看病日記
辰砂
プロローグ 幸せな日常
むかしむかし、そのむかし
あるところに一匹の、はくりゅうがいました
そのはくりゅうには、友だちがいませんでした
はくりゅうは一匹、のらりくらりと旅をしていました
ある日、はくりゅうは5匹のりゅうたちと出会いました
りゅうたちは言います
「この中から番をえらべ」
はくりゅうは悩みかんがえました
そして、りゅうたちにおねがいしました
「わらわがほしいものを、みつけておくれ」
りゅうたちはー
ゴーン、ゴーンと城の鐘が鳴る。
それは、暗闇が訪れない炎の国、ジャーマンアイリスにとって必要な鐘の音色だった。
煌びやかな部屋のソファに美しい女と、まだ幼い双子の少女が寝ていた。
女の名はトウラン、双子の名前はエラとエリー。
エラとエリーは窓から差し込む陽の光が眩しい、これじゃあ眠くならないと、トウランに絵本を読むように促す。
そんな双子にトウランは微笑みかける。
「ほれ、絵本はもう終わりじゃ、9時の鐘が鳴ってしもうた」
「えー」「えーーー」
小さな羽が生えた少女たちは頬を膨らませ、不機嫌そうに抗議する。まだ9時じゃない、もうちょっと良いじゃないと真っ直ぐトウランを見つめるのだ。
「困った子らじゃ……仕方ないのぅ、ちょっとだけじゃぞ?」
「やったー!」「やった、やった!」
結局のところ、トウランは娘たちに甘かった。エラとエリーのまんまるな頭を撫で、絵本の続きを読もうとページを捲ろうとした。
「甘やかさないで下さい。母上」
しかし、いつの間にか目の前に立つ青年に絵本を取り上げられる。満月のような瞳が、トウランを睨む。頭には獣人族特有の獣耳がピクピクと動き、可愛いのぅ、と呑気にトウランは青年を撫でる。
「…っ!やめて下さい!」
「ほほ、すまぬのぅ。愛しくて仕方がないのよ。この子らも……ロルフ、おまえもの」
そう言いながら、トウランは愛い息子の耳を擽る。ロルフは目を細めて、少し頬を赤らめさせながらトウランの手腕を堪能する。
「……父上は?」
「もうすぐ帰ってくるじゃろうて、それまで母の腕でお休み」
「…もう、そんな歳ではないです」
そう不貞腐れながら言うロルフだが、身体は正直なもので既に母の手中の中にいた。それに嫉妬したエラとエリーはトウランの膝に顔を埋める。
「エラとエリーにもかまって!」「かまって!」
「これこれ、すねるでない。ほれ、おいで」
トウランはエラとエリーの背中を優しくさすりながら、子守唄を歌う。少し低めの、美しい音色が部屋中に響き渡った。
双子は先程までの元気な姿から一転、可愛らしい寝息を立てながら夢の世界に旅立っていた。ロルフも目を開けたり閉じたりと、今にも寝てしまいそうだ。
愛しい我が子たちに、トウランは思わず顔を緩める。
すると、ふわりと心地良い香りが鼻を掠めた。
「ほほ、可愛らしいのぅ…、そう思わぬか?ーお前様」
「…なんだ、ばれていたのか。ー帰ったぞ。我が最愛よ」
トウランが背後を振り返る前に、男は口付けをする。トウランは抵抗することもなくうっとりと唇を合わせ、男に成すがままにされる。しかし、舌を絡ますように促されると、トウランは首を振り拒んだ。
「ん、ふ……やめよ。我が子らの前ぞ」
「寝ているじゃねぇか、ばれやしねぇよ」
「ロルフが起きるじゃろうて」
「ロルフぅ……?」
男は、なぜ雷の国、ハリケーンリリーで働いているロルフが此処にいるのかと思ったが、ああ自分たちの求愛恩祭の前に会いに来たのかと頬を緩める。
男の名はシグマ。トウランの夫であり、炎の国、ジャーマンアイリスを統べる龍王だった。
シグマはロルフの頬をつつく。
実は起きていたロルフだが、空気を読んで寝たふりをしていた。ロルフは空気の読める人狼だった。
「なんだ、かわいいとこもあるじゃねぇか」
「最悪、100年は会えぬからのぅ……」
伏目がちに呟き、ロルフの頭を撫でるトウランに何かを思い出したシグマは「ああ、そうだ」と呟いた。
「ロルフに話があったんだが……まあ、明日で良いか」
「起こそうかえ?」
「いや、良い。まだ求愛恩祭まで時間があるしな」
シグマは「とりあえずベッドに運ぶか、ロルフ。起きてんだろ」と再び頬をつつく。ロルフはバレてた羞恥心で尻尾と耳をピクピクさせながら、双子を両手に支え、スタスタと早足で部屋を出ていく。「また明日な」とシグマが手を振ると、ロルフは少し会釈をして「頑張って下さい」と言って扉を閉める。
何のことだと思いながら、シグマはトウランを見つめる。トウランは紅い瞳を細めながら、うっそりと笑う。
蠱惑的な笑みに、思わずシグマは喉を鳴らす。この雌は、本当に自分の心を乱すのが得意だ。
番になってから早1000年の年月が経っても、今だに魅了され続ける。
恐らく、一生敵わないのだろうと思いながら、シグマはトウランを横抱きしベッドに運ぶ。そして、そのままシーツの海に押し倒すと再び深い口付けを交わす。
今度は舌を入れることに対し抵抗しないトウランに、シグマは心の臓を鷲掴みされた気分になる。
「んぅ、あ、……待って、おくれ。お前様」
「待たねぇ……お前の発情期は1年後だったか?良いじゃねぇか、こうした方が周期も早くなる」
「なぁ?」と獰猛な獣のように笑うシグマに、トウランの下腹部は甘い疼きを覚える。それに気付いているシグマは、骨ばった手で布越しに腹をさする。そしてゆっくりと、指先で一定のリズムを刻み、臍下を刺激していく。トウランは白い太ももから足先までひくつかせ、甘い刺激に成す術もなく呼吸が荒くなる。シグマは気分が良くなり、トウランの髪を撫で、耳を甘噛みする。
そこにはもう、子ども等に絵本を読ませていた母の面影はない。頸を咬むと甘い吐息を吐く一匹の雌。
そう、シグマにとってトウランは、誰にでも自慢出来る良き妻だが、己に組み敷かれ喜ぶ一匹の雌でもあった。
トウランは両手でシグマの頭を抱え込み、髪留めを外す。これは朝までコースだな、とシグマは口角を上げ、首筋に無数の花を散らしていく。
長い夜に期待を寄せ、シグマはトウランの白い寝巻きをはだけさせ――
「お前様、随分と派手に遊んだのぅ」
「え」
白いシャツにくっきりと残ったキスマークさえなければ、恐らく長い夜になったのだろう。トウランは動揺しているシグマの隙を見て上に乗る。形勢逆転、シグマを見下ろしトウランは微笑むが、目は笑っていない。
ふと、シグマは可愛い息子、ロルフが最後に放った言葉を思い出す。そう言うことかと、こめかみをひくつかせながら、愛しい妻への言い訳を必死に考える。
「楽しかったかえ?」
「待て待て落ち着け。話し合おうじゃねぇか」
「話し合い、のぅ……?」
「話し合って、解決するのかえ?」と言うトウランにシグマは何も言えない。何故なら、シグマが付き合いと称して夜の街へ遊びに行くのは、今回が初めてではなかった。
大方、悪友である風来坊と飲み遊び、そのまま可愛い女たちのいる店に行ったのだろうと、トウランは溜息を吐く。そして、その推理は正解だった。シグマはバツが悪そうに視線を逸らす。
「はぁ……わらわも悪い遊びに行こうかのぅ……」
「…………あ゙?」
とても低い、がなり声が聞こえた。
トウランは手首を引っ張られ、シグマに抱き寄せられる。力強く握られた手首の痛みに顔を歪ませ、シグマを睨む。離せ、と言う前にシグマが言葉を発した。
「お前は誰の雌だ……?」
「……誰かのぅ、わらわも歳でな。物忘れが酷いのじゃ」
シグマは目を見開き、眉間に皺を寄せてトウランを見つめる。己は外をほっつき歩いている癖に、トウランにはそれを許さない傲慢さと独占欲。それは龍という種族の厄介さを見事なまでに物語っていた。
だが、次の一言でシグマを許してしまう程度には、トウランはシグマに惚れ込んでいた。
「トウラン、悪かった…、だからそんなこと、言わないでくれ」
「……全く、懲りないお方。ふふ、嘘じゃよ、わらわは何処にも行かぬ。お前様の帰りを、此処で待っておる」
「だから、必ず帰っておくれ」と耳元で囁くトウランに、シグマは愛しさのあまり脳が焼き切れそうだった。
そして、やはり俺は、此奴に一生敵わぬのだと思い知らされるのだ。
「後、1ヶ月か……長えなぁ」
そう言いながら顎を肩に埋めるシグマに、子どものようだとトウランは笑ってしまう。
シグマの言う1ヶ月後、それは発情期に伴い龍の子授けを祈願するお祝い、求愛恩祭があった。
それは国を挙げての祝い事であり、唯一、夫婦龍のいるジャーマンアイリスにとっての一大イベントであった。
祭りの後、シグマとトウランは巣篭もりをし約1年間の発情期を共に過ごす。その1年の間に子どもが授かれば、約100年の間、卵を孵化させるため夫婦は巣に閉じ篭もる。
「1ヶ月など、あっという間じゃろうて」
トウランはシグマの隣に寝転び、頬を撫でる。
「この1ヶ月の間に、まずは行政を片付けねばならぬ」
「頭が痛え話だ」
「ほほ、逃げるでないぞ。……それから、各地に散らばった我が子らに会いに行かぬか?ロルフと、エリーとエラを連れての」
「おお!それは名案だな。それなら各地の名物を買い漁るのはどうだ?あとは……」
シグマの少し低い声に聞き入っている内に、トウランは愛しい夫の匂いに包まれながら、少しずつ眠りに落ちていった。
朝、目が覚めると、シグマの姿は見当たらなかった。
まだ寝ている頭を起こすよう、サイドテーブルにあったグラスの水を飲み干す。すると、グラスの下に1枚の置き手紙があった。
『少し用事を思い出した。すぐに帰るから待っててくれ』
「…いつ帰ってくるかくらい書かぬか、馬鹿者が」
そう言いながらも、トウランは手紙の横にある一輪の野花を見て思わず笑ってしまう。これをわざわざ夜中に探して摘んできたのか、わらわのご機嫌取りのために…、想像したら面白くてしょうがなかった。
「はやく帰ってこい。お前様」
しかし、シグマは帰ってこなかった。
求愛恩祭の前日になっても、シグマは帰ってこなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます