看病が始まる前




 炎の国、ジャーマンアイリスの城下町は求愛恩祭の準備で賑わっていた。人々はトウランの好きな花、アマリリスを店内、店外ともに飾り付けている。種々の亜人たちは、それぞれの仕事を全うし、子どもたちは小さな龍踊を手に持ち踊る。皆が皆、祭を今か今かと待っていた。


「まぜてー!」「まぜてまぜてー!」


 エリーとエラは羽を羽ばたかせながら子どもたちの輪に混ざる。子どもたちの龍と共に踊る小さな妖精たちに、トウランは顔を綻ばせる。


「トウラン様!」

「え!トウラン様いるの!?」


 ざわつきは伝染していく。トウランは民に目線を合わせ、裾で口元を覆いながら笑いかける。

 

「ほほ、息災かえ?」

「はい!全てトウラン様とシグマ様のお陰です!」

「トウラン様ー!」


 トウランの周りが民で溢れかえってゆく。「トウラン様!このパパイヤン持って帰って下さい!」「この野菜も是非!」「これ地の国の特産品です!是非お祭りの後に使って下さい!」「この衣装も持って行って下さい!是非、祭りの後に……!」「うちのこれは、シグマ様が好みだって言ってました!」と人の群れは止まらない。民たちに揉まれながら、優雅に笑うトウランだったが、内心はどうやって進もうかと思案していた。


「申し訳ないが、通して下さい」


 少し低い声に民衆は静まり返る。トウランを庇ったのはロルフだった。ロルフはもみくちゃにされた母の姿に全てを察し、道を開くように促す。


「やだ!長男のロルフ様じゃないの!」

「きゃー!ロルフ様ー!!」

「ロルフ様こっち向いてー!」


 しかし、若い女性たちの黄色い声が増えただけで、事態は余計に悪化していく。


「…申し訳ございません。母上」

「よいよい、愛い息子が人気者で、わらわは嬉しいの」


 そう言いながらロルフを見上げるトウランに苦笑いしてしまう。トウランの、のんびりな性格は今に始まったことではないが、ロルフは一刻も早く城に戻りたかった。


 

 父、シグマが帰ってこない。

その知らせを母から聞いた時、ロルフが思い浮かんだ原因は痴話喧嘩だった。今でこそ落ち着いた父と母だったが、昔はよく喧嘩していた。喧嘩と言っても、離縁だとかそう言うのではなく、喧嘩するほど仲が良いの方ではあるが。


 つまるところ、全く心配していなかった。

どうせフラっと帰ってきて、何事もなかったかのように、夫婦で睦み合うのだとさえ思っていた。


 

 異変に気付いたのは、母が公務の時以外、城門に居るようになってからだ。城門前の兵士たちと談笑しているが、心此処にあらず。燃えるように紅い瞳は、寂しげに空を見つめていた。


 そして、いつまで経っても父は帰って来なかった。祭の前は必ず城下町へ遊びに赴き母き叱られる父の姿は、何処にもないまま時は過ぎた。

 日に日に母は弱っていった。化粧で隠しているつもりだろうが、隈が薄らと見えている。

 無理もない、母は1日中、父を待っていたのだ。それに加え、求愛恩祭までに完遂させねばならない国の行政、面談を父の代わりに行う日々…疲労が溜まっていくのは、当然だった。


 そのため、ロルフは母の城下町での公務が終わったら、すぐに部屋で休んで欲しかった。だが民衆たちを無碍にする訳にもいかず、どうしたものかと辺りを見渡す。

 すると、キラキラと光る白銀の羽が降ってきた。見覚えのあるそれに、思わずロルフがを真上を見ると、赤い屋根の上で、白銀の翼を羽ばたかせている天使の姿が見えた。


 

「やあ、大変そうだね?」


 

「助けてあげようか?」と優雅に尋ねる天使の名はギャビン。トウランの息子の1人である。

 ギャビンは翼を広げて飛んできた。そしてトウランを胸に抱え、ロルフの首根っこを掴み飛び立つ。辺りは騒然としたが、それはトウラン達が連れ去られたからではなく、ジャーマンアイリスではギャビンの白銀の羽を持ち歩くと、好きな人と結ばれるというジンクスがあるからだ。民衆達は両手を挙げ、あれよあれよと白銀の羽を手に取ろうとしていた。それを尻目に、ギャビンは空へと羽ばたいた。


 

「すまぬのぅ、ギャビン。早く来てくれたのかえ?祭は明日じゃが……」


 

いつもなら仕事が忙しく祭当日に訪れる息子。それなのになぜ、前日に来たのかと不思議に思いながらも、トウランは申し訳なさそうに声を掛けた。


 

