第7話 仕事
「ミシェル様、お加減はいかがですか?」
「もんだい、ありません」
寝ているようにとロズに言われ、ベッドに横たわっていたミシェルの元に、神官長が布のかけられたお盆を持ってやって来た。
神官長はお盆をテーブルに置き、その中からティーセットを取り出す。
「おや、酷い声ですね……。次は、蜂蜜入りの紅茶でも用意しましょう」
神官長は穏やかに、身体を起こしたミシェルに微笑みかけた。
「いえ、そんな……」
「いろいろとロズにお願いしてはいるのですが、あの子は仕事をほとんどやらない子でしてね。正直、ミシェル様に興味を持って世話を焼こうとしているのが、意外な程なのですよ」
ロズのことはまだよく分からないが、確かに仕事はしていなさそうだ。火も起こせないと言っていたし。
しかし、テーブルでお茶の準備をしている神官長は、何故か楽しそうだ。
「あれは、少し厄介な体質を抱えていましてね。まあそのせいで、仕事をサボるのが当然になってしまっているのが、悩みの種なのですが」
笑いながら言うことではないと思う。
神官長はミシェルにお茶のカップを手渡し、昨日のロズのように椅子を持ってきて、ベッドの横に腰を下ろした。
「さて、ミシェル様。そのままで聞いてくださいね」
「はい」
「神殿にいらしてから、何もお話ができておりませんでしたので。気になっていらっしゃる、仕事の話をしてもよろしいでしょうか?」
真剣な話だ。ミシェルは居住まいを正して、神官長の顔を見た。
ロズは、「仕事なんてない」と言っていた。でも、そういう訳にはいかない。ミシェルはとにかく、ここで働くことで誠意を示さねばならないのだから。
「恐らくロズも軽く話していると思いますが、実はこの神殿では、やってもらう仕事がほとんどありません」
「……え」
まさか神官長にも同じことを言われると思わず、ミシェルは狼狽えてしまった。それが顔に出ていたのだろうか。神官長は小さく笑った。
「ロズノアテム神の御意向で、この神殿は質素な暮らしを旨としています。他の神々と違い、時の流れ以外では現世に介入されない神ですから。神官の数はいらない、神殿を必要以上に飾り立てる必要もない、と」
その話はミシェルも知っている。
神々は気まぐれに現世に姿を見せ、人間と関わりを持つ。その在り方は神によって様々だ。エンテ建国に携わった神は、時の神ともう一柱、全知の神サクスピエンティムだ。その全知の神は、王家の管理する巨大で豪華な神殿を持っている。彼の神は、エンテ王家に助言をしながら、その治世を導いている。
清貧を好み、人との関わりも少ないロズノアテムと、絶対的な存在として君臨し、王家を導くサクスピエンティム。対照的なこの二柱が、エンテ建国の主神として崇められている。
だがこの二柱が絶対だという訳ではなく、農業の神や愛の神など、国の境なく民に信仰されている神もいる。
遥か遠い山の向こうには、女神が王を決める国さえあるのだという。
「ロズノアテム神が、我々に求めることはほとんどありません。捧げられた供物を管理すること、毎日の祈りを絶やさないこと。それだけです。我々神官は、供物をいただいて生活することを許されています」
「……はい」
「そういう訳で、神官としての仕事もほぼありません。神殿の掃除、祭壇と供物の管理。それとこれは、我々の自己満足ではあるのですが、庭の花壇を世話すること。あとは自分たちが生活するための家事くらいなものです」
ここで神官長は一旦話すのをやめて、ミシェルに茶を飲むように促した。言われた通り、紅茶を口に含む。メリザンドが好んで飲んでいる紅茶と、香りが似ている気がした。
「清貧、とはいえ。世界の時間を司るロズノアテム神ですから、供物は良いものがたくさん集まります。その紅茶や、昨日お出しした白パンもそうです。神殿内で消費しきれない分は、民のために炊き出しをしたり、配給を行ったりしています。これも、我々が勝手にやっていることです」
こうして並べられると、それなりにやることはありそうに聞こえる。
ところが神官長は、両手を広げてミシェルに見せた。
「ここの神官は、私を含めて十人います。そこに、仕事をしない見習いのロズを足して十一人。そうすると、十分すぎるほどに手が足りてしまっているのですよ。この神殿は、あまり広い方ではありませんし」
