラスの女の子にずばっと訊かれて、私はあははははっと笑って答える。そう言う意味じゃなくて、と言いたそうだったけれど、メグが彼女の肩を叩き、ふるふるっと頭を振った。何かに納得した女子は自分の席に戻っていく。写真を貼られて二日目、三時限の休み時間だった。
どうやら私と潤の関係は一歩進んだものとして把握されているようであり、要するにえっちぃ仲だと思われているらしい。それは流石に無いだろうと思うのだが、高校生ともなるとリアルな話のようだった。中学の頃なんて一年でピアス空けてる子がいてそれがかっこいーとかオトナっぽーいとか言われていたのに、高校ともなると恋愛かあ。しかも肉体関係。
いずれ持つことになるだろう所帯や子供の事を考えると、私にもそれは結構リアルな話だった。先日押し倒されたらどうする云々かんぬんの話もしていたけれど、そう言う意味だったのかとやっと納得する。まあ潤がそんなことをすることはないだろう。
でも子供の頃から少林寺拳法習ってる潤に本気でそんな事されたらどうなるだろう。うーんと考え込んでいると、チャイムが鳴った。いかんいかん、数学の準備。物理から逃げる為だけに選択文系にしたけれど、数学はあるんだから詐欺だよなあなんて思う。数学はいつもテストでぎりぎりだ。私は社長に向いてない。社長夫人になろう、思って昨日から潤のうちに泊まり込みで和食を教えてもらっている。きゅうりの漬物とか美味しい。あとそれにトマト入れると酸っぱくて堪らなくなる。割と好き、酸っぱいの。
言ったらつわりの時にも食べられそうで良いわねえ、とおばさんには言われた。おばさんのつわりの時はどうだったんですか、と聞いてみると、食べづわり、と言うらしく、何か食べてないと堪らない状態だったので、トマトを延々と食べていたそうだ。だから今でもちょっとトマトはね、と遠い目をしていた。私は何つわりかなあ。言ってみると、十年後には分かるわよ、と撫でられた。十年は長いなあ。
帰って来たおじさんと道場帰りの潤に、出したのは豚汁だった。何でも入ってるからまず失敗はしないだろうとのことで、確かに材料を切るのは大変だったけれど煮込むだけだったから楽なレシピだった。豚肉、じゃがいも、人参、糸コン、まるで東洋風のカレーだな、と思ったら、そうかもね、と笑われた。味は悪くなかったと思う。潤もお代わりしてくれたし。
この家族の中に入るのは違和感がなくて、もう二十年近いお付き合いなんだもんなあとしみじみしたりした。お父さん同士はもっとだろう。一緒に脱サラして今の会社を立ち上げて、今は共同で社長業をやっているぐらいだ。そして子供同士を許嫁にして、やがて私達の子供が社長になるんだろう。私も高卒で入社することになるんだから頑張らなくちゃな、と思う。そして貯金を溜めて結婚資金にするのだ。夢のある話である。
社長予定は流石に大学に行ってもらう事になっているけれど、その資金もうちで半分出すことになっている。未来への投資だ。父達二人が決めた事。
客間でパジャマに着替えていると、コンコン、とノックをされた。どうぞ、と言うと、ドアノブを回したのは潤だ。流石に潤のベッドには寝られない体格になったから客間なんだけど、どうしたんだろう。こて、と首を傾げると、ぱんつ、と言われる。
「パジャマからはみ出てる」
「あちゃ、ごめん」
「それでマナ、明日はどうするの?」
「お弁当の作り方習ってから、家に戻って、教科書替えたりするつもり。そしたら朝ごはん食べに来た潤と時間も合うかなって」
私達の家はそう離れていない。幼馴染のご近所さんだ。それも二人が同時に売りに出されていた家を買ったからだけど、貯金で買えたと言うのだからすごい。ニコニコ現金一括払いが一番安く付くのを知っている買い方だ。賢い。流石ダブル社長。
そう、と言った潤が、不意に近付いて来る。それからぎゅっと私の両手を握って、すり、と懐いた。
「明日は家でご飯食べてって。そしたら原付でマナの家まで送るから、そこで教科書替えて」
「髪巻く時間がないよ~……」
「一日ぐらいストレートでも、マナは可愛い。なんなら編み込み作ってあげる。母さんで散々練習したんだ」
「そうなの? 明日体育あるもんね、その方が良いかな……」
「絶対良い」
「潤の絶対なら大丈夫だねっ」
「ねえマナ」
「ん?」
捨てられた犬みたいな声で、潤が私を見上げてくる。
「俺も一緒に寝ちゃダメ?」
……。
いやいやいやいや。
「さすがに客間のベッドは狭いよ。潤のベッドだって狭いからここで眠るんだし」
「くっ付いて寝れば大丈夫だよ」
「駄目。大丈夫じゃありません。狭くて悪い夢見るよ、落としちゃうかもしれないし」
「そっか」
しょんぼりした潤の頭を、なでなでする。意味はないけれど、両手にすり付く頬は離れた。ちょっとじょりじょりしていたのに気付いて、はー、と私は息を吐く。そして今度は自分から、潤の頬に触れた。きょとん、とされて、可愛いな、なんて思う。こんなに可愛いのに。
「お髭生えてる」
「あ、もう夜だから」
「夜になるとお髭生えるの?」
「朝に剃るからね」
