第13話 理解

 その後もロズは、ミシェルを連れ回した。


 街の人々は愛想よく迎え入れてくれたが、食器屋でも、雑貨屋でも、ミシェルが屋敷の人間だったと知った途端に態度を一変させた。


 誰もが、忌々しそうにキャステン家の名前を口にする。関わらないでくれと、嫌悪を募らせる。そして、メリザンドのことを極悪非道な娘だと、口々に罵るのだ。


 買い物に出る前、ロズは「何があっても怒るな」と言っていた。つまり、こうなることを知っていたのだ。


 それだけではない。ロズはわざわざ、ミシェルが屋敷で働いていたことを触れ回った。かわいそうなんだよ。クビにされたんだよ。そう言って、ミシェルが恨みの視線を受けるように仕向けた。


 メリザンドやキャステン家のことを言われるたび、胸が酷く痛んだ。それでも反論しなかったのは、あらかじめロズに言われていたから、だけではない。


 これまでまともに言葉を話さなかったこの口は、当たり前のように、使い物にならなかった。


 恩ある人が謂れのない中傷を受けているのに、ミシェルは何も言えなかったのだ。悔しくて、もどかしくて、仕方なかった。


 そんなミシェルを見て、ロズはずっと笑っていた。



「……ひどい。ロズ」



 買ったものをすべて馬車に乗せ、神殿に帰るところだった。ミシェルは隣に座る神官見習いを、じっとりと睨んだ。


 何が楽しいのか、ロズはにこにこと笑いながらミシェルの不満を受け止めている。



「楽しかったね。ミシェル、良い顔してたよ」


「ひどい」


「でも、分かっただろ? 君の元主人は、とんでもない嫌われ者なんだって」



 違う、と言いたかった。けれど、あんな風にキャステン家を厭う街の人々に、何と言えばいいか分からなかった。



「どうして、あんなに……」



 なぜキャステン家やメリザンドは、あれほどまでに嫌われているのだろう。誰もが、その名前を聞いただけで顔を歪め、既に屋敷の人間ではないミシェルにも冷たく当たった。


 メリザンドを誤解しているのは、ロズだけではない。街の人々もだ。


 それに。これまでにメリザンドを殺してきた連中は、まるで示し合わせたかのように同じことを言っていた。「キャステン家は神の伴侶に相応しい家門ではない」と。


 つまり、彼女たちを誤解している人々は、ミシェルが思うよりももっとたくさんいるのだ。


 なぜ、どうして。疑問は尽きない。



「あの女やキャステン家が嫌われている理由。……知りたい?」



 顔を上げる。ロズは、相変わらず楽しげに笑っている。



(教えてくれる、の? ……本当に?)



 ロズを、じっと見返す。


 悪い人ではない。こんなミシェルの世話を焼いて、食事も、部屋も、服も与えてくれた。時々ひどく意地悪なことをするけれど、たぶん、きっと、優しい人だ。


 ミシェルを叩くこともせず、閉じ込めることもせず、殺そうともしない。だから、優しい人だ。


 そんなに優しいのに、メリザンドのことだけは解ってくれない。


 その理由を、教えてくれるというのなら。



「……しり、たい」



 ロズは笑みを深め、くつくつと喉の奥を鳴らした。



「そう、それじゃあ。ミシェルが納得できる方法で教えてあげるよ」



 見ていることだ、と。蜂蜜のようにとろりとした声で、ロズは言う。



「みている?」


「少し離れて、メリザンドを観察、いや……、傍観するんだ。手を出さず、ただ、じっと眺める。近くにいると見えなくなることは、たくさんあるからね」


「ちかくにいると……」



 確かにミシェルは、メリザンドの一番近くにいた。だからこそ分からないことが、あったというのだろうか。


 揺れる馬車の窓に手を当てて、なんとなく外を見る。ちょうど、キャステンの屋敷前に差し掛かる頃だった。


 敷地の出入り口である鉄製の豪奢な門は、四人がかりでなければ開かない。いつもは閉ざされているその門が、開いていた。一台の馬車が、そこへ入っていく。


 ミシェルは小さく息を呑んだ。


 あれは、メリザンドの馬車だ。伴侶役の務めである祈りを終えて、神殿から屋敷に戻ってきたようだ。


 向こうは窓のカーテンを閉めていて、中の様子は分からない。


 ロズが隣から身を乗り出して、窓に張り付くミシェルの背中から覆い被さってきた。こて、と顎を置かれた肩が、少しくすぐったい。


 そうやって顔を並べて、屋敷の門をくぐるメリザンドの馬車を見送った。



「……離れることで、解ることもあるよ」



 耳元で、ロズが囁く。



「そうしたらきっと……、ミシェルは、真の理解者になれるよ」


「お嬢様の……?」


「うん」



 それはミシェルの、望むべくものだ。


 振り返ると、ロズは体を起こして微笑んだ。


 いつもミシェルに意地悪をするのとは違う、柔らかい表情だ。



「これは嘘じゃないよ。ロズノアテムの名にかけよう」


「……はい」



 信じてみよう。ここまで言ってくれる、この意地悪だけど優しい少年を。


 遠く離れた所から、メリザンドを見守って。彼女がこうまで誤解される理由を知って、それを解決することができたなら。


 もしかしたら、次こそはメリザンドが殺されずに済むかもしれない。時間も巻き戻ることなく、正しく未来に進めるかもしれない。


 侍女に戻れる、なんて甘い期待は抱かない。けれど、メリザンドが明るく笑っていられるなら、ミシェルにはそれで十分だ。


 ミシェルたちの乗る馬車は、ゆっくりと屋敷の前を通り過ぎた。







 夢見るような瞳で何度も後ろを振り返り、色の薄い唇に仄かな笑みを刻む。そんなミシェルの姿に、ロズは緩む顔を抑えきれなかった。


 どこまでも愚かな少女。またもや騙されたことに気付きもしないで、あるはずもない『幸せな未来』に想い馳せている。


 すべては、ミシェルをメリザンドから引き剥がし、ロズの手中に取り込むための策略だというのに。


 確かに、嘘はついていない。ミシェルには見えていなかったであろうメリザンドの姿を、遠く離れた場所から眺めれば、真に理解することができるだろう。


 これまで見ていた優しい女主人の姿は、ただの幻想でしかなかったのだと。


 いつになれば気付くだろうか。そのときミシェルは、一体どんな顔をするだろう。



(……ああ、待ち遠しいなあ)



 まやかしの輝きが消えた時、あの青い瞳はどんなふうに、歪んで、濁って。きっと、何よりも美しいに違いない、そんな確信がある。


 そして、そのかわいそうな瞳がロズだけを映してくれたのなら。


 ぞくぞくと腹の底が疼いて、こらえきれなくて。



「……あは、」



 小さな笑い声が、転がり落ちた。

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