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大型人間は杉の木に背中を預けながらも、生前か死後かはわからないが、重心を左に偏らせて倒れていた。投げ出されている腕は足のそばに、左足を下に、右足を軽く重ねている。
見たところ身長は二〇メートルといったところか。マッコウクジラより大きく、小学校のプールよりは小さい。
私たちのような人間よりははるかに大きいので、大型人間と呼ばれている。私たちと同じサイズの人間ならば、検案は数時間もかけずに終わらせなければならない。そうでもしないと、すぐさま次の検案解剖案件が飛び込んでくる。人の死は今の時代でもわかっていないことが多い。
私たちでさえそうなのだから、大型人間もそう。死も、生体も、生態もわかっていない。それらの膨大な謎を差し置いてでも、私たちが今目にしている大型人間の亡骸には、筆頭に来る疑問がある。
なぜ、年若い彼女が死んだのか。
「半肉蠅の集り具合から見ても、死後一日は経過していないな。話を聞ける時間はそれなりにあるだろう」
「死んでいなければ、もっと多くの時間を会話に割けるのに」
「生きたまま俺たちの前に姿を現してはくれないからな」
大型人間の生態も、生体も、私たちは知らない。死んでようやく私たちの前に姿を現してくれる、ということしか。
それまでこの大きな体は世界のどこにいるのか、誰も知らない。そもそも一般人は大型人間の亡骸に出会う機会もない。亡骸が発見されても、私たち研究者は徹底的に箝口令を敷く。先日起きた、大型人間の亡骸を中心に生まれる生物群の写真がネット上に公開されるようなことがない限りは。
「果たして会話をしてくれるかどうかが問題だがな。俺の人徳によりけりか」
「密猟者よりはあるでしょう」
「蹴落とすぞ」
志半ばで死んでいた半肉蠅をすべて埋葬して、枝を突き立てただけとはいえ墓を作るような男だ。我欲にひた走って密猟者になった女よりは人徳があってほしい。
墓作りで疲れたといって、重い機材をいくつか押しつけてきたところはあるが。
「なぜ、君は死んだのかな」
人の死の定義とはかなり曖昧だ。死の三徴候といわれる、瞳孔拡散、肺呼吸の停止、心臓の停止がそろったとしても判断に困るケースは少なくない。肺呼吸が止まっても、機械で酸素を体内に送り続ければ心臓は停止しない。ほら、死んでいないでしょう? と、モニターの心音に希望を抱く身内もいる。
体のどこか一か所が死んだところで、まだ生きている部位があるのなら、人はいつまでも死なない。いつまでも、ずっとずっと生き続ける。肉体のなかで生と死はつねに隣り合わせで背中合わせだった。生と死の線引きなど、とても他人が行えるものではない。私たちの肉体でさえ、そんなタイムラグが生まれる。
ならば、大型人間ともなればなおのこと。
「君たち大型人間の亡骸で、老衰や病死以外が理由で亡くなった人間は発見されていない。ところが一見すれば、君はまだ若い。成人は過ぎているようだが、天寿を全うするには早すぎるんじゃないか。無理強いをするつもりはないが、なぜ死んでしまったのか、わかる範囲で教えてもらえないだろうか」
「目が」私ではない女性の声。「ぼやけてきた。なんだか、かすむ感じがするの」
その声は森に響き渡って、消えていく。
私たちの耳に入ったのならば、もう用はないと。彼女が放った言葉そのものが意思をもって、消失を選択したかのようだった。
「俺たちのような人間ならば、死因や遺体の状況にもよるが、角膜の混濁は死後数時間から発生する。君の息が絶えてから、それくらいの時間が過ぎたとみてもいいのかな」
「私たちとあなたたちの時間の経過は、たぶん体感がものすごく違うから、参考にはならないと思う」
「はは、たしかに」
「でも、今もう、目が見えなくなってきているの」
「死んでしまった以上は仕方のないことだと思うが、診察でもするかい」
男は大型人間に顔を近づける。彼の顔より何倍も大きな眼球は、まだつややかな透明感を失っていない。かすみは、彼女の目に浮かぶ涙の水たまりで遊ぶ虫の子どもたちが立てる波紋だろう。彼女のまぶたの粘膜に産みつけられた半肉蠅の卵が、孵化して蛆になっていた。
まさに無数の蛆の群れは、これだけいるとさすがにうっとうしい。前の職場ではよく火炎放射器で焼いていた。大型人間がいるからこそ生まれる生物群としての希少性は高いが、検案する側からすれば似たり寄ったりでしかない。法医昆虫学者の採集によって救われた個体以外は、邪魔者扱いだった。
そのくせ、見たものを虜にする涙香蝶は捕獲して、検案終了後に解放する。
だってきれいでしょう? なんて理由で。
「精製水でもかけようか。少しは目の乾燥が遅れて視界が晴れるかもしれん」
「眼球の乾燥は見られませんけど、それで何か変わるとでも」
「変わったかどうかは本人に聞けばいい。俺たちのような連中よりはずっと話がわかる」
なんせ、死んでからも会話ができるのだから。
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