第12話 美味

 購入した服を持ったロズが、機嫌よさげに街を歩いている。服屋までの道のりと同じように手首を掴まれたミシェルは、新しいワンピースの感覚に戸惑いながらも、手を引かれるがままについて行った。



「この後は、そうだな。雑貨なんてどう? 今は炊き出し用の食器を使ってもらってるけど、他の神官は自分のを持ってるからね。あとは、部屋に置いておく文房具とか、小物とか……、」



 楽しそうに話し続けるロズは、ミシェルの意見を聞く気など無さそうだった。彼が言うようなものなんて、何一つ、欲しくはないのに。


 ミシェルの不満が伝わったのだろうか。ちらりとこちらを振り返ったロズは、口の端を吊り上げた。


 きらきらと悪戯な光を宿す瞳は、いつもの眠気をどこかへ追い出している。



「何か考えてるなら、口に出さないと分からないよ」



 口に出さずとも十分なように思うのだが。立ち止まってまで言葉を促してくるロズは、何としてもミシェルに喋らせようとしているようだった。



「……ほしくありません」



 食器はある物を使えばいい。文房具を使うような習慣はミシェルにない。小物とはいったい何を指すのか。部屋には最低限の家具があればそれでいい。


 服は神殿のためだというから、仕方がない。だが、それ以上は明らかに不要だ。あの優しいメリザンドだって、ここまでミシェルにいろいろな物を与えることはなかった。


 どうしてロズは、ここまでするのだろう。不必要な程に、与えようとするのだろう。


 理解できない。理解できない。



「どうして?」



 ロズは笑んだまま、そう問いかけてきた。


 ――どうして?



「どうして、欲しくないの?」


「いらない、から」


「どうしていらないの?」



 微笑んでいるのに、ロズの視線が冷たいのは何故だ。



「使わない……、から」



 だって、何か意味があるのか。寝て、起きて、仕事をする。それで一日は終わる。それ以外には何もない。


 だから、そこに使わないものなど、いらない。



「ミシェル。君はとってもかわいそうだね」


「なにが、」


「僕は君の気持ちを尊重してあげるつもりだけど、これに関しては譲らないよ。最低限必要だと思うものは、僕や神殿が用意する。雇うからには当然のことだ」



 君の元主人は、その当たり前のことすら知らなかったらしいけど。


 明確な嘲笑の滲むロズの声に、じわりと腹の奥がざわめいた。体の底で虫が這い回るような、この感覚は不快だ。



「どうして、お嬢様を、わるく言うの」


「僕は事実を述べているだけだよ」


「まちがっています」


「君がね」



 視線がぶつかる。冷たい笑みを孕んだロズの目は、とてもまっすぐだ。自分こそが正しいと、確信している。


 そんな風に見つめられたら、ミシェルはたじろいでしまう。「悪いのはミシェルなんだから」。メリザンドの声が耳で木霊する。


 悪いのも、間違っているのも、ミシェルなのだ。でも、それならロズの言うことが正しいのだろうか。



(そんな訳が、ないのに)



 だって、ロズが正しいとするなら、メリザンドが極悪人だということになってしまう。



(なら、なら……。正しいのは……)



 がくん、と思考が止まった。難しいことを考えるのは、ミシェルの役目ではない。ただ命令に従って、与えられた仕事をこなせばいいのだ。


 それ以外のことなんて、ミシェルには必要ない。



「……つまんないの。まあ、いいや。ミシェルが何と言おうが、僕がやることは変わらないからね」



 ミシェルの手首を掴んだまま、ロズはぶらぶらと腕を振った。


 既に瞳の輝きは失せ、眠たげな顔に戻っている。彼は重そうな目線で、ぐるりと周囲を見渡した。



「買い物もだけど、少しお腹空いてない? そろそろ昼時だし、そこらの屋台で何か食べよう」



 自由奔放な神官見習いに手を引かれるがまま、ミシェルは街の中へと歩き出した。







 屋台で食べ物を買う、などという経験も、当然ながらミシェルにとっては初めてだ。たとえメリザンドがミシェルを連れて街に出たとしても、道端で物を食べるようなことは決してしなかっただろう。


