第2話

 二通目の手紙は私へのラブレターで、名前を見れば応援団長の三年生の物だった。そろそろ体育祭も近いから元・応援団長になるだろう彼は、受験生である。こんなことしてて良いのかと真剣に心配になったけれど、まあ、すっきりしておきたかったのかもしれない。

 一年の頃から好きでした、と言われると、たった一年? それで私の何が解るの? と言う気分にもなるけれど、それは言うまい。私と潤は距離がバグっている、とはメグの言葉だ。という訳で私と潤は放課後の裏庭にいる。応援団長先輩と顔は知ってる同学年の子と。四人模様の絶体絶命? 別に困ったことはないけれど。


 女の子の方が溜まった不満を口から吐き出して来る。


「ちょっと、どうして先輩と河原君がいるのよ。私、一人で来て欲しいって手紙に書いたじゃない」

「お、俺も、この二人が同席とは聞いていない。清洲さん、俺は何かあなたに不快を与えてしまっただろうか」

「いーえ、至極誠実なラブレターでした。ありがとうございます」


 ぺこっと頭を下げると、二人はますます訳が分からないという顔になる。顔を見合わせて、ふるふると頭を振り合って、一種異様なものを身でもするような眼で私達を怪訝そうに見て来た。

 と、いつの間にか私より十センチ以上背が高くなっている潤に腰を抱かれる。それからくいっと顎を上げられた。慣れた反射的なそれに、私は目を閉じる。


 ちゅ、とキスをされた。


 ちゅ、ちゅ、と何度も繰り返して、最後は深いディープキス。舌を絡め合って唾液を交換し合って、こくんっとお互い喉を鳴らす。時々離して息継ぎをし、何度も何度も繰り返した。

 気持ち良いな、と思う。私は潤の背中に手を回した。すると潤も私の事を両手で抱いて、身体中擦りつけるようにする。先輩と女子は呆気に取られていたけれど、先に我に返ったのは女子の方だった。何なのよ! と怒鳴る声に、名残惜しく舌を出し合った私と潤は、二人の方を見る。とは言え私はいまだに上手く息継ぎが出来ないので、深呼吸状態だった。それが余計に艶っぽく見えたのか、先輩は私を凝視している。ちょっと恥ずかしいから見ないで欲しい。いつまでも上手く出来ない。はーっと息を吐いて、私はこてんっと潤に寄り掛かった。


 息一つ乱していない潤は、二人の方を見る。


「お二人に対する答えは、これです。俺はマナを愛しているしマナも俺を愛している。こんな姿を晒せるぐらいに、俺はマナを愛している。だから俺はマナを手放さないし、譲ることも別れることもしない。解ったら軽はずみな手紙は控えてくれると助かります――特に女子。君は同学年であることは知っているけれど、それ以外は何も知らない。それなのに俺のすべてを知っているマナに手紙を送るのは、道理が通らないだろう」


 ぶわっと泣き出した彼女は、顔を押さえて走って行ってしまう。先輩もしょんぼりとしながら、私達に背を向けた。

 私はまだ足りない気がして、潤、と呼ぶ。ん? と軽くキスをして見せて、潤は笑った。


「色っぽい顔してる。小学生向けの小説読んでるのに、マナはもう大人だな」

「女の子は十六歳から結婚して良いんですぅー。そう考えたら潤よりずっとお姉さんだよ? 私」

「お姉さんだからキスしたい?」

「キスしたい」

「学校なんて誰に見られるか分からない所で?」

「昔っからじゃない」


 そう、昔っから。昔っから私と潤はこうして来たのだ。誰かにからかわれたり告白されたりするたび、二人でキスしてるのを見せつける。それで諦める子がいれば、学校中に噂をばら撒く子もいた。でもやがて私達のそれで常態になると、誰も手を出して来なくなった。何かあったら頬にキス。転んで泣いたら額にキス。告白されたら口にキス。

 昔は舌なんか入れなかったけれど、そうするようになったのは中学からだ。胸も膨らみ始めた頃、ちゃんと印をつけておかないとな、と潤は私の口にキスをしてきた。教室のど真ん中でだ。とろんっとして何だか遠くから音が聞こえるような気がして、ぼーっとなって絡められる舌が気持ち良くて。


 マナは俺のものだ、と潤は教室中を睥睨した。

 お陰で中学の頃は殆どラブレターとか呼び出しとかはなかったけれど、それを知らない高校になってからは時折受け取るようになってしまって、またあのパフォーマンスをされたらどうしようかと思うほどだ。

