応急処置をするために(2)





 ロルフが必死に叫び、何かを訴えている。

 小鳥を通して、ロルフが此方に何かを伝えたいことは充分、分かった。だが、叫んだところでギャビンには聞こえない。ギャビンはあくまで、小鳥たちとは視覚を共有しているだけであり、聴覚は契約対象外だ。


 

 ロルフはそれに気付いたのか、今度は手を細く動かしたり、逆に両腕を大きく広げたりして、次々とジェスチャーを繰り出している。


 


 何だあれ……髪結師が必要?

 違うな……ピアノを演奏しろ?


 

 

 ギャビンは眉間に皺を寄せながら、ロルフが何を伝えたいのかを考える。だが、段々と腹が立ってきた。何故、己はこの下らない、ロルフの大道芸を見なければいけないのか。私が必死に民衆の避難誘導をしている間に、この間抜け狼は何をしていたんだ、と白銀の翼をばたつかせながら憤怒する。


 

 もう知るかと、ギャビンが小鳥に撤退の指示を出そうとする。しかし、ロルフの次の行動を見て、ギャビンは目を見開き固まった。ロルフが木の枝で文字を書き、ギャビンにメッセージを伝えたのだ。


 

 

 【母上の指示 仕立て屋を此処に連れて来い】


 

 

「……仕立て屋?」


 

 

 全く状況が理解できない。理解できないが、親愛なる我が母君からの指示である。ギャビンは居間に降り立ち、足早に廊下を歩き考える。仕立て屋…ファッションデザイナーのことか、何人用意すれば良い?と頭を回転させながらトウランの書斎に向かう。あそこには、ジャーマンアイリスの住民基本台帳がある筈だ。ギャビンは再び翼を広げ、急ぎ飛ぼうとした。


 

 だが、片翼がずしりと重くなり、羽ばたくことが出来なかった。ギャビンが背後を振り返ると、まだ幼い少年が瞳を潤ませながら翼を鷲掴み、此方を睨んでいた。



「…父ちゃんと、母ちゃんの避難は?」

「まず名乗れ、少年。話はそこからだ」

「まだ城の外にいるんだよ!!」

「人の話を聞きたまえ!まず君は誰なんだ!」


 

 この忙しい時にと、ギャビンは苛立ちを抑えることが出来なかった。神から授けられた様な美しい顔を歪ませながら、少年を見下す。


 

「すいません、ギャビン様!こいつ、ちょっと生意気な奴でして……!」


 

 騒ぎを聞きつけたのか、筋肉隆々の逞しい狐の獣人が、ランタンを手に持ち此方へやって来た。そして、少年の首根っこを掴み、ギャビンに頭を下げさせる。少年は足をばたつかせながら、必死に抵抗し叫んだ。


 

「離せよ!父ちゃんと母ちゃんが!!」

「ボウとダイランは城に入れねえよ!」


 

「てめえがよく分かってんだろ!」と狐の獣人は少年に怒鳴り付ける。少年の眼から大きな雫がぽたぼたと流れ、廊下に子どもの泣き声が響き渡る。


 

 ギャビンは更に顔を歪めながら両耳を塞ぐ。しかし、その泣き声は聞き覚えがあった。ギャビンは少年に近付き、顎を掴みながら少年の顔をまじまじと見る。

 狐の獣人が持っていたランタンにより、薄暗さで見えていなかった顔が露わになる。茶色の癖毛にアーモンドのようなくりくりの瞳、そして、特徴的なそばかすに真っ赤な頬っぺた。

 


 ー思い出した。



「泣き虫コリンじゃないか!」



 そう言うと、ギャビンは泣きじゃくるコリンの両頬を掴み、少年特有の頬の感触を堪能する。コリンは泣くことを忘れ、何が何だか分からないと、顔に出ている。


 

「こんなに大きくなっていたのか……人の成長とは、早いものだな」


 

「よくお前のおしめを変えたものだ」とギャビンが染み染みに呟くと、コリンは真っ赤な林檎のように顔を赤らめ、ギャビンを睨む。


 

「お、おおおお前なんて知らないよ!」

「何!?なぜ覚えていない!」

「あと、おしめなんてしてないし!!」

「していただろう!お前がまだ、ふにふにの赤ん坊だったころに!」

「いや、ギャビン様……赤ん坊の頃に会ってた奴なんて、覚えてませんよ…」


 

 狐の獣人が呆れたように目を細め、ギャビンを見つめる。長命種ってこう言うところがあるからな、と思いながらコリンをこのまま回収し、撤退しようとする。


 

「いや、待て」


 

 ギャビンの凛とした声が廊下に響く。先程とは違う威圧感に、狐の獣人 ルナールは額から汗が滲み、コリンを掴んでいた手が震える。


 

 天使とは元来、優しく穏やかな種族。人々に祝福を与え我らをを見守る天界の住人。それが、世界の人々の共通認識であり、天使は幸せの象徴だと、信じて疑わない。


 

 だが、ルナールは幼い頃の記憶を覚えていた。それは、己がまだ小狐だった頃に聞いた、あの会話。森の茂みにより、薄暗い部屋の一室で聞いてしまった、ボウとダイランの、2人の会話を。


 

『ギャビン様は、優しいお方だ。新しい子どもたちにも、分け隔てなく祝福を授けて下さる。……良いお方だって、分かってるんだよ』

『ばあさん…』

『だが、わしは恐ろしい。あのお方を見ると、あの音が聴こえてくるんだ。…幻聴だって、分かっている。けれど、聴こえてしまうんだ。ー天使のラッパが、鳴り響く音が』


 

 どんなに巨大な魔物が襲ってきても、一撃で仕留めていたボウが、身体を縮こませながら震えている。その姿が、今でも忘れられない。だから、祝福を与えられた身でありながらも、ルナールはギャビンを恐れていた。正直、今すぐこの場を立ち去りたい。ルナールは体格の割に臆病者だった。


 

「ボウとダイランは、家にいるんだな」

「え!?そ、そうですが…」


 

 唐突な質問に、ルナールは目を白黒させる。だが、ギャビンはルナールの返答を聞き、白銀の翼を広げる。城のステンドグラスがランタンの光で色鮮やかに彩られ、ギャビンの異質さをより際立たせた。


 

「泣き虫コリン、良いことを教えてやろう。お前の父と母は、かの戦争の生き残りだ。避難などしなくて良い」

 

 

 そう言い放った後、ギャビンはコリン達に背を向け、城の外へと飛び立った。はじめから天使などいなかったかのように、静寂がルナールとコリンを襲った。


 

 ギャビンはボウとダイランの家には向かわず、塔の頂上で翼を仕舞った。そして、小鳥たちと視覚を共有する。万華鏡のような瞳は、遥か彼方を見つめていた。


 

 コリンを思い出したギャビンは、あることに気付いたのだ。今でこそ、店を畳んだボウとダイランだが、かつては城の絨毯やカーテンなどを編んでいた、国一の編物職人。【仕立て屋ダイラン&ボウ】の看板を背負っていたことを。


 

 己の可愛い小鳥に、ボウとダイランの家を散策するよう命じる。本来ならば、ギャビンが飛んで行った方が早いが、此処を離れるわけにはいかなかった。この城の現最高責任者が己であることを、ギャビンは自覚していた。


 

 暗闇の中での捜索は呆気なく終わった。郊外の直径5mはある、城よりも大きな家。後は、どうやってロルフの元に連れて行くか、ギャビンは腕を組み空を見上げ考える。


 

 しかし、暗闇の中で揺れ動く存在を、ギャビンは見逃さなかった。小鳥に近付くように命令する。目を凝らし、じっと揺れ動く存在を見つめた。


 

 そこには、フードを被った猫背の男が、金魚鉢を抱えて辺りをウロチョロしている姿があった。



 

 

「……メラニー?」


 

 

 

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