 ミシェルは相変わらずロズに引っ張られながら、街の大通りを抜け、屋台ばかりが並ぶ道に出た。心なしか、人々の喧騒が大きく聞こえる気がする。


 果物や野菜をそのまま売っている店もあれば、店先で調理をしているところもある。あちこちから呼び込みの声が上がり、判別しきれない様々な匂いが漂う。ミシェルに分かるのは、何かが焦げている匂いだけだ。


 ロズは妙に弾んだ足取りで屋台を覗いている。時々ミシェルの方を振り返るが、何を食べるかとは聞いてこない。


 客引きの声に耳を傾け、ロズが足を止めたのは、燻製肉がいくつも吊るされている屋台だった。髪に白いものが混じった男が、不揃いな歯を見せて笑う。



「豚の燻製だよ。神官様、食べてくかい?」


「じゃあ二つ、ちょうだい」



 ミシェルが何かを言う前に、ロズはコインを出していた。金額を確かめた屋台の男は、傍に吊るされた燻製肉を二切れ分、薄く切り取った。それを鉄板に乗せる。じゅうじゅうと、肉の焼ける音が耳を打つ。


 ちらりとロズに視線を向けると、何故か彼はこちらを見ていた。目が合ってしまい、ミシェルは慌てて鉄板に視線を戻した。


 生肉とは少し違う、引き締まった肉がじりじりと焼けていく。屋台の男はどこか楽しそうに、何度か肉をひっくり返した。


 焼けた肉をそのまま渡してくるのかと思ったら、男は黒パンを取り出した。肉を切ったのとは別のナイフを使い、パンに切れ込みを入れる。そこへ、片手で器用に折り畳んだ燻製肉を挟んで、何か茶色いソースをたっぷりとかけた。



「ミシェル、受け取って」


「ほい、お嬢ちゃん、どうぞ」



 満面の笑みと共に差し出されたパンを、ミシェルは恐る恐る手に取った。ロズが先に食べるのを待とうと思ったら、男に苦笑されてしまう。



「熱いのが苦手じゃなけりゃ、すぐに食べてくれよ。焼きたてが一番うまいんだ」



 ロズを見た。顎をしゃくってくる。食べろということだろう。


 ミシェルは素直に、パンの端をかじり取った。男の言う通り、挟まれた肉は熱い。ソースがかかっているところは、少し舌がピリピリする。土台になっているのは黒パンなのに、油とソースを吸ったところが柔らかく、噛みやすい。


