第14話 祈り

 ロズノアテム神殿の調理場、一番隅に設置された炉。普段ならば神官長が楽しげに調理をしているそこに、本日はロズが屈み込んでいる。ミシェルはその隣で、薪を積み上げていた。


 灰に埋めた種火から、火を起こそうとしているところだった。


 神官長から頼まれた、「ロズに仕事を教える」という役目を果たすためだ。今日は昼食の準備を教えることになっていた。ともかく何をするにしても、火を起こせなければ始まらない。



「火がついた、から、ふいて。これ」


「吹く!?」


「はやく、ロズ」



 くべられた細枝や樹皮に、火が移り始めている。


 ミシェルが煤けた火吹き棒を渡すと、丸く目を剥いたロズは、恐る恐る炉でちらつく火に向かって息を吹きかけた。


 弱々しい。



「よわいです」


「えっ、もっと!?」


「きえちゃう」


「う、わわ」



 慌てふためいたロズが、今度は思い切り火吹き棒を吹いた。


 当たり前だが、ちりちりと肌を焼く熱気と共に、大量の灰と煤が舞い上がる。


 予想できていたミシェルはさっと距離を取って顔を庇ったが、炉の前に膝をついていたロズは、盛大に頭から煤を被って咳き込む羽目になった。



「ぅごほっ! げほ……っ」


「今のは、つよい」


「身をもって、こほっ、実感したところだよ……っ」



 髪に積もった灰を振り払いながら、ロズが立ち上がる。そのまま、唇を尖らせて火吹き棒をミシェルに押し付けた。



「僕には向いてない。だいたい、なんでここにはかまどの女神がいないの? 石にあれの名を刻んでおけば、火を点けるのも守るのもやってくれるでしょ」



 その不満に答えたのはミシェルではなく、後ろで穏やかに見守っていた神官長だった。



「ここはロズノアテム様の神殿ですから。かまどの女神の名を刻んでも、消えてしまうのですよ。ロズノアテム様の偉大さゆえに、女神も畏れてしまわれるのでしょうね」


「かまどに火を点けるくらいで、誰も怒らないよ……!」



 完全に拗ねている。子供のようにぶすくれるロズに、ミシェルをからかっている時の面影はない。


 そんなロズの手を引いて、ミシェルは再び炉の前に屈み込んだ。



「ロズ、こんなかんじ」



 灰が舞わないように、火を優しく育てるように、頬を膨らませて息を吹き込む。消えかけていた火が起き上がり、大きくなったところを見計らって、薪を足していった。


 安定して燃えているのを確認して、隣を見る。むすっと頬を膨らませたロズが、ちらちらと揺れる炎を睨んでいた。



「……もう今日はいいよね? ミシェル、次は君の番!」



 拗ねた顔のまま、ロズはミシェルをぐいぐいと引っ張って調理場を出ようとする。いいのだろうか。神官長を見ると、苦笑しながら頷いていた。



「続きは今度にしましょう。後はやっておきますから、ミシェルはロズに付き合ってあげてください」



 神官長の許可を得たので、ロズに従って調理場を出る。ロズは食堂の椅子を引いて、そこに座るようミシェルに促した。


 言われた通りに座ると、ロズも隣の椅子を持ってきて、ミシェルの正面に腰を下ろす。



「はい、こっち向いて。口の運動するからね」



 話す練習として、毎日ロズにやらされているのがこれだ。少し恥ずかしいのだが、お陰で神殿に来たばかりの頃より、口は回るようになってきた。


 ロズは両手でミシェルの頬を包み、指先でぐりぐりと口周りを押していく。固くなっている顔の筋肉をほぐしているのだとか。しばらく顔を揉まれた後、「はい」と肩を叩かれる。



「次。口開けて、そのまま十数えるよ」


「あ」


「……はい、舌出して、上、下、右、左」


「う」



 言われるがままに口と舌を動かす。一体どれほどおかしな顔になっているのか、たまにロズが楽しそうに笑うのがいたたまれない。


 そうやって日課をこなしているところに、青年の神官がやってきた。向かい合っているミシェルたちを見て、柔らかく微笑む。



「ロズ、ミシェル。メリザンドお嬢様がお祈りにいらっしゃいましたよ」


「お嬢様が?」



 ミシェルは椅子から立ち上がった。


 侍女の仕事を解雇されて以来、一度も会っていないメリザンド。毎日神殿には来ていると聞いていたが、部屋での療養を命じられていたミシェルは、会うことができなかった。


 しかし今日になってロズが、「そろそろ会ってもいいよ」と言ってくれたのだ。


 メリザンドは、ミシェルが療養していたことを知っていたらしい。神官長が伝えていたのだと。


 きっと、心優しいメリザンドのことだから、ミシェルを心配してくれていたはずだ。


 これまで呼び出しが無かったのも、きっとそのためだろう。



「ロズ!」


「ああ、はいはい。行っておいでよ」



 ロズはひらひらと手を振った。また不機嫌そうな顔をしているかと思ったが、どちらかと言えば機嫌は良さそうだった。何故だろう、と思ったものの、今はそんなことよりもメリザンドだ。



