呆れるほどその傍に
ぜろ
第1話
「
「んん~まだあ……」
「遅刻したら日誌当番にされるって泣き付いて来たのは誰だ。ほら、起きて」
私こと
「まーな、おーきーろ!」
「ひゃあああっ!」
耳元で叫ばれて、私は身体を起こし、
「酷いよ潤、まだこんなに時間があるのに~」
トーストにマーマレードを塗って、はいッと私は潤にそれを渡す。私のはイチゴジャムだ。お母さんが入れてくれたカフェオレをこくんっと飲んでからじとーっと睨むと、最近染めた髪を揺らしながら潤はけらけらと笑う。もっとマーマレード塗ってやれば良かった。苦みに泣くぐらい。ちなみにそれは私が初めてマーマレードを塗った時にやらかした事だ。たくさん塗った方が美味しいと思って、撃墜。その時も潤は笑っていたっけ。それからおでこにキス。今もおでこにキス。宥めるように、甘やかすように。
「起きなかったマナが悪いんだろー、昨日SNSでこの時間に起こしに来いって言ったのはマナだぜ。ほら、履歴も残ってる」
「だって昨日発売の小説読みたかったんだもん~!」
「あなたまだ恋愛小説集めてるの? そんなことしなくたって潤君にお願いすれば良いだけじゃない。今みたいにキスして、って」
「そんなの素面じゃ恥ずかしくて言えないよ~」
「酔ってたらいいのか? 親父の秘蔵のナポレオン持って来てやろうか。それともアイスに掛けるチョコリキュール? モーツァルトとか」
「モーツァルトって音楽家じゃないの?」
「同じ名前をした酒があるんだよ。甘いチョコリキュールだ。飲んでみるか?」
「潤君、未成年の飲酒は禁止! ちゃんと守ってくれないとうちの鍵返して貰いますからね!」
「へーい、おばさんは厳しいぜ」
「至極正論しか行ってないと思う……」
私は落ちそうになっていた塊のイチゴをはむっと食べて、カフェオレに口を付ける。専業主婦のお母さんは料理がめっぽう美味い。お父さんはもう会社に行っている時間だ。私も早く食べなきゃ、と、はぐはぐ急いでトーストを食べる。
潤のお父さんと私のお父さんは共同で会社経営をしている仲良しさんだ。そしてその子供同士である私と潤も、仲良しさん。って言うか、産まれた月が同じだったから、舞い上がった二人はこう決めたのだ。丁度男と女、二人の将来は結婚してもらおう。
どっちかに傾いちゃいけないから、って事なんだろうけれど、随分勝手なお約束で許嫁になっている私と潤は、だけどそれを嫌がってはいない。と言うか、産まれた時から言われ続けているからすっかり受け入れているのだ。潤のお嫁さんになるために、私はお母さんに料理を習ったりお洗濯を手伝ったり花嫁修業をしている。
潤だって勉強を頑張って、来年の受験では近くの大学の経営学部に入る予定だ。私は進学せず、社会勉強としてお父さんたちの会社で最低四年間働くことになっている。全部が全部決められていた事だから何の疑問も無い、と言ったら、友達はちょっと変な顔をする。自分で決めることのない人生で良いの? 別に構わない。私は潤が好きだし、会社でちょっとは社会を知らなければ子供に何を教えれば良いのか分からないからだ。子供まで覚悟が済んでるの、と訊かれると、やっぱり変な顔をされる。何故かは解らない。
部屋に戻ってパジャマを制服に着替え、髪を梳かしてコテで巻く。それからリボンで結べば、時間は十分にあった。潤の原付で登校だから、間に合うだろう。まーなー、と一階から呼ばれて、はーあーいー、と返す。机の隣に掛けている水色のハーフヘルメットを頭に乗せ、授業道具の確認をしてスポーツバッグを抱えたら、ぱたぱた階段を下りるだけだ。
いってらっしゃい、とお母さんに見送られて、私達は学校に向かう。風に負けないスプレーで固めた髪。ぎゅっと抱き着く潤の背中。心地良くてえへへっと笑うと、いつもこうならな、と潤にも笑われてしまった。いつもは待ちきれなくなった潤が先に出てしまう。慌てて追いかけても無理――な訳じゃない。呼べば潤は止まってくれる。
「昨日の小説はあれか? 小学校から追い掛けてるシリーズの?」
「うんっ、もうすぐ最終巻でね、王子様と女の子が結婚するかもしれないの!」
「女子は好きだよなあ、何の取り柄のない女の子が王子様と結婚する、って言うの」
「あ、でもでも時間は進んでるから、女の子も何も出来ない訳じゃなくなったよ。看護学部に入って戦争の時はお手伝いするようになった」
「この平和な国で戦争とか、ファンタジー極まりない単語だわな」
こつん! と私は潤のヘルメットに自分のヘルメットをぶつけた。怒ったよ、のサインだ。言語化できないともいう。良いじゃないファンタジーで。好きなんだもん。それ言ったら私達だって十分ファンタジーだよ。生まれてから一度も喧嘩したことないんだから。今だって潤はけらけら笑っている。もー、と腰に抱き着くと、ちょっと腹筋に力を込められた。
危ない危ない。まだ慣れてない二人乗りだ、変に暴れたら自損事故だ。私の所為で潤を傷付ける訳にはいかない。お互いの父親に迷惑を掛けちゃいけない、これは生まれた時からの不文律だ。ふぶんりつ、という言葉を知らなかった頃からのお約束事だけど。
ファンタジー小説は好きだ、選ばれた相手がいるから私にはファンタジーじゃなくてむしろ現実的なぐらい。勿論魔法や剣が必ずしも待っている訳ではない。そう言うんじゃない異世界ファンタジーだって結構たくさんある。私が集めているシリーズもそうで、女の子が異世界に飛ばされちゃうものだ。そして事件を片付け、それが終わったら自分の世界に帰って行く。
それが何年も続いているから、そろそろ幸せな結末を迎えて欲しいものだけれど、いかんせんそうは読者が許さない。もっと続いて! とファンレターを出してしまうのだ。私もその一人、小学生の頃に拙い字で感想を書いた。次が楽しみです、なんて書いて。
私にとってその小説は潤と私のお手本みたいなものなのだ。運命の王子様。案外潤が髪を染めたのだって、その小説に出て来る王子様が金髪だからなのかもしれないなんて疑っている。新刊が出る度に押し付けるように貸してるから、潤もシリーズ愛読者なのだ。
王子と女の子はどんな結末を迎えるのか、楽しみなのだってきっと一緒。十年ぐらい続いてるシリーズだから、楽しみで仕方ない。年に二冊ぐらいのペース。勿論他の小説も書いてるから、年に一冊だったりもする。でも他の小説も大好きだから、買ってある。ようはファンなのだ、ただの。
でも変な所でシビアな展開入れて来るから、ちょっと怖くもあったりする。出来れば王子とラブラブのまま異世界で結婚して欲しい。それは自分の願望なのかもしれない。毎日迎えに来てくれる潤と私のままで、結婚出来たら、なんて言う。
でも潤だって新卒のまますぐに結婚、とはいかないだろう。三十前までには、と考えているから、あと十年は期間がある。その頃には私は会社で先輩風だって吹かせられるだろう。もっとも寿退社は決まっている事実だから、ちゃんとしたプロジェクトには参加させてもらえないだろうけど。
それで良い。私はその間潤が大好きなままでいれば良いだけだ。でも学校と会社で分かれちゃうから、潤の方が心配かも知れない。大人のお姉さんにぱくん! と食べられてしまわないか、心配なのは私の方なのだ。
もっとも堅物の潤がそんな事は無いと思うけれど。でも会社に有益な経歴を持つ人が現れたら、と思うと、やっぱり心配がないではない。いきなり婚約解消! なんて事にはならないだろうけれど、私も潤に愛人ぐらい許す器量が必要なのかなあと思ってしまう。
もちろんヤダけどさっ。思いながらぎゅっと目を閉じると、スン、と原付が止まる。目を開けると学校だった。携帯端末を見れば始業二十分前、楽勝快調絶好調だ。ありがとね、と潤の頬にキスすると、この程度、と私の頬にもキスされる。えへへー、と笑って校門まで向かうと、担任の先生が今日は当番らしく立っていた。
「せんせー、おはよーございまーす!」
「清州か。また河原が甘やかしたな、為にならんぞ、そう言う事は」
「ちょっと耳元で叫んだだけですよ。あといつもより安全運転で来ました」
「まったく……。お前らみたいなのを見ると自分の青春が虚しくなるよ」
「せんせー彼女いなかったの?」
「うるさい! さっさと教室に向かえ!」
「図星だったのかな」
「図星だったのかもな」
くふくふ笑って私は下駄箱を開けた。
手紙が入っていた。
私と潤の許嫁関係は全校に知れていると言って良い。
これでも手紙を出して来るって事は、よっぽど私か潤が好きな人だろう。
取り敢えず取って、スポーツバッグに入れた。
ちなみにスポーツバッグを交換している者同士がお付き合いしている、と言う暗黙のルールもあるので、私のスポーツバッグは潤の物である。名札だって入っている。二年三組河原潤。去年は一年二組だったから棒を足しただけだ。
ヘルメットも突っ込んで、私は取り敢えずお手洗いに向かう。
目立つものは目立たない所で開封するべきだ。