 屋敷で見ていたステーキとは、まったく違う。メリザンドは食べたいと思うだろうか。


 ミシェルがちまちまと食べている間に、ロズも自分の分を受け取っていた。ミシェルの三倍くらい大きく口を開けて、豪快にかぶりついている。


 屋台の男は、ニコニコと笑いながらそれを見ていた。



「美味いだろ? お嬢ちゃん、どうだ?」



 訊かれて、ミシェルはパンを咥えたまま固まった。


 ロズにも何度か尋ねられたことがある。食事をしていると、「美味しい?」と、決まり文句のように。


 けれど、こういう時、何と言っていいか分からない。



「ミシェル」



 すでに半分以上パンを食べているロズが、目を細めた。



「美味しいか、って、訊かれてるよ。答えて」



 命令されたから、答えないといけない。


 美味い、美味しい、とは。


 パンを口から離して、じっと見つめる。焦げ目の付いた肉、とろりと垂れるソース。



「……おいしい、って、なに……?」


「おお……。お嬢ちゃん、それはなかなか難しい話だなあ」



 屋台の男は目を丸くして、ううーん、と唸った。



「改めて聞かれると分からんな……。神官様、何かありがたい教えは無いか?」


「……ロズノアテムは食の神じゃないんだけど……」



 話を振られたロズが顔をしかめる。口の端に茶色いソースが付いていた。


 けれど、そうだ。ロズもよく、ミシェルに同じことを聞いてくる。だから、美味しいとは何か知っているはずだ。


 期待を込めてロズを見上げると、戸惑ったように視線が揺れた。



「……僕だって、そんなの分からないよ」


「そうなの……?」


「う……」



 ロズにも分からないなら、誰に教えてもらえばいいのだろう。メリザンドは知っているだろうが、尋ねることはできない。なら、神官長だろうか。


 少しがっかりしていると、ロズがたじろいだ。



「僕だって……、最近までそんなの気にしたことなかったから、分からないんだけど、さ」


「ロズ?」


「食べた時に、幸せな気分になって……。そうだな、誰か好きな相手に、分けてあげたいと思えるのが、美味しいってことなんじゃないかな」



 やけに難しい顔をしながら、ロズはぽつぽつと語る。


 好きな相手に、分けてあげたいと思える。それが、美味しいということ。


 ミシェルはゆっくりと、その言葉を噛み締める。



(お嬢様が食事を分けてくださったのは、そのため?)



 そうだったとしたら、とても嬉しい。


 それに、この燻製肉とパンだって。


 半分ほど食べたパンを、じっと見つめる。


 食べた時に思いだしたのは、メリザンドのことだった。平民の食べ物だから、公爵家の令嬢であるメリザンドが口にすることはないだろう。でもきっと、これを食べたとしたら笑ってくださるはずだ。



「ロズは……」


「なに、ミシェル?」


「ロズは、おいしいものをあげたい人、いますか?」



 あんな風に言うからには、ロズにもそんな相手がいるのだろう。ミシェルにとってのメリザンドのような、大切な相手が。



「……ミシェルが僕のことを聞くのは、初めてじゃない?」



 ふっと息を吐いたロズは、ゆるやかに目を伏せた。赤い瞳が睫毛の陰に隠れる。



「……いるよ。友達がひとりと……、最近は、もう一人」



 友達がいたのか、とは、流石に口にしたら怒られるだろう。ミシェルは慣れた感覚で口を噤んだ。



「さすが神官様、良いこと言うねえ」



 屋台の男は感心したように何度も頷いている。


 褒められているはずのロズは、何故か顔をきつく顰めてパンの残りを口に放り込んだ。


 かと思えば、にやりと唇を吊り上げて、ミシェルの顔を覗き込む。



「ミシェルは、誰を思い浮かべた?」


「お嬢様です」


「だと思ったよ」



 がらん、と、ナイフが鉄板の上に落ちた。


 屋台の男が笑みを消して、ミシェルを見ている。さっき服屋の店主が、突然態度を変えたのと同じように。


 何かを嫌悪するように、目を歪ませて、歯を剥き出している。



「……あんた、お屋敷の人か」


「え、あの」


「違うよ。この子は神殿預かり。……今はね」



 口ごもったミシェルの代わりに、ロズが答える。どこか楽しそうな口調だ。この感じは、知っている。ミシェルに意地悪を言う時の口ぶりだ。



「お嬢様ってのは、キャステンのご令嬢だろ」


「そう。かわいそうに、散々尽くしたのにクビにされたんだってさ」



 侍女を辞めることになったのは、ミシェルの失態のせいだ。それも、決めたのはメリザンドではなくキャステン公爵。見捨てられたわけではない。


 メリザンドは何も悪くない。なのにどうして、ロズはこんな意地悪を言うのだろう。屋台の男は、嫌悪感をむき出しにして屋敷のある方を睨むのだろう。



「……悪いな、お嬢ちゃん。どんな事情かは知らないが、お屋敷の関係者とは関わりたくないんだ」



 男はミシェルと目を合わせないようにしながら、鉄板に落ちたナイフを拾い上げた。



「特にあの、悪名高いキャステンのご令嬢に近いんなら……。すまん、もうここには来ないでくれ」


「悪名、高い?」



 この男は何を言っている。


 メリザンドは優しくて、明るく快活な、何ら欠点のない令嬢だ。そのメリザンドが、悪名高いなどと。


 違う! と叫びたかったけれど、ロズがさりげなくミシェルを背後に隠したから、その機を逸してしまった。



「悪かったね。美味しかったよ、ありがとう」



 弾んだ声でコインを追加したロズは、納得のいかないミシェルを引きずるようにして、屋台通りを後にした。

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