第16話 毒殺

 華やかなパーティーも、何度も経験すれば嫌気がさして当然だ。ましてや、自分の毒殺計画があると知っていれば、なおさら。


 メリザンドはもれる欠伸を隠しもせず、何度も聞いたお世辞を聞き流した。


 公爵家の令嬢であるメリザンドは、どこへ行っても尊ばれる存在だ。エンテ神聖国に、公爵家はひとつだけ。爵位だけで言えば王家には劣るものの、建国の神を祀るキャステン家の直系ともなれば、その重要性は王と等しいと言っても過言ではない。


 メリザンドは、崇められ、尊重されて当然の人間。だからこそ、今この状況が不可解で仕方ない。


 何度も殺されては、時間が戻る。一体誰がメリザンドの命を狙っているのか、何度過去を変えても必ず殺される。


 記憶を持ったまま過去に戻るのは、きっと時の神の導きだろう。伴侶たるメリザンドを憐れみ、理不尽な死から救ってくれているのだと、確信している。


 もっと他に、やり方はないのかと思うこともある。相手は時の神だから、仕方がないとはいえ。



(死ぬ瞬間の記憶が曖昧なのは、助かったけど……)



 それでも、不愉快であることに変わりは無い。


 過去に戻って目覚めた時、死因ははっきりと覚えている。けれど、その瞬間の恐怖や苦痛は覚えていない。


 だから、死んだという実感はあまりない。ただ、時間を繰り返すのは退屈だ。


 誰も彼も、同じ行動をして、同じ言葉を話す。真新しいことなど何もない。それでも本当に死んでしまうのは嫌だから、どうにか生き延びる方法を考えている。


 そんな中で、メリザンドの癒やしとなっていたのが、ミシェルだった。忠実な侍女であるミシェルは、メリザンドの思うがままに動く。メリザンドが立てと言えば立つし、走れと言えば走る。何も変わらない繰り返しの中で、メリザンドが自在に操れるのがミシェルだった。


 そんな侍女を殺したのは、身代わりを立てれば死なずに済むのではと思ったからだ。


 だが結局それも上手くいかず、またもや殺されてしまった。


 それがまさか、次の死に戻りにも影響するなんて思わなかった。



(あたしはロズノアテム様の伴侶だから、死んだときに助けてもらえる。でもミシェルは関係ないもんね……。生贄にするのって、難しい)



 何か、妙な記憶の欠片でも残ってしまったのだろうか。死に戻りの記憶を持つのは、メリザンドだけのはずなのだが。過去に戻った瞬間に、湯をかけられた時は驚いた。


 彼女の意思ではないことは見れば分かったけれど、正直、腹が立った。首を切られた程度の衝撃で、手元を狂わせるなんて。


 だが、それでも使い勝手の良いミシェルを手放したくは無かった。


 何を命令しても、疑問を持つことすらなく実行する。どんなに無茶な命令でも、文句ひとつ言わない。


 この死に戻りを解除するためには、ミシェルが必要だ。手駒としても、いざという時の身代わりとしても。


 だから、父がミシェルを解雇してしまったのは、大きな誤算だった。父はメリザンドの事を愛してくれるけど、そのせいでやり過ぎてしまうことがあるのだ。


 どうにか神殿に留め置くことができたのは幸運だった。神殿ならいつでも会える。療養だとかで会えないと言われた時は、神官長をクビにしてやろうかと思ったけれど。もし感染症だったらいけない、とメリザンドの身を心配されてしまえば、文句も言いづらい。


 ミシェルがいなかったせいで、過去に戻ってから二週間近く無駄にしてしまった。


 今日、やっと会えたミシェルは、なんだか随分と顔色が良くなり、頬が少しふっくらとしていた。服も新しいものを着ていた。



(おもしろくない)



 どうにかして手元に戻して、また躾しなおさないといけない。だが、忠誠心は変わっていないようだった。


 少し微笑んでやれば、ミシェルは何でも言うことを聞く。今回も、しっかり仕事をこなしてくれるだろう。


 前回の死因は、馬車の事故だった。用があって神殿に向かっていたら、大通りで暴れ馬に追突されたのだ。横転した馬車からどうにか這い出したところを、二頭目の馬に踏み潰された。