かくいう私も、今日は非番です。そう言って、神官長は広げていた手を引っ込めた。
(どうしよう)
ミシェルは体から血の気が引くのを感じていた。
このままではメリザンドの厚意を無駄にしてしまう。ここで居場所を作らないと。追い出される訳にはいかない。
ミシェルの焦燥を、知ってか知らずか。神官長は穏やかなままの表情で、口を開いた。
「そこで、ミシェル様にお願いしたいことがあるのです」
「は、はい! どんな、ことでも」
まるで天から差し伸べられた救いの手だった。
役に立てることがあるのなら、全力でそれをやり遂げなければ。そうでなければ、ミシェルに価値はない。
「ロズに、仕事を教えて欲しいのです」
「しごと、を……」
「先ほども言った通り、ロズは何もできないのです。簡単な掃除はおろか、自分の服の洗濯すら。せめて、簡単な手伝いくらいはできるようになって欲しいのですが……」
ずっと穏やかな雰囲気だった神官長が、額を押さえて大きなため息をついた。随分と手を焼いているらしい。
そのためだろうか、神官長の声はまるで懇願するような響きを伴っていた。
「ミシェル様は、キャステンのお屋敷で様々なお仕事をされていたと聞いています。是非、その技術を役立ててくださいませんか?」
そんな風に乞われるまでもない。どんな内容であれ、働かせてもらえるのなら構わない。
「もちろん、です」
ミシェルは意気込んで頷いた。良かった、と神官長が破顔する。
立ち上がった神官長は、椅子を元あった場所に戻した。そして、テーブルに置かれたままだったお盆から、布を取り払う。
それは昨日と同じ、スープと白パンの食事だった。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「では、まずは食事を」
「え? あの……」
「体力は必要ですよ。しっかり食べて、よく眠る。この基本ができていない人間に、仕事は任せられませんからね」
神官長は笑みを崩し、厳しい顔をしてそう言った。
反射的に体を竦める。つまり、今のミシェルには働く資格もないということか。
確かに、最初に倒れた姿を見せてしまったから、それは仕方ない。追い出されないだけ、まだいい方だ。
「ですからミシェル様、今は体調を整えることを優先させてください。ある程度はロズに任せていますが、私も様子を見に伺いますよ」
ミシェルは頷いた。それ以外に、できることはない。
神官長はまた微笑んで、「それでは」と部屋を出て行こうとする。ミシェルは慌てて、その背中に声を掛けた。
「あ、と、しんかんちょう、さま」
「はい。何でしょう、ミシェル様」
ずっと、気になっていた。
神官長の口調と、ミシェルに対する呼称。以前はメリザンドの侍女という立場があったから、神官たちに「ミシェル様」と呼ばれるのも、我慢していた。
ロズノアテム神殿は、キャステン家の管理下にある。下位の使用人ならともかく、直系の令嬢に付く侍女となれば、神官よりも上の身分となる。特にメリザンドは次の伴侶役だから、なおさらだ。
けれど、もう改めるべきだ。そもそもミシェルは、敬われるような人間ではない。
「ミシェルさま、は、ちがいます」
「……」
「ミシェル、と、よんでください」
ミシェルはただの脇役、舞台の端で場を盛り上げるためだけの存在だ。
「……あなたが、そうおっしゃるのであれば」
何かを噛み締めるように、神官長はゆっくりと頷いた。
「ですが、私にとってあなたはいつまでも、『ミシェル様』なのですよ」
「……?」
神官長が何を言っているのか分からない。しかし彼はそれ以上何も語らず、今度こそ退室していった。
よく分からないこともあったが、ともかく、これからの生活はなんとかなりそうだ。何より、メリザンドの「いつでも会えるように」という望みを叶えられる。
そうすれば、これからもメリザンドを救うための手助けができるはずだ。
安堵のため息をついて、手にしたティーカップを見下ろした。
(ああやって、言えばどうにかなることもあるんだ)
それなら、「仕事がしたい」と言えばもっと働かせてもらえるのかもしれない。次に神官長と会う時は、言ってみよう。
言葉を伝えられるというのは、便利なものなのだなと、そう思った。
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