3.魔獣の本と大粒のよだれ

 昨夜は興奮ですぐに寝付けなかった。それにもかかわらず、翌日、セルは日の出とともに起き、朝から外へ出た。その顔は自信に満ちている。

 魔獣に食事を与えるのは、一日に一回のみ。生徒それぞれの都合に合わせて良い、という決まりがある。魔獣はいつでもお腹を空かせているからだ。

「それなら断然朝がいいよね。空気がおいしいもん」

 セルは地面に座り込み、左脇に挟んでいた青色の本を開いた。


――魔獣の中には、自然物を利用した道具を使うものがいる。ケンタウロスの弓矢、フォーンの角笛、大熊魔獣の王位継承の冠などがその例だ。道具を生み出し、利用することで、生活を豊かにすることも彼らは知っている。ただしその多くは、再利用され、新しく作られることは稀である。――


「つまり、道具は全部、自然物から作っちゃえばいいってことだよね! まずは簡単な竈を作るぞ!」

 セルは本を片手に、南にある川へ向かった。

 川辺で石を、その道中で焚き付けと火口のための木を集める。

 それを全部馬力の魔法で小屋の前まで運んでくると、石製の風除け付き竈を作った。

 火をつけるのに使ったのは、マッチではなく、火の魔法だ。

「よしっ、これで竈の完成!」

 セルは額の汗をぬぐい、伏せて置いてあった本を手に取った。


――道具を作るため、魔獣たちは魔法で自然物を切ったり、砕いたり、削ったりすることもある。――


「それじゃあ次は、料理を作るために、このカボチャに似た魔獣菜をくり抜いて、大鍋を作る! ……って意気込んだはいいけど、けっこう固そうだなあ。弱い粉砕の魔法を使えばできるかな」

 銅製の大鍋に引けを取らないほど大きく、オレンジ色の固い