第11話 服屋
店内は明るい、清潔感のある空間だった。入って正面には作業台があり、壁際の棚に布が山と積まれている。
作業台の内側には、ややふっくらとした中年の女性が座っていた。女性はドアベルの音に顔を上げ、ミシェルたちを見て怪訝そうに眉を寄せる。
「……いらっしゃい。見ない顔だけど……」
神殿と契約しているのではなかったのか、と隣のロズを見上げると、少しだけ面倒くさそうにため息をついた。
「ロズだよ。こっちは新人のミシェル」
「……ああ! あんたかい。滅多に来ないから分からなかったよ」
どうやらロズは、仕事を怠けすぎて顔を忘れられていたらしい。にこやかな顔になった女性は、立ち上がってこちらに近寄って来た。
思わず半歩下がったミシェルだったが、ロズに阻まれて元の立ち位置に戻された。
「ここの店主だよ。名前は……、忘れた」
「失礼な子だね、本当に」
苦笑している店主だが、怒ってはいないようだ。ロズの肩を叩き、ミシェルを見る。穏やかな目だった。
「新人ってことは、神官服の注文かい? 女性神官は珍しいね」
「いや、神官じゃなくて。下働きをしてもらうんだけど、着るものをほとんど持ってないんだよ」
「その子に服を見繕えばいいんだね?」
ロズが頷く。分かったよ、と店主が応じた。
「……え?」
「ミシェルだっけ? うちは平民向けに古着も扱ってるけど、神殿の人なら一から仕立ててもいいし、すぐに欲しいなら試作の服も出せるよ」
店主はミシェルに話しかけている。ロズではなく。
狼狽えて首を振る。ただの買い出しだと思っていたのだ。まさか、ミシェルの服を買うつもりだとは思わなかった。
着るものが無いとロズは言うけれど、洗い替えも含めて三着は持っている。それだけあれば十分だと思うのだが。
「あー。ミシェルは多分、自分で選べないよ。僕が決めるから、試作っての持ってきてくれない?」
「分かったよ。どんなのがいい?」
「動きやすそうなのと、普段使いできる奴」
「少し待ってておくれ」
店の奥へ消えて行った店主を見送り、ミシェルはロズの腕を掴んだ。
何も聞いていない。わざわざ新しい服を買わずともいい。ミシェルのための服など、もったいない。
そんな訴えを、言葉にせずとも察したのだろう。ロズは少しだけ目を細めて、ミシェルの頭に手を置いた。
「うちの神殿には、あちこちから色んな供物が集まる。食べ物はそのまま消費するけど、生地とか宝石とか、加工しないと使えないものは店に卸してる。神殿に置いてたって、死蔵するだけだからね」
「……」
頭の上の手に、ちょっとずつ力が込められている気がする。
「この店には布と糸を卸してる。それで服や寝具なんかを作ってもらってるんだ」
「……」
ぐ、と上から頭を押される。
「僕たちの神官服も、普段着も、全部ここで用意してもらってる。ミシェルだけじゃないんだよ?」
「……押すの、やめて……」
ぐ、ぐ、ぐ、と押してくる手は、どうやらミシェルに怒っているらしい。ロズはまた、不機嫌そうな顔をしていた。
「仮にも神に仕えている者が、ボロを着てるなんてありえないんだよ。『ロズノアテムは自分の神殿すら蔑ろにしている』なんて言わせたくなかったら、まともな扱いに慣れて」
それはもう脅しではないだろうか。だが、そう言われてしまえば従うしかない。神殿の外聞に関わる。そうなれば、伴侶役であるメリザンドにも影響があるかもしれないのだ。
ミシェルがこくりと頷いたところで、店主が戻って来た。腕にいくつもの布を抱えている。
「すぐに出せて、その子に合いそうなのはこの辺りかね。あんまり華美なものは苦手そうだから、簡素なのを持ってきたよ。ロズノアテム様の神殿だしね」
店主が広げて見せてくれたのは、飾りの少ないワンピースやスカートだった。どれも丈が足首にぎりぎり届かないくらいで、確かに動きやすそうだ。
「少し固い生地を使ってるから、足に絡まらない。仕事着にするならいいと思うよ」
「いいね。普段着の方は?」
「古着なら、流行りの形をしたものがいくつかあるよ」
「古着は駄目。新しいので」
「それならもう少し柔らかい生地で、似たような造りのなら。装飾が欲しいなら増やすかい?」
「そうして。今度また取りに来るよ」
ミシェルが何も言わないうちに、ロズがさっさと買う服を決めてしまう。店主はそのうちの一着を取り出して、ミシェルの体に当てた。
「あんた細いからね、少し大きいかもしれないが……。神殿なら飢えることもないだろう。しっかり食べて、もう少し肉をつけな」
「あ……、はい」
「せっかくだから、新しい服を着ていくかい?」
またもやミシェルが返事をしないうちに、ロズが「そうするよ」と答えた。
メリザンドから賜った服を変えたくはないのだが、店主がいそいそと着替えの準備を始めてしまった。
「ほらミシェル、その外套、脱いで」
ロズに促され、ミシェルは渋々と外套の紐を解いた。羽織っていたそれを受け取ろうとした店主が、目を丸く見開く。
「あんた、それ……。なんてもの着てるんだい! もはや服ですらないじゃないか、布だよ、布! 布を縛ってるだけだよ!」
「え……」
「今どき奴隷でも、もっとまともな服着てるよ! ……いや、悪かったね。追剥にでも遭ったのかい? それで神殿に保護された?」
なんだかとんでもない誤解をされている。そのせいだろうか。胸の奥がむかむかする。
奴隷にも劣る格好だなどと。追剥に遭ったなどと。メリザンドが与えてくれた服なのに。
けれどそのむかむかは、喉の奥に蟠って、明確な言葉にならない。
黙り込むミシェルに、店主が顔を歪めた。
違うと、そうではないと言いたい。それなのに、声が自由にならない。
その代わりをするように口を開いたのは、やはりロズだった。
「ミシェルはキャステンの屋敷にいたんだよ。かわいそうだよね」
言葉と裏腹に、ロズの口調には笑みが含まれている。何が楽しいのかは、ミシェルには分からない。
「屋敷に……?」
そして、店主は何故か、ミシェルから一歩遠ざかった。
「そ、そうかい。……ロズ、支払いはいつも通り、まとめて頼むよ。あと……、後日渡す商品については、無理にその子を連れて来なくていい」
歯切れ悪くそう告げた店主は、手にしていた服をミシェルに押し付け、背を向ける。
「……これから街を歩くなら、着替えた方が良い。同情はするけどね、あたしだって自分と家族が可愛いんだ」
さっきからこの店主は、一体何を言っているのだろう。
屋敷を出てから、こんなことばかりだ。メリザンドのように明確な言葉をくれる人はいない。訳の分からないことばかりで、誰も彼もがミシェルを煙に巻こうとしているかのよう。
それに対して、反論することも、問いただすこともできないこの口が、心底悔しい。
きつく唇を噛むと、隣にいたロズが微かに笑った気がした。
「助かったよ、店主。着替えたらすぐに出る」
「ああ、そうしておくれ」
ほっと安堵の表情を浮かべた服屋の店主は、決してミシェルと目を合わせようとはしなかった。
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