 でも気持ち良いんだよなあ、潤とのキスって。


 なんとなく気恥ずかしくてお互いの家ではしないって言う事になっているのがおかしなところだと思うけれど、それでも構わないぐらいだ。それ以外の場所ではどこでも出来る。あ、でも、社会人になったら会社でキスは出来ない。学生の時分は学校で出来るって言うのに、なんかそれもおかしくて、へにゃ、と私は笑ってしまった。潤も笑う。それが嬉しくて、私は潤の首に腕を回して背伸びをした。えへへーとぶら下がると、軽いな、と言われる。


「潤が力持ちになったんだよ。あの原付だって結構重いでしょ?」

「まあな。でも首は関係ない」

「それもそっか。じゃあ全力でぶら下がったら、首、折れちゃうかもね」

「そこまでヤワじゃない。マナこそ俺の全力を受け止めてみるか?」

「潤の全力? っておもおもおもおも、重いよ潤ー!」

「はははっ。マナは可愛いなあ」

「潤の意地悪っ」

「俺以外の誰も近付けなくなれば良いのに」


 ぽつんと呟かれた言葉に、私は首を傾げる。またちゅ、と口唇にキスをされた瞬間、ピピッとデジカメか携帯端末のカメラの音がした。潤は気付かなかったようだけど、結構潤との写真をあちこちで撮っている私には慣れた音だ。誰だろう。何者だろう。何するつもりだろう。

 色んな疑問が沸いたけど、潤からのキスでちっともそれが分からなくなった。気持ち良い。確かに恋愛小説よりは刺激が強くて良いけれど、マイルドなファンタジーだって好きなのだ、とくに、こういう時は。こういう、舌まで突っ込まれて息苦しい時は。


 はたして次の朝、いつも通りに潤の原付で登校すると、昨日の裏庭での私達の写真が黒板に張り付けてあった。

 しかし誰も気にしない。この一年半の間に私と潤が許嫁であることは大概の生徒の耳に触れているし、忘れ物を借りに来たり借りに行ったりするたびに頬へのキスをするのは知れていたからだ。一年と二年はクラス替えがある。知ってる人も多いだろう。だから誰も、気にしない。


「あんた達学校でどこまでしてるの?」


 はーっと息を吐くのはメグだ。教師の目に付く前に黒板から写真を外しておいてくれたのだけど、別に見られて困る物じゃないから気にしなくて良いのに。先生だってほぼ毎日一緒の原付で登校している私達の事なんて、早々に勘付いているだろう。どこまで行ってるかは知らずとも。ちなみにキスまでだ。ちょっとディープで苦しくて、だけどとろんっとして気持ち良いやつ。頬が火照って、瞼がぼーっと涙でくっ付いちゃいそうなやつ。


「だって昨日は二通来てたんだもん、手紙。鎧袖一触だよ」

「いや意味が解らん。二人とも片付けるために手早く恋人がいますって惚気たの?」

「まあ、簡単に言うとそうだね」

「あんた達って子はもー……」

「良いじゃない、私達許嫁だもん。もっともお互いに好きな人が出来たら相談するって決めてあるけれど」

「そんな決まりあったのか。潤君あんたにベタ惚れじゃない。体育のバドミントンだって他人とあんた打たせ合いしないように絶妙な打ち方してるし」

「え、あれってそうだったの? てっきり私達の相性が良いだけだと思ってた」

「鈍いなあ、あんたは本当に……潤君に同情したくなるわ。あんたほどどっかりと許嫁の立場に胡坐掻いていられたら良いのに」


 胡坐を掻く。確かにそうかもしれない。となると飽きられたり嫌われたりしないようにしないとダメだな、これは。もっと寄り掛かり合って生きて行けるようにしないと。あと十年は結婚まで間があるのだ、それまでにお母さんに食事の作り方を――否、駄目だ、潤が和食派だとしたら潤のお母さんに食事の作り方を習っておこう。そして来年には立派な彼女弁当を作れるようになるのだ。

 よし、と鼻から息を吐くと、メグに何がよしだ、と突っ込まれたけれど、担任が来たからすぐに全員が席に戻る。私は今日も遅刻ギリギリではない。大体好きな小説が出た時ぐらいだ、夜更かしするのは。社会人になる前に終わって欲しいシリーズだ。思いながら私はいつものように、ぼんやりホームルームを聞き流していた。


「ああ、俺のクラスにも貼ってあったよ。その写真」


 ぴっと学ランの胸ポケットからそれを取り出した潤にぐったり項垂れたのは、メグも一緒の昼休みだった。メグは購買でパンを買う。メロンパンがお気に入りだ。あのクッキー部分が好きらしい。私もだけどカロリーを知ってからはあまり買わなくなった。

