第18話 夜道

 少し前に一人で歩いた夜道を、今度はロズに手を引かれて戻る。


 キャステンの屋敷、そして神殿に続く坂は、何度も通ってきたはずなのに、今は何故だか知らない場所のようだ。


 ミシェルの前を行くロズは、無言のまま。もしかしたら怒っているのかもしれない。その理由も、分からないけれど。



(謝る?)



 怒っているのなら、そうした方が良い。



「ロズ、あの」


「理由も分からないのに謝るのは、逆効果だよ」


「……」



 どうしてこうも、すべて見通されてしまうのだろう。ロズのことは、欠片も分からないのに。


 むっとしたのが、伝わったのだろうか。微かに空気が揺れて、ロズの笑い声がした。



「別に、怒ってないよ」


「……なら」


「でも、心配はしたよ。こんな夜中に出て行くんだから。僕が庭で寝てなかったら、誰も気づけなかった」


「また、庭でねてたの」



 自分の部屋があるのだから、そちらで寝ればいいのに。言っても、どうせ聞かないだろう。


 それにしても、よく目が覚めたものだ。普段は起こしても起きないくせに。足音はできる限り忍ばせていたはずだ。



「心配、なんて……。しなくても」


「ミシェル。そういうこと言うなら、今度こそ本当に怒るからね」



 その怒りだって、理由は分からない。


 後ろ暗い連中が集まる外路集落。けれど、ミシェルはこれまでにも出入りを繰り返している。危険な目に遭ったことなど無い。


 心配する必要がどこにあるのだろう。



「だって、あそこは、危なくありません」


「本気で言ってる?」


「悪いこと、する人、いない」


「西の集落はね。他の所に行ったことある?」


「……いいえ」



 街や領地の外れに点在する、外路集落。ロズノア西の集落以外は、特に用もないので近づいたことすらない。



「西はね、全知の神殿の息がかかった集落なんだよ。要するに、間諜の拠点。ああいう拠点が、国中にいくつもある。……でも、西の集落以外はそうじゃない。本当に危ない連中だって、そっちにはいる」



 全知の神。当然、ミシェルだって知っている。エンテ神聖国を作った、二柱の神、その片割れ。全知のサクスピエンティム。


 かの神は、国が間違った方向に行かぬよう、その力で王家に助言を与え、導いているという。そんなサクスピエンティムを祀る神殿は、王家の管轄だ。


 つまり、あの集落は、情報屋は、王家に仕える諜報部隊だということだ。



「それが……、どうして、お嬢様と」


「王家とキャステン家は同輩だからね。建国の神を祀る家。助け合う立場なんだよ。……本来はね」



 メリザンドの人脈が、そんな風に繋がっていたとは。


 考えたこともなかった。ミシェルにとって大切なのはメリザンドで、ただそれだけで良かった。傍にいて、彼女のために働いて、毎日を過ごすことができれば、それで。


 それ以外のことなんて、考えたこともなかったのだ。


 屋敷や神殿の外にも、世界が広がっていて。いろいろな人がいて、いろいろな神が在る。知っていたはずなのに、分かっていなかった。


 前を歩くロズの背中を、じっと眺める。薔薇の刺繍が施された、白い神官服が風を孕んで揺れる。


 冬の夜なのに、寒くはないのだろうかと思った。



「ロズ」


「なに?」


「おむかえ……、ありがとう」



 あまりにも突然だったからだろうか。ロズが足を止めて、振り返った。こんなに驚いた顔をしているのは珍しいな、と思った。


 赤い瞳がまん丸になって、ミシェルを見下ろしている。坂を上っている途中だったから、いつもよりも位置が高い。


 ロズがミシェルの心配をすることには、やっぱり首を傾げてしまう。そんなことをする必要も、意味もないだろう、と。ミシェルが危ない目に遭っていても、ロズには何も関係がないのに。


 でも。その心情を、理解はできないけれど。


 心配して、迎えに来てくれたのは、嬉しかった。



「どう、いたしまして」



 ぽかんとしたまま、ロズは返事をしてくれた。


 立ち止まったままのロズを、今度はミシェルが引っ張って歩き出す。素直に後ろを付いてきたロズは、すぐに足を早めて隣に並んだ。



「……ミシェル、星が綺麗だよ」


「ほし?」


「うん。それに、ほら。後ろには月。今日は満月だね」



 ミシェルにとって、夜は闇を纏うものだった。腹の中に隠して、何からも守ってくれるものだった。


 こんな風に明るく照らされたら、どこにも隠れられなくなってしまう。

 それは困る。困るのに、穏やかな顔で空を見上げるロズの隣にいると、不思議と嫌だとは感じない。



「月の満ち欠け、星の巡り。太陽が昇って、沈む。時が流れる。空を見れば、時間の移り変わりが分かる」


「だから、いつも庭にいるの?」


「それは別。でも、空を見るのは好きだよ」



 ロズに倣って、空を見上げる。くるりと後ろも見て、月の形を確かめた。



「……月……」


「月がなに?」


「ついてくる……」



 こちらは歩いて移動しているのに、丸い月の大きさは一切変わらず、曲がり角に差し掛かってもずっと見下ろしてくる。


 ロズがきょとんとした後、大きく吹き出した。弾けるような笑い声が、静かな夜道に響き渡る。


 腹を抱えて笑われると、あんまりいい気分ではない。



「……変なこと、言った?」


「あっははは! いや、ううん。っふふ、何も変じゃないよ」



 ひとしきり笑ってから、ロズも月を見上げた。



「……そうだね、ついてくる」



 ほどけるように緩む頬。柔らかく溶けた眼差し。いとおしさを滲ませて、空を仰ぐ横顔。



(いつも、そんな風に笑っていればいいのに)



 繋いだ手を軽く振って、坂を上る足を、少しだけ遅くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 07:11 予定は変更される可能性があります

巻き込まれて死に戻りしていたら、愛が重い時の神に執着されました -脇役侍女ミシェルと9の黒薔薇 神野咲音 @yuiranato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画