「いってきます」



 早くしないと、メリザンドが帰ってしまうかもしれない。ミシェルは足早に食堂を出た。







 メリザンドは、祈りの間に続く廊下にいた。ミシェルはあの部屋に、許しが無ければ入ることができない。


 メリザンドが祈りの間に入ってしまう前に、急いで駆け寄って、膝をついた。



「ミシェル?」



 驚いたように目を丸くしたメリザンドは、何人かの使用人を連れていた。ミシェルとも面識のある彼女たちも、同じように驚いた顔をする。


 何に驚いているのか分からず、ミシェルは首を傾げた。



「療養している、って聞いていたけど……、随分と元気そうだね」



 メリザンドは使用人たちを下がらせた。手招きで呼び寄せられたので、すぐ足元までにじり寄る。


 ミシェルが視線で扉を示したので、祈りの間の扉を開いた。



「ミシェル、入って。二人で話したいの」



 キャステン家の人間と、一部の神官しか入れない祈りの間。けれどミシェルは、メリザンドに付き従ってよく出入りしていた。「あたしの侍女だから、特別だよ」と、悪戯っぽく笑っていた主人を覚えている。


 祈るためのこの部屋には、家具などはほとんど何もない。薔薇の蕾を持った時の神ロズノアテムの神像があり、その前に伴侶が祈る時に使う椅子が置かれているのみだ。


 この神殿らしく質素な木の椅子に、メリザンドが腰を下ろした。ミシェルはいつものように、その足元に跪く。



「久しぶりだね、ミシェル。前と様子が違ってて、びっくりしちゃった」



 服が違うからだろうか。屋敷で着ていた服は、全部大切に仕舞ってある。神官長に、「仕事をすると汚れるので、普段はロズと買った服を着ているといいですよ」と言われたからだ。


 だが、メリザンドの顔はどことなく不満そうだ。


 服は汚さないように取ってあります、と、言いかけた。言いかけて、きつく口を閉ざした。


 メリザンドの前では、侍女であった時のように振る舞いたかった。たとえ、忠誠を示すことができなくても。



「でも、やっと会えて良かった。お願いしたいことがあったんだ」



 心優しい令嬢は、すぐににっこりと笑ってミシェルを見下ろした。


 お願いとは、なんだろう。いつもなら、メリザンドが死んだ理由を探るのが、ミシェルの仕事だった。


 だが、今のミシェルは、メリザンドが前回死んだ原因を知らない。ミシェル自身が、その前に死んでいるからだ。



「急いで調べて欲しくって。キャステン家に叛意を抱く家門がどこなのか」



 あっけらかんとした口調で言い放つメリザンド。彼女は、ミシェルも一緒に過去に戻っていることを知らない。だからこそ、調査に必要な情報はほとんどもらえない。


 今まではそれでも問題なかったが、今回は手掛かりが何もない。


 だが、そんなのは些細なことだ。


 大切なのは、メリザンドがミシェルを頼ってくれたという一点のみ。


 ミシェルは頭を下げて、主人の靴に額を擦り付けた。大切な命令を承る時は、こうしろと言われていた。



「さすが、ミシェル! 期待してるね」



 お任せください、と言えないのが、こんなにももどかしいなんて。今にも溢れ出てしまいそうな、メリザンドへの思い。


 この気持ちを伝えたいのに、それはできないのだ。



「さ、ミシェル。あたしは今から、ここでお祈りをするけど。前みたいに特別に、ミシェルにもお祈りさせてあげるよ」



 大きく両手を広げたメリザンドは、恍惚とした表情でロズノアテムの神像を振り仰いだ。


 伴侶役に選ばれた彼女は、こんなにも慈悲深い。ミシェルは目頭が潤むのを感じながら、両手を組み、神像に向かって頭(こうべ)を垂れた。







 いったいどれほどの時間、祈りを捧げていただろう。メリザンドに肩を叩かれ、ミシェルは顔を上げた。


 神像の手にした薔薇が、真っ黒な花を咲かせていた。

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