「祭りの前に、少しでも母君に会いたかったさ」


 

 そう言いながらギャビンはトウランにウィンクをする。トウランは「ギャビン…」と裾で口元を覆い、感涙の声を上げた。

 ロルフは「騙されないで下さい母上、こいつは祭に来る女性達をつまみ食いするためだけに飛んで来たんです!」と大きな声で口早に捲し立てたが、切り割くような風の音で、トウランには聞こえなかった。

 


 ギャビンが城の最上階にある小窓を覗き込むと、部屋を掃除していたメイドが慌てたように窓を開ける。

 そして部屋に着地したギャビンは、ロルフを適当に放り捨てた後、トウランをゆっくりとベッドに寝かせた。


 

「すまぬのぅ……心配させてしもうたか」

「いいんですよ母君……父君の代わりに、公務を果たしたのでしょう?」

「…ほほ、これくらい、容易いものよ」

「……父君の捜索に、私の可愛い小鳥たちを使っています。だから、今はゆっくり休んで下さい」


 

 そう言った後、ギャビンはトウランの額にキスをする。そしてトウランに白いブランケットを掛けると、疲れ果てたトウランは直ぐに眠りに落ちた。

 ギャビンはトウランの頬を手で包み、微笑みかける。それは真綿に包み込むような、そんな優しさをトウランに与えているようだった。

 ロルフは、まるで絵画の世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。美しい天使が王女を攫いにきたような、そんな絵画の世界に。


 

「おい、何をふざけている。さっさと行くぞ」

「お前、ほんとふざけるなよ」


 

 ギャビンの真綿に包むかのような優しさは、男であるロルフには適応しなかった。



「それで、地上はどうなんだ?」


 

 部屋を出たギャビンは、絹のような髪の毛先をくるくると指で遊びながら、開口一番でロルフに質問する。


 

「狼たちを放って捜索しているが、何処にもいない」

「ははっ、じゃあ残るは地底かい?それとも海の底?」

「…ブルウェラとメラニーにも、国に帰るよう伝えている」

「兄弟大集合だね。まあ、良いんじゃない?楽しく午後のパーティーでもしようじゃないか、父君をただ待つだけのパーティーを、ね」


 

 ギャビンの口ぶりに苛つきを覚えるロルフだが、こいつの皮肉口調はいつもの事じゃないかと、己の頭を冷静にさせる。だが、ギャビンの猛攻は止まらない。

 

 

「どうせふらっと帰ってくるさ。あの方はいつもそうじゃないか。ふらっと出て行ってふらっと帰ってくる。母君のご機嫌取りに花や宝石を携えてね。母君も、なんであんな奴と一緒にいるんだか……」

「ギャビン、いい加減にしろ」


 

 流石の言い様に、ロルフが唸るようにギャビンを睨みつける。しかし、ギャビンは鼻を鳴らし、まるで馬鹿にするかのように翼を広げ、ロルフを見下す。


 

「発情期に入る前に、うら若き乙女たちの蕾を摘みに放浪しているのさ、そうに決まっている」

「ギャビン!」


 

 怒りのあまり、ロルフはギャビンのフリルブラウスを掴む。ロルフの人狼族特有の鋭い爪がブラウスに食い込むが、ギャビンは何も言わず、まるで何かを試しているかのようにロルフを見つめる。


 

「…父上は確かに、どうしようもないお方だ。母上以外の女性に鼻の下を伸ばしている姿も、良く見かけた」

「……なら」

「だが…母上との約束は、必ず守るお方でもあった」

「……」


 ロルフの一言に、ギャビンは思わず目を背けた。

ギャビンも本当は分かっていたのだ。父、シグマが約束を違えたことなど、1度もなかったことを。それが母、トウランの約束事なら尚更であることも。


 

「父上の身に何かあったのかもしれない。…お前が、父上のことをよく思っていないのは知っている。けれど今だけは、水に流してくれ」


 

「頼む」と震える声でロルフは呟く。

ギャビンはバツが悪そうな顔をしながら、視線を逸らした。まるで子どもが大人に怒られて拗ねているような、そんな表情をしながら。



「別に、協力しないとは言って…………は?」


 

 ギャビンの表情の変化に、ロルフは思わず目を見開く。

しかし、ギャビンは額に手を当て、固まったままだ。

 何かがおかしいと感じたロルフは、ギャビンの両肩を掴み揺らす。


 宝石が散りばめられている万華鏡のような瞳が、ゆっくりとロルフを見る。その目は、自分の小鳥たちと視界を共有しているのだと、ギャビンが昔言っていたことを、ロルフは思い出した。


 


「黒い龍が……王国に接近している!」


 


 トウランの部屋から、甲高い悲鳴が聞こえた。




 

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