 私達の教室に来た潤は、やっぱり顔色一つ変えていない。クラスのみんなもだ。今更の事なので、どうとも思わない。それで良いのか二年四組。クラスメイトのべろちゅー写真だぞ。多少は疼け青少年達。いやそうされても困るけど。マナだからねー、で済ませて良いのか。良いんだろうなあ。一年の時も潤が私の教室に来てお弁当食べてたし。今日は柴漬けと玉子を交換だ。あーん、とし合うと、メグが呆れたように肩を竦める。


「スキャンダルになったら困るのは二人だよ? 親呼ばれたりしたらどーすんの」

「許嫁ですって言えば良いんじゃない?」

「だからー」

「学校でするのが問題か。となるとどこか隠れ家見付けなきゃならないな。父さん達の会社の使ってない倉庫とか」

「いちいちそんなトコ行くのヤだよー。もう家でのちゅーぐらい解禁しようよ、高校生だよ私達」

「高校生だからエスカレートするかもしれないんじゃないか。危ういなあマナは。俺がいきなりマナの口塞いでベッドに押し倒してスカートの中に手を入れてきたらどうする?」

「身をゆだねる。だって許嫁だもん」


 はーっとメグと潤が溜息を吐いた。メグはともかく潤まで溜息を吐く問題だったかな? これ。


「まあそこまで信頼されてるなら俺は万々歳だけどな」

「しない。万々歳しない、潤君。おたくの許嫁大分ずれてる」


 ずれてる? だっていつかはすることだしなあ、慣れておいて悪いって事は無いだろう。それに潤はそんなことしないって、私は知ってる。私が望まないことはしない。ってことは、キスは私も望んでるからしてるって事になるのかな? 思うとちょっと恥ずかしくて、箸を動かす手が早くなる。お? とそれに気付いたのはメグだ。言わないでね。ちらっと見ると、ニヤニヤされる。もー。良い友達ですよ、あんたは。


 でもそうだな、確かに私は望んでいるんだろう。色んなスキンシップの数々を。小さな頃なんて一緒にお風呂入ってたぐらいだし、今更どうと言う事はない。さわりっこしてたこともあるけれど、それはやんわり親から離されて来た。小学校に入る頃にはそう言うのも無くなって、ただいつも一緒に居る関係になって。

 お前ら何でいつも一緒に居んの? イイナズケだからだよ。イイナズケって何? 将来結婚する人の事だよ。


 きゃーっとなった女子たちは、私にシロツメクサの花冠やネックレスをくれた。潤は指輪を作ってくれた。ずーっと一緒だもんね、と言われて、無邪気に私はうんっと頷いたものだ。その頃から私は潤を信じている。なんの理由もなく、気兼ねもなく、潤を信じて許嫁をしている。将来結婚するんだ、と、刷り込みのように思っている。


 でも誤解しないで欲しいのは、それが潤だからだって事だ。他の男子にときめいた事が無いとは言い難い。例えばかけっこが早い子。サッカーが上手い子。だけどその度に私は潤を見て、うん、と頷いて来た。潤の方が格好良い。かけっこは中の上、サッカーはゴールキーパー。でもドッジボールで私を誰より守り抜いてくれるのは潤だけだ。そこからの逆転だってなかったことはない。潤は私を助けてくれるし、潤は私を愛してくれる。それで良い。何も悪い事なんてない。マナ、と呼ばれ、うん、と応える。それが私達の関係だ。


「マナ?」

「うん?」

「プチトマト狙われてるけど良いの?」

「ああッメグ何をして!?」

「ちっ気付かれたか。ぼーっとしてるからだよ、マナ。ここ数日はあの写真見て嫉妬募らす連中も出て来るだろうから、気を付けた方が良い」

「マナは俺が守る。だからプチトマトは狙ってやるな、メグ」

「お優しい彼氏だこと」

「違うよ。許嫁」

「はいはい」


 うんざりしたように肩を竦めて、メグがセーラー服のポケットから出した写真を潤に渡す。良い角度だ、と真剣ぶって評する潤に、私は笑う。やっぱり潤は私の許嫁だ。この程度の事ではどうとも思わないぐらいに、私を信頼してくれている。だから好き。だーいすき。

 笑って海苔巻きを食べ、お弁当箱を空っぽにすると、潤も同じタイミングで食べ終わる。こう言うのがすっかりタイミング合う程度には、私達は相性が良い。ぽん、と意味もなく頭を撫でられて、えへ、意味もなく笑う。


「許嫁だもんな、マナ」

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