入っていたのは私への果たし状のようなもので、放課後裏庭に来い、と言うものだった。ピピッと携帯端末で全文見えるように画像データにし、SNSで潤に送る。OK、と言う返事が来たので、私は手紙をバッグに戻し、お手洗いを出た。さっさと教室に向かわないと。遅刻が続くと日誌係にさせられるのだ。今日の感想、と言うのがどうにも苦手なので、潤に手伝ってもらう事も多い。ちなみに私は隣のクラスで二年四組だ。スポーツバッグの名札は更新していない。
はーっとセーフで滑り込むと、おはよう、と友人のメグが挨拶をしてくれる。フルネームは田村恵美だ。おはよー、とだらけた顔になって私は椅子に座り込む。はー、疲れる朝だったー、と巻いた髪をくるくる遊ぶと、察しの良い彼女はにやっと笑って来た。察しが良いんだから、そこは笑わないで欲しいとも思う。どうせ見当付けてるんだ、彼女は。
「何? またラブレター?」
「解ってるなら聞かないでよー……私向きならまだしも潤向きなんだよー、なんで私に渡すかなあ」
「そりゃあ学校公認の許嫁だもの、その方が早いでしょ。あんたから破棄させればって思ってる奴、結構いるよ。親父さん同士の約束なのにね」
「今度からはお父さん呼ぼうかなあ。テレビ電話で」
「あははっそれは面白い策だと思うけど、あんたにべったりのお父さん出したら大騒ぎになるだろうねえ。この学校にも結構寄付してるんでしょ? おたくの会社」
「でも私と潤を同じクラスにしてないのって酷くない?」
「かもねえ。まあ教室一つ挟むぐらいで丁度良いでしょ、あんた達は。たまに見ててイラッとするほどベタベタじゃない」
「だって許嫁だもん」
「その言葉に踊らされないように――っと、先生来たみたいだ。戻るわ」
自分の席にメグが戻って行くと同時に、先生が入って来る。起立、礼、着席。
さて、父に直談判させるという良い策を思いついたは良いけれど、仕事している父を学生の恋愛に巻き込むわけにはいかないだろう。やっぱりここは私と潤とで片付けなきゃならない所だ。本当は私から一人で立ち向かった方が良いんだろうけれど、潤の方法の方が手っ取り早い事もある。潤の方法。ちょっとは恥ずかしいけれど、一撃必殺でもある。
はーっと息を吐いて、ホームルームは流し聞き。今日は体育があるから潤のクラスと合同でバドミントン、と聞いただけでわくわくしてしまった。私と潤は百回ぐらい続くぐらい相性が良い。元々の競技としては成り立っていないけれど、それでも続いて行くのは楽しいのだ。ぽんぽんそれなりの速さだから、クラスのみんなには流石だとかすげーなとか言われてしまうけれど。
だってバドミントンだって始めたのは潤の家の庭だったもんなー。二人で続かないで大泣きして、メロンソーダで機嫌を直されてからまたいっぱい練習して。あれ小学校な上がる前の事だっただろうか。庭の端ではお父さん達がパターゴルフをやっていたのを覚えている。
海水浴だって初めて行ったのは潤の家族と一緒の時だった。大概の事を潤と初めて続けている私達である。それこそ私が小説を貸したりとか。あのシリーズももう終わるのかあ、と思うと、ちょっと寂しい気分にもなる。主に潤との会話の話題に関して。
私と潤は理系と文系だから授業の話も合わないし、精々お弁当のことぐらいしか話すことはないのだ、学校だと。潤のお母さんも専業主婦なんだけれど、うちのお母さんと違って和食メインで作る人だから、いつもお弁当の時間は楽しい。
でもなー、今日はちょっと時間が経つのが憂鬱だなー。放課後までが長いよ、面倒くさいし。
まあでも私は潤が大好きだから、この許嫁と言う立場を手放すつもりも無いし、多分潤もそうだと思う。でないと『あんなこと』しないと思うし。うん、と一限目の古典の準備をしながら、後ろのロッカーから辞書も持って来る。と、そこにも手紙が入っていた。
何だろう。気になるけれど休み時間まで無視しておこう。今度は私へのラブレターだったら面倒くさい。場所とか時間とか違ったら尚のこと。否、同じでもすることは一緒だから良いのかな? 一気に片付いて。
思いながら私は辞書を開いて、単語を調べ始める。古語の意味が今日は当たるのだ。面倒でぎりぎりまでやらない辺り、実に私らしいと思う。そんな事を考えながら、私は潤とお揃いのシャーペンを顎でこつんっと叩いた。
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