第15話 折檻
祈りの間から出ると、下がっていた使用人たちが廊下に控えていた。全員が、俯くようにして床を見つめている。
「帰るよ。今日は大事なパーティーがある日だからね」
メリザンドが颯爽と背筋を伸ばして、そう言った。
ミシェルは小さく息を呑んだ。
この時期にメリザンドが参加するパーティーは、一つだけ。
メリザンドが、最初に毒殺されたパーティーだ。
公爵家の令嬢たるメリザンドを招待したのは、王家とも血の繋がりを持つ伯爵家。そこの令息が手ずから運んできたグラスに、毒は盛られていた。
馬車で待機を命じられていたミシェルは、その現場を見ていない。代わりについていた別のメイドがメリザンドを連れ帰って来たが、碌な治療もできないまま次の日に亡くなった。
そしてそれが、最初の死に戻りだった。
時間が戻ってから調べたところ、主犯はパーティーを主催した伯爵家だった。毒の入手履歴が残っていた。
だから二回目では、メリザンドはパーティーに参加しなかった。そうすると、屋敷にいた所に聖騎士団がやってきて、冤罪で逮捕された。
それ以来、メリザンドはパーティーに出るようにしているようだ。
どれか一つの出来事を変えても、それが後々、どう影響してくるかが分からない。だから、今のミシェルの状況だって良くはないのだが。今となっては仕方がない。
ともかくメリザンドは、今日行われる伯爵家のパーティーに出席し、毒杯を飲まずに帰ってくる。
とても大事な日だ。メリザンドも気合が入っているだろう。
「ミシェル、もう行っていいよ。お願いしたこと、よろしくね」
にっこりと微笑んだメリザンドに、ミシェルは深く頭を下げた。早く行きなさい、と奥を指さす主人に従い、居住区の方へ下がる。
曲がり角を過ぎて、名残惜しさから踵を返した。あちらからは見えないように、角から少しだけ顔を覗かせる。
使用人たちを後ろに引き連れて、優雅に歩き去っていくメリザンド。後ろからこっそりとその姿を見送っていると。
メリザンドのすぐ後ろを歩いていた使用人が、床を撫でるドレスの裾を、軽く踏んだ。
(あ……っ)
あれは、怒られてしまう。仕方がないけれど。いつもはあの場所にミシェルがいたから、距離を間違えてしまったのだろう。
でも、メリザンドは優しいので、注意をしたとしてもすぐに許してくれるのだ。
メリザンドが振り返って、ドレスを踏んだ使用人をじっと見た。
「お、お嬢様……!」
「……」
「申し訳ございません! どうかお許しを……!」
真っ青になった使用人が、神殿の冷たい石の床に崩れ落ちた。足元に縋る使用人を、メリザンドが見下ろす。
その顔に、いつもの優しい笑顔は欠片もなかった。
「今、あたしのドレスを踏んだ?」
「申し訳ございません……! ごめんなさい、どうか、お許しを……っ」
床に崩れ落ちた使用人が、しゃくり上げながら謝っている。確かに失態だが、何をそんなに恐れているのだろう。ミシェルのことがあったから、彼女も解雇されると思っているのだろうか。
ミシェルは首を傾げたが、他の使用人たちは押し黙ったまま、メリザンドの様子を伺っているようだった。
「……許さないなんて、誰が言ったの?」
メリザンドが微笑む。
「メリザお嬢様……」
「ちゃんと罰を受けさえすれば、あたしは怒ったりしないよ?」
泣いている使用人が顔を上げるのが見えた。ミシェルからは、その表情までは見えない。
けれど、どうしてだろう。彼女が許しを得て安堵しているようには、思えなかった。
「優しいあたしに、感謝してよね」
ドレスの裾を持ち上げて、メリザンドが足を晒す。それを止める者はない。
固く細いヒールの、尖ったところ。そこが、使用人のこめかみに突き刺さった。
床に倒れ込んだ使用人を、誰も助け起こそうとはしない。髪に血が絡んでいるのが見えた。
メリザンドは倒れて呻く使用人の顔に、さらに足を振り下ろす。
「あたしのドレスを踏んだんだから、お前も踏まれないと。ね?」
悲鳴を上げる使用人の顔を三度蹴って、メリザンドは血の付いた靴を軽く振った。その表情にはなんら感慨などなく、ただ靴が汚れたことに対する嫌悪感だけが浮かんでいた。
「汚れちゃった。拭いて」
「は、はい!」
倒れ、泣きながら呻いている彼女をちらちらと気にしつつも、使用人たちはメリザンドの靴を綺麗にして、ドレスの裾を整えた。
それらを見下ろしながら、メリザンドは愛らしく唇を尖らせる。
「この靴、もういらない。屋敷に帰ったら処分して。あとその子は、地下牢に放り込んで」
「は……、はい」
メリザンドはすべて忘れたかのように、軽い足取りで歩いていく。その後を、使用人たちが慌てて追いかける。蹴り倒された彼女は、両脇から抱えられるようにして運ばれていった。
一部始終を隠れて見ていたミシェルは、途中から息をするのも忘れて固まっていた。
あの優しいメリザンドとは思えなかった。
叩くことも、閉じ込めることも、殺そうとすることもない、優しい人のはずなのだ。
あんな風に、何の躊躇いもなく誰かを傷つけたりしない、特別に優しい人。それなのに。
「まさか、初っ端からあんな強烈なのが見れるとはね。ミシェル、大丈夫?」
突然、背後から話しかけられて、ミシェルはびくりと肩を震わせた。
眠たげな目をしたロズが、顔を覗き込んでくる。至極当然のような顔をしていた。
「メリザンドって、酷い人でしょ? 平気な顔で、あんなことするんだよ」
そんな訳がない。何か理由があるのだ、きっと。
そうでなければ、説明がつかない。ミシェルの知っているメリザンドと、あまりに違いすぎる。
「でも、おじょうさまは、やさしい人で」
「ミシェルを操るために、そう振る舞ってるだけだよ」
「……私が、とくべつ、だったから? だから優しかったの?」
何か失態を犯したなら、殴られて当然だろう。メリザンドはそれをしないから、優しい人なのだと思っていた。
けれどその優しさは、ミシェルにしか向けられていなかったのかもしれない。
ロズが何かを探るようにミシェルの目を見て、顎に指を当てた。何かを考え込むふうだ。
「……ミシェルはどうして、あれを優しいと思うの?」
「わたしを、叩かなかったから……」
「……なるほど」
そこがずれてるのか、と小さく呟くロズ。
「でも、さっき使用人を蹴ってたけど」
ミシェルは困り果てて、ロズを見返した。彼が、ミシェルにとって都合の悪い方へ話を持って行こうとしていることは、分かる。けれど、それをどうやって否定すればいいのか。
メリザンドはどうして、あんなに厳しい折檻をしたのだろう。ミシェルはあんな風に怒られたことなど一度も無い。
「……なにか、理由があるんです。わたしのしらない、理由が」
今はただ、そう思うしかない。もしかしたら、あの使用人がとんでもない失態を繰り返していたのかも知れない。足蹴にされても仕方のないような。
「ミシェル、今はこれだけ言っておくよ」
ロズが、さっきまでメリザンドたちのいた廊下を見る。つられて、ミシェルもそちらを見た。床に点々と落ちた、血の跡。
「殴ったり蹴ったりされてもいい理由なんてないんだよ」
その言葉は、ミシェルの心に、重く重く沈み込んでいった。
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