第10話 買物

 朝食の後、ミシェルはロズに連れられて、神殿を出た。


 ワンピースだけだと寒いだろうからと、神官長が神官用の袖のない外套を出してきた。ミシェルが着て良いものではないと断ろうとしたが、神殿の人間ならば相応しい恰好をしなければ、と言われてしまった。


 仕方なく、神官長に言われるがままローブを羽織った。隣に並ぶロズは、いつもと同じ神官服だ。



「じゃ、行こう」



 神殿の前には、ロズノアテムの薔薇が描かれた馬車が停まっていた。メリザンドが使っているものより一回り小さいが、しっかりした造りの箱馬車だ。御者が二頭の馬を宥めるように、首を優しく叩いていた。



「街まではちょっと距離があるから、馬車に乗るよ。歩くのだるいし」



 神殿は街の外れ、丘の上に立っている。丘の麓にはキャステン家の屋敷があり、さらにその南にロズノアの街が広がっている。歩いて行けない距離ではなく、街に住む平民は足で神殿を訪れる。馬車は単に、ロズが使いたいだけだろう。


 エンテ神聖国が他の国と違うのは、土地を所有しているのが神々であることだ。この辺りの土地は、すべてロズノアテム神のものだ。王城のある都は、全知の神サクスピエンティムのもの。


 ただ、神が統治に関わる事はほとんどない。その神を祀る家が、領地の運営を代行するのだ。


 ロズノアは、キャステン家がロズノアテム神より預かり、治めている街の一つだ。



「……。先に言っとくけど、ミシェル。街で何を聞いても、怒ったら駄目だよ」



 馬車の扉を開けたロズが、振り向きざまミシェルに言った。そして、目を細めて薄く笑う。



「ま、怒るにしても口が追いつかないだろうけど」



 そんなことはない、とすぐに反論できないのが、彼の言葉が正しいと証明してしまっている。思わず俯いた視線の先に、大きな手が差し出された。馬車に乗り込んだロズが、当然のように名前を呼ぶ。



「ほら、ミシェル」


「……」



 手を重ねると、力強く引っ張り上げられた。そのままの勢いで、ロズの隣に座る。


 外から扉が閉められ、少しして馬車が動き出した。







 街までの道中、会話はなかった。ロズはあっという間に寝息を立て始め、声を掛ける暇もなかった。彼が起きていたとしても、何を話していいかは分からないが。


 丘を下る馬車の小さな窓からは、キャステン家の屋敷が見えた。


 メリザンドはどうしているだろうか。生きて未来に進むため、今もまだ悩み続けているはずだ。傍にいられないことが、こんなにももどかしい。



(お嬢様を手助けできるのは、私だけなのに)



 メリザンドの命令で、パーティーで毒を盛った犯人を調べ上げ、野盗に見せかけて馬車を襲った首謀者を突き止め、着せられかけた濡れ衣を打ち払った。いずれも、キャステン公爵家の権力を欲した、愚かな貴族の仕業だった。


 エンテ神聖国のみならず、この世界にとって重要な時の神、ロズノアテム。その祭事に欠かせない伴侶役に選ばれる栄誉を、キャステン家が独占していると。


 「キャステンはロズノアテム神の祭祀に相応しい家門ではない」などと、馬鹿々々しい言い分だ。


 建国の頃から時の祭祀を司ってきたのは、キャステン家。その歴史を軽んじて、どうしてロズノアテムの伴侶として選ばれると思えるのだろう。


 そんな理由で、メリザンドは何度も殺されたのだ。


 窓の外、慣れ親しんだ屋敷が後方に流れていく。馬車に揺られながら、ミシェルはそっと瞑目した。



(どうか、今度こそ。お嬢様が生きられますように)







 ロズノアの街に来るのは初めてだ。エンテ神聖国でも有数の都市であ

り、その賑わいは聖都とも肩を並べるほどだという。


 馬車を降りたミシェルは、ロズの背中に隠れるようにしながら歩いていた。


 石組みの家々が見渡す限り続く光景。前も、後ろも、それに上にも壁が伸びている。生まれた家とキャステンの屋敷しか知らないミシェルは、延々と建物が並んでいるのをぽかんと見上げるしかない。鎧戸の開いた窓からは洗濯物や鉢植えがぶら下がり、吹き抜ける風に揺れていた。


 そこに、見渡す限りの人、人、人。これまでの人生で見たこともない数の人間が、通りを行き交っている。その人波をかき分けるように、馬車がゆっくりと走っていく。


 あちらこちらで話し声、笑い声が響く。馬の蹄が石畳を叩き、木の車輪がゴトゴトと音を立て、馬車の車体が軋む。それらを覆うように空に響く、大きな鐘の音。


 色も、音も、溢れ返っている。目を回しそうな心持ちで歩いていると、ロズが振り返ってミシェルの腕を取った。



「ごめん。こうしておいた方が安心だよね」



 手首を掴むロズの手には、ほとんど力が入っていない。



「ここは正面の大通りだから、特に人が多いんだ。ここを抜ければもっと楽に歩けるようになるよ」



 ミシェルの手を引きながら、ロズは迷いなく進んでいく。そこでようやく、何を買いに行くのか聞きそびれていたことに気付いた。



「ロズ。どこに……?」


「ちゃんと文章で喋って」


「え……、っと。どこに、行くんですか?」



 んー、と首を傾げ、ロズは考えているようだった。



「行きたいところは色々あるんだけど、まずは服屋かな」


「服、ですか?」


「そう。うちの神殿と契約してる店があるんだけど、そこに」



 神殿と契約しているということは、神官服などを手掛けている店だろうか。


 神官服は白と決まっているが、その装飾には神殿ごとに様々な特徴が出る。ロズノアテム神殿は、当然の如く簡素な装いだ。だが、素材の質は良い。布も糸も、最高級のものを使っていると聞く。


 ミシェルはロズの背中に縫い取られた、色とりどりの薔薇を見つめた。


 装飾は質素に。とはいえ、神の象徴だ。目立ちすぎぬように、けれど格を落とさぬように。配慮された刺繍は、実に美しく、見事なものだった。


 薔薇の刺繍をひらめかせながら、ロズは周囲を見渡し、ミシェルを引っ張る。



「こっち」



 大通りを少し進んで、角を左に曲がる。道幅は狭くなったが、ロズの言う通り、人が減って歩きやすくなった。



「ミシェルは、こういう所、来たこと無いの?」


「はい」


「お使いに出たりとかは?」


「ありません」


「……ふーん」



 どうしてそんなことを聞くのだろう、と思ったが、それを確認する前にロズの足が止まった。ここだよ、と言われて、ミシェルは何度か目を瞬かせる。


 見上げた先、扉の上には看板が掲げられている。トルソーと布地が描かれていて、服屋であることは確かだ。


 だがしかし。神殿と契約している店だと聞いたが、とてもそうは見えない。


 こじんまりとした入り口には、年季の入った木の扉。その隣に備えられた窓も小さく、嵌められたガラスは大きく歪んでいて、中をはっきりと見ることができない。店舗自体も、そこまで大きくはないようだ。


 平民向けとまでは言わないが、神殿や貴族を相手にするような店構えとは思えない。それともミシェルが知らないだけで、屋敷に来る商人たちもこういった小さな店を拠点にしているのだろうか。



「ほら、入るよ」



 戸惑うミシェルの背中を押して、ロズが店の扉を開けた。

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