「そっかあ」
へらっと私は笑った。
「潤もすっかり大人なんだねえ」
ぎゅっと抱きしめられて、髪にすりすり懐かれる。でも結婚は出来ない歳だって言うんだから、日本の法律は不思議だ。この二歳の差は何。来年にはお互い結婚できる歳になる。入籍はするけれど結婚式はお互い社会に出てからだと言われて来た。そう、言われて来た。
まだまだ知らない事だらけの潤。否、知らないことが増えた潤。豚汁が割と好きとか知らなかった。オムライスが好きなのは知っている。ぽつぽつと色んな事を知って行かなきゃならないのに、一緒に過ごせるのはあと一年ちょっとだなんて、勿体ないよなあ。
「大人だよ。豚汁にさつまいもを強請らなくなったぐらいには、大人だ。俺だって。だからマナと一緒に寝たい」
「だからそれは駄目。落ちちゃうのも落としちゃうのも嫌だよ、私」
「抱き合って眠れば良い」
「そんなに寝相良くないよ」
「俺が抱える。それでも駄目?」
「だーめ。どしたの、何かあった? 聞いて欲しい事でもある?」
「あるよ。俺はずっとマナと一緒に居たい。愛し合っていたい。許嫁でなくても愛されていたい。言いたいことは、たくさんある。聞いて欲しい言葉は、山ほどある。でもマナはいつも片付けちゃう。『許嫁だから』で済ませちゃう」
「潤? だって私達、許嫁じゃない」
「じゃなきゃマナは俺を愛してくれないの?」
ぐず、と泣き声が聞こえて。驚いてしまう。
え、だって。私達許嫁だから、今日も料理習いに来たんだよね?
許嫁じゃなくなったら潤の事、私はどう思うんだろう?
それは考えた事のない、発想だった。
あんなにキスして抱き合って来た潤の事。
何とも思わなくなるわけが、ない。
「潤、落ち着いて聞いて。私は許嫁じゃなくなっても潤が好きだよ」
「嘘だ! 色んな人から手紙も貰うし、社会人になっちゃうし、俺の事なんかどうでもよくなっちゃうに決まってる! 四年も離れちゃうんだよ、俺達! そんなの耐えられない!」
「潤、」
「だから一緒に寝てよマナ。寂しくさせないで。何にもしないから、抱き合って寝かせて」
ぐずぐずの鼻。くすっと笑って私は少しその胸を押して身体を引き剥がし、かぷっとその鼻を嚙んだ。金髪をびくっとさせた潤は、涙も同時に引っ込める。
「そんなに不安だったの? 潤」
「……うん」
「大丈夫だよ、だって私、潤が嫌いだったらキスしてあんなくたくたになったりなんかしないもん。信じてくれないと嫌だよ。確かに私も許嫁って言葉に腰掛けて潤の事見てなかったかもしれないけれど――」
でも。
「潤はその言葉、ずっと重く受け止めてたんだね。もしかしたら私よりずっと、その言葉に腰掛けて来たのかも。公衆の面前でキスしたり、抱き合ったり。不安じゃできないよ、そんなこと。嫌われちゃうかもって、怖くなるもの」
「怖いよ。今だって怖い」
「でも、抱き合って寝たいって素直に言えちゃうんでしょ?」
「マナは嫌?」
「嫌な人の鼻水なんて舐めません」
「ちゃんと言って」
「好きだよ、潤」
へらって笑うと、潤は私を押し倒す。
ベッドがぎしっと言って、おばさん達に気付かれないかとヒヤッとした。
「卒業する前に、一緒に寝てみたかったんだ。ちゃんと好きなのかどうか確かめたくて、堪らなかった。本当に同じベクトルの好き同士なのか、知っておきたかった」
「だからっていきなり押し倒すのは無しでしょう~……おじさんたちに見付かったらどうするの」
「もう見付かってるよ、多分。この部屋に来る前に、トイレ行く父さんとすれ違ったから」
「ええええええ」
「だから一緒に寝よ、マナ」
「仕方ないなあ……まあ私は潤のこと好きだから、許してあげるけどね」
「許嫁じゃなくても?」
「なくても」
「へへっ」
目元を赤くした潤にちゅっとされる。おやすみのキスだから、それだけだ。舌を突っ込んたり唾液を交換したりはしない。そんな事したら眠れなくなってしまう。興奮して? 恥ずかしくて。ああ、私も潤のこと好きなんだなあ、なんて思ってみたりして。
それにしても許嫁って言う言葉は一種の呪いだな。これからはあんまり使わないようにしていこう。でないと潤も不安がる。私は好きな人を苛めて喜ぶタイプじゃない。なので好きな人と呼ぶことにしよう。昔っから今まで、変わっていないけれど言い方を変えるだけで潤の安心度が変わるのなら。
一生懸命愛するから、一生懸命愛してね。とりあえず学校でのキスはちょっと控えめにしよう。それにしてもあの写真撮ったの誰だったんだろう。あの時のシャッター音は、誰が発したものだったんだろう。
思いながら私は潤と脚を絡めて、胸に抱きしめられることにする。
やっぱり狭いけれど、キス出来る近さって言うのは良いのかもしれない。
ちょっとお髭の生えてる顎をぺろっと舐めたら、ぴゃっとされた。
私の許嫁は、好きな人は、随分可愛らしい人だったようだ。知らなかったことがいっぱいで、胸がいっぱいで、私も潤に抱き着いて目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます