第6話

世間はすっかり秋に入り、風が心地よく外に出る機会が増えた頃に彼はいつものように窓を開けて外を眺める。表に咲いた彼岸花を見つめて昔を思い出していると、今日も彼に会いに戸が開く。

「いらっしゃい」

「うわ!本当に居た!」

茶髪で口から覗く八重歯がチャームポイントの明るい娘が会いに来てくれた。

席へ促すと、なんの疑いを持たずに座ってくれる。

「一応言っておくと、俺幽霊なんだよ?怖くないの?」

「チョーウケる!怖く全然ないじゃん!」

彼女が想像するようなおどろおどろしさは微塵もなく、普通の学生にしか見えないからだ。

「初めましてだね、自己紹介でもする?」

「いいよ!私佳奈。カナちんって呼んで!」

「俺はニコって呼ばれてるよ」

「名前あったんだ!無いって聞いてたけど」

「最近いけ好かない野郎から貰ったんだよ」

明るく元気な彼女につられてニコも話し込んでしまう。これほど明るく元気な子が来るのは久しぶりである。

「何かあったから来たんじゃない?」

「凄っ!なんでわかるの?」

「大体ここに来る子はそうだからね」

いつかの加藤のようにただ見に来ただけという事も少なくは無いが、佳奈の背後から良からぬ気配が漂っている。いきなり「君取り憑かれてるよ」なんて言ってしまえば、警戒されるので事情を聞き出してから教えてあげるようにしている。

「実は変な事があってね⋯」


塾の帰りが遅くなってしまい、辺りはすっかり暗く街灯の明かりだけが頼りの住宅街を一人で歩いていると、全身真っ赤な服を着た女が電柱の下で蹲っていたという。

無視をしようかとも思ったが、体調が悪いのかもしれないという事で声をかけることにした。

「大丈夫ですか?」

「··········」

声をかけても返事がない。声が出せないほどに体調が悪いのかもしれないと思い、顔を覗かせるが俯いているのでよく分からない。

「大丈夫ですか?」

再度声をかけても返答がない もう去ろうかとした時に、女の方から「ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」と低い声で宣っている。気味が悪くなり佳奈はその場を立ち去る。

後ろを振り返ってみると、先程の女が起き上がり俯いたまま彼女の方向を指差す。

何やらブツブツと呟いているようだったが、恐怖のあまり走っているせいで何を言っているのか分からない。

そのまま家に帰宅し、急いで鍵を閉める。

あれはなんだったんだ?と考えていると、家族が出迎えてくれる。

「アンタ何してるの?そんな所で」

「お母さん⋯」

先程起きた事を母に聞かせると、「怖いね」で終わってしまい「あまり夜道を一人で出歩かない方が良い」という結論に至った。

後日その事を友人に話すと「2.5組の幽霊って知ってる?」という話になり、此処へ訪れたという。


「優しいんだねカナちんは」

「でしょー?実は意外といい子なんだから!」

佳奈からの話を聞いて、後ろの影の正体に気付いた。

ニコは彼女に今もその女が狙っている事を伝える。

「えっ!?今も憑いてるの!?」

「今は居ないけど、昨日出会った場所で待っているかもね」

時刻は午後五時を回った頃合い、日が沈んだ頃に現れるに違いない。

「ニコちんが何とかしてくれるんでしょ?」

「人を中毒性の高い猛毒みたいに呼ぶんじゃありません。残念だが、俺はこの教室から自主的に出る事が出来ないんだ」

「えぇー!!意味無いじゃん!」

件の女が別れ際こちらに指を指して何かを呟いていたと言っていたが、ソレはおそらく呪詛のようなものだろう。例えば、「明日お前を殺してやる」と言えばそれは呪いなのだ。気にしていなくても心のどこかに刻み込まれれば、呪いとして成立してしまう。

だが、大抵は無効に終わる事が多い。対象者を常に守っている守護霊によって防がれるのだが、相手の思いが強ければ防ぎれない時もある。今回のケースは相手の方が一枚上手のようだ。

「これを持って行きなさい」

ニコは白い形代の様な物を渡す。

「それは御守りだよ」

「御守り?」

「どこまで通用するか分からないけど、きっと役に立つよ」

「わかった!ありがとう」

御守りを受け取った佳奈は満足そうに教室を後にしようとした時にある事を言われる。

「ヤバくなったら■■って唱えな」

「·····?よく分からないけどわかった!」

本当にわかったのだろうか?心配になるが、彼は見送る事しか出来ずに佳奈の背中を見つめていた。

そして例の帰り道を一人で歩いていると、本当に昨日居た女が待ち構えていた。

まだ夕日が出て明るいのに人が一人もいない。普段なら誰かしら歩いているのにまるでこの場所だけ違うような雰囲気。

昨日は分からなかったが、あの女の顔はとても歪な形をしている。目の位置が明らかにおかしい、まるで顔の中心に沿って裂けている様な不気味な顔をしていた。

「アハハハハハハ!アハハハハハハ!」

女が笑いながら此方へ近付いてくる。赤いハイヒールのコツコツという音が徐々に近付いて、彼女の大きさに気付く。昨日は蹲っていて分からなかったが、立った彼女の身長は2mを軽々と超えているくらい高い。

逃げようにも、足が竦んで動けない。

すると、ポケットに入れていた御守りが熱くなる。佳奈は御守りを女の方へ向けて目を瞑ると、コツコツという音が止む。恐る恐る目を開けてみると、御守りを恐れて近付けないようだった。

「本当に効いた·····」

掌に伝わる熱がどんどん強くなるが、心地よの良い温かさで恐怖心が薄れていく。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

女は怒りの形相で此方を睨みつけて、今にも襲いかかってきそうな迫力がある。

「これ本当に大丈夫だよね?」

歪な顔が怒りに染まり、一歩また一歩と歩みを寄せてくる。

「逃げなきゃ」

後ろを振り返り来た道を戻ろうとするが、空間が途切れたように真っ暗闇が広がっていた。

御守りの効果が発揮されているのだが、女は苦悶の表情を浮かべながらジワジワと近付いてくる。

もうダメだと思った時に彼の言葉を思い出し、御守りを掲げたまま例の言葉を唱える。

すると、暗闇の向こうから光り輝く紐のような物が御守りと繋がる。クイクイと闇の向こうから引っ張られる。

「走れ!」

何処からか聞き覚えのある声がして無我夢中で紐を伝って走る。

闇の幕を潜り抜けて飛び出した先は、元いた住宅街だった。

あの女の姿は無く、仕事帰りのサラリーマンや帰宅途中の学生が何事も無かったかのように歩いている。

「戻れたんだ」

握っていた御守りを見つめると、もう紐のような物は付いていなかった。

後日、ニコの元へ訪れて事情を聞いてみると、もうあの女は現れないという。

「あの人なんだったの?」

「多分通りすがりのヤバい奴さ。この御守りでも止まらなかったという事はそこそこ人を殺めて来たんだろうね」

「本当にもう出ないの?」

「それは問題ないよ。もう片付けたからね」

「ニコちんが?」

「それは企業秘密」

この事を誰にも話さないという事で赤い服の女事件は幕を閉じた。

あの道を通っても赤い服の女は出ることも無く、またいつもの日常が続いて行ったが一つだけ変わった事がある。時折、2.5組へ足を運ぶ客人が一人増えた事でした。


おまけ

あと一歩というところで取り逃してしまった赤い服の女は悔しさと憎悪で頭を掻き毟る。

奇声を上げながら暴れ回っていると、暗闇の中から一人の男が入ってくる。

「そうカッカすんなって、確かに可愛らしくて良い子だけどさ」

侵入してきたのはニコだった。

闇が晴れていき、全体の背景が露になると教室の様な場所に飛ばされていた。

「あの子には此処へ来る途中で降りて貰ったから、存分に楽しめるよ」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

「おいおい、そう怒るなって、もうチェンジは出来ないぞ?」

女は激情してニコに掴みかかろうとするが、彼の目の前で手が止まる。何やら強い力で押さえつけられているな感覚に襲われる。

「君、結構人喰ったでしょ?一般の野良があそこまで強くなるのはおかしいからね」

「ア゛ア゛ア゛!」

「ダメに決まってるだろ。殺しは御法度って知らないのか?」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア!ア゛ア゛ア゛」

「往生際が悪いぞ?これ以上己の醜態を晒すな」

ニコは手印を結んで何かを唱える。

『汝の土地を脅かすもの也、汝の栄誉を穢すもの也、山ノ神■■■■よ今汝の錠で包たまえ』

近くにあった机と椅子が紐状に変形して赤い服の女を拘束していく。力着くで引き剥がそうとするが、ビクともしない。

「あらぁ、封印されたの初めてたか」

女は拘束されていきながらニコを睨みつける。

「どうして祓い屋みたいな事が出来る?って顔してるね。経験者だからだ」

四方八方から鉄の紐が絡みつき、圧力でどんどん小さくなっていき、数秒もしない内に小さな玉になった。

怪にとって封印とは、身を裂かれて強制的に無力化されるようなもので死よりも残酷とされている。

完全に祓う事が困難な存在などに使われる呪法であり、難易度の術に数えられる。曖昧な封印が施されてしまうとかえって逆効果になり、暴れさせてしまうため優れた術者でしか扱えない。

「これは霊能少年に頼んでジワジワと浄化してもらおうか」

ニコそう言って教室から姿を消すのであった。

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