 ただの事故のようにも思えるが、これまでのことを考えると、黒幕がいないはずがない。調べ上げなければ。


 とにかく、今のメリザンドがすべきことは、毒殺の回避だ。


 パーティーは始まったばかり。誰もがメリザンドを気にしているようだが、話しかけてくる者はいない。


 きっと恐れ多いのだろう。メリザンドは何よりも崇められるべき存在だから。


 神の伴侶というものが、時に神そのものと同程度の扱いを受けることを、メリザンドは知っている。



(だって、ずっと昔に亡くなったママがそうだった)



 もはやその頃の記憶も薄いけれど、母が国中から崇められていたことは覚えている。葬儀も、国を挙げて行われた。時の神の領地であるロズノアの街だけでなく、国中が母の死を悼んでいた。


 誰からも慕われていた。あの母のように、なりたいと思った。


 キャステン家の直系だけが、ロズノアテムの伴侶に選ばれる。次はメリザンドの番だ。



「メリザンド嬢」



 声を掛けられて、振り向いた。


 名を呼んだのは、このパーティーの主催である家の令息。名前など知らないが、流石に毒杯を手渡してきた男の顔は覚えた。



「楽しんでおられますか?」



 伯爵令息は、上手く緊張を隠しているようだった。何も知らなければ気づかないだろう。事実、最初のメリザンドは騙された。



「……うん、楽しいよ!」



 にっこりと笑顔を作ると、伯爵令息も微笑んだ。



「それは良かった。よろしければ、飲み物を……。おや」



 既にグラスを持っているメリザンドの手元を見て、令息が何度も目を瞬かせた。焦っているようにも見える。



「もうお持ちでしたか」



 どこで、誰から毒杯を渡されるか。それを知っているのに、何も対策をしていない訳がない。


 毒が入っているであろうグラスを持ったまま、伯爵令息はおろおろしている。少し想定と違ったくらいで狼狽える程度の男に、一度でも殺されたというのが気に喰わない。


 けれど、そんな本心はおくびにも出さない。



「それでしたら、何か別の……」



 出直そうとした令息の腕に手をかけ、引き留める。



「せっかく持ってきてくれたんだもの。そっちももらおうかな」



 毒杯をするりと抜き取ると、令息は安心したように息を吐いた。



「お気遣いをありがとうございます。どうぞ、今日は最後まで楽しんでくださいね」



 彼の視線が毒杯に絡みついているけれど、もちろんここで飲むような真似はしない。笑顔を残して、令息に背を向ける。二つのグラスを持ったまま、どこへともなく足を踏み出した。


 いろんな所から、視線が向けられているのが分かる。メリザンドがいつ毒を飲むのか、ずっと見られている。思い通りになど、動いてやらないというのに。


 メリザンドは食事の並んだ一角へ赴き、毒杯と似たようなグラスを探した。


 最初から持っていた方のドリンクをたまに飲みながら、するりと人の波に溶け込む。



(あった、あれにしよう)



 似たような年頃の令嬢たちが、集まって談笑している。その傍に、彼女たちが飲み食いしているのであろう皿やグラスの置かれたテーブルがある。


 メリザンドは何気ない仕草で近づき、毒杯を持った右手を下ろした。ゆとりのある袖口で隠すように、毒杯を覆った。


 すれ違いざまに、袖の内側でグラスをすり替える。


 こういうとき、袖の広がったドレスは便利だ。なんでも隠すことができる。


 メリザンドは何食わぬ顔で令嬢たちの横を通り過ぎた。グラスのすり替えは一瞬、腕を下げたのもほんの数秒にも満たない時間だ。誰も気づいていないだろう。


 その証拠に、メリザンドに突き刺さるいくつもの視線は変わらない。


 ときどき料理の乗ったテーブルを覗きながら、メリザンドは泳ぐように人々の間をすり抜ける。


 そして、その辺りにいた給仕に、グラスを二つとも返した。


 身軽になって、さっさとパーティー会場となっていた広間を出る。ちょうどその時、背後で悲鳴が上がったようだった。


 どうでもいいことだ。


 外で控えていたメイドが、広間の方を気にしながらも追いかけてくる。


 やるべきことは終わった。さっさと帰って、美味しいお菓子でも食べよう。


 騒ぎが広がる伯爵家の屋敷を、メリザンドは悠々と後にした。

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