看病の始まり




 

 「母上!」


 

 叫びを聞きつけたロルフとギャビンは、トウランの部屋に押し掛けた。しかし、部屋には腰を抜かしたメイドが1人だけ、ベッドで横になっていたトウランは何処にもいなかった。


 

「母上はどこだ!?」



 ロルフは思わず怒鳴り付けるような声でメイドに叫んだ。しかし、恐怖のあまりメイドは言葉を発することができなかった。ただ、わなわなと震えた指で窓を指差す。


 

 両開き窓はどちらとも開いていた。あたりにはガラス片のようなカケラがキラキラと散りばめられている。嫌な予感がする、そう思いながらもロルフが窓の外を見ると、目を疑う光景があった。



 国が闇に包まれている。それは日が沈まないジャーマンアイリスにとっては、異常な光景だった。


 

「母君が龍の姿になって、黒い龍に接近しているよ」


 

 背後からギャビンが話しかける。ロルフは嫌な予感が的中したことを悟った。このガラス片のようなカケラは母の鱗だ。窓から飛び出した時に擦れて落ちてしまったのだとロルフは推測した。


 

 加勢に行かなければ、ロルフは狼の姿に戻り走り出す。

メイドを落ち着かせていたギャビンは、慌てながら翼を広げ、ロルフの後を追った。


 

 

 ロルフが城を出ると、城下町はパニックに陥っていた。

兵士たちも、どうすれば良いか分からず右往左往している。無理もない、永い時を生きてきた亜人はともかく、この地で暮らす人々は暗闇に慣れていない。皆が皆、悲鳴のような声で叫んでいる。


 

 怪我人が出るのは時間の問題だ。

ロルフが民衆に落ち着いて行動するように叫ぶが、悲鳴で掻き消されていく。ロルフの額から冷や汗が滲み出た。

 このままではまずいことは分かってる。だが、この状態を落ち着かせる術がロルフには分からなかった。


 

 パニックになる民衆により立ち往生するロルフの頭上から、子ども特有の甲高い声が聞こえた。


 

「おしろに にげてー!!!!」



 叫んでいたのは双子の妖精の片割れ、エラだった。

エラは小さな羽を羽ばたかせ、自身の鱗粉により僅かな光を放ち民衆を誘導しようとする。しかし、必死に叫ぶ子どもの声に気付く民もいるが、多くの人々はパニック状態のままだった。



 エラはそれでも懸命に城に避難するよう叫ぶ。すると、光り輝く白銀の羽が降り注いだ。パニックになっていた民衆は一斉に空を見上げ、暗闇の中に光る天使を見つけた。


 

「お前は脳筋なんだから変に考えるな。……ここは私たちに任せて、母君のもとに行きなよ」


 

 ギャビンはロルフにそう言い捨て、翼を広げ詠唱する。


 

 

 《光あれ 天使の導きのもとに》


 

 

 空に光り輝く結晶が次々と浮かび上がる。その光は宙を舞い、城に向かう。結晶は城門を中心に集まり、城の存在を際立たせた。


 

 

「全ての門を開けよ!責任は全て、私が背負う!」


 

 

 ギャビンの命令により、兵士たちは次々と城門を開けていく。ギャビンはすかさず「小さい子どもは抱えろ!」と民衆たちへ的確に指令していく。

 エラも「はしらないでー!」と大きな声で叫び飛んでいる。己の責務を全うしている2人を見て、ロルフは自分が情けなくなった。


 

 そうじゃないだろうと、ロルフは己を鼓舞する。

 ギャビンの言う通りだ。変に考えるな。所詮、己は人狼。人を欺き凱歌を奏する、それこそ己が誉れ。

だが、あの時に誓ったじゃないか。母上と父上を家族と認めた時に…この爪は、この牙は、守るために奮うのだと。



 

 ロルフは人の波に逆らい走った。暗闇の先に待つ光へ、孤独に戦っているであろう母、トウランの元へ。


 


 城下町を抜け、ロルフはハーブの木の群生地を走った。

進む程闇が濃くなり、障気で身体がふらつきそうになるが、ロルフは構わず走る。近付くほど、血の匂いが濃くなるのだ。


 闇の中を走っている内に、一筋の光が見えた。それは光り輝く白龍の鱗だった。ロルフは懸命に暗闇の中の光を探す。鱗は道標と言うかのようにロルフを誘導していた。


 

 暗闇から、啜り泣く女性の声が聞こえた。否、この森にいるのは1人しかいない。ロルフは人型に戻り、大声で母を呼び続ける。



 しかし、啜り泣く声が聞こえるだけで、トウランは返事をしなかった。ロルフは強い光へと走り続けた。木々の間をすり抜け、前へ前へと。

 暗闇の中の光は、やはり白龍の鱗だった。大量の削ぎ落とされたような鱗が、地面に散りばめられ、光を放っていたのだ。


 

 そして、その中心に黒龍はいた。ロルフは思わず身構えるが……様子がおかしい。黒龍は地面に這い蹲り、弱々しい呼吸を繰り返している。何より、下に赤黒く柔らかい何かが、無数に落ちている。足蹴にすると、それはミミズのように蠢き死んでいった。


 

 黒龍の頭部に、トウランの姿はあった。

トウランの白無垢は赤黒い血で染まり、いつもは簪で整えられている白が混じった紅の髪は解かれ、長い髪が風で広がっている。それだけでも異様な光景だったが、それ以上に、母が黒龍の眉間に顔を摺り寄せ、泣いているのだ。


 

 ロルフは何が何だか分からなかった。母に話しかけようにも、あまりの悲壮さに声を掛けられない。


 

 どうして良いか分からず、ただトウランを見ていたロルフ。しかし、目を凝らしてみると、トウランの額にある龍の紋様が光っていることに気付いた。そして、それは共鳴しているかのように、黒龍の額にある紋様が光っている。


 


『この紋様は、夫婦の証なんだよ』


 


 はるか昔、父の背中で空を飛んだ日に言われた言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。


 

 そう、それは父のように空を飛べたらと憧れた頃、幼いロルフは自分も空を飛んでみたいと、父と母に駄々を捏ねたのだ。困ったように笑う母を見兼ね、父が龍の姿になり、ロルフを背に空を駆け登ったのだ。



 慌てふためく母を尻目に、逃げろ!と大きく笑いながら父と一緒に空を飛んだあの日。ロルフは父の背中に光る紋様があることに気付いた。



『父上、これは何?』

『ん?…ああ、これか?この紋様は、夫婦の証なんだよ』

『もんよう?』

『あー…紋様を知らねぇか、そりゃそうだよな。…なんて言えば分かる?』


 

 どう説明したら良いか分からず、シグマは考え込む。

しかし、まだ幼いロルフに、無理に説明する必要はないと判断し、敢えて何も言わなかった。



 

『お前が大きくなったら、教えてやるよ』


 

 

 ロルフは気付いてしまった。黒龍と思っていた龍は、全身を覆う吸血ヒルによって、黒く見えていただけだということを。ヒルは血を吸い過ぎて、赤黒い、巨大なミミズのような姿になっていたことを。



 ヒルが地面に落ち、赤い鱗が見えてくる。



 ロルフは息を呑んだ。心臓が早鐘を打つのを必死に抑えるように、己の胸元を掴む。そして、どうか己の思い違いであって欲しいと、切に願った。


 

 しかし、現実は残酷だ。どれほど目を擦っても、夢なら覚めて欲しいと思っても、目の前の光景は変わらない。変わらないままだった。



 


 黒龍の背中には、見覚えのある紋様が光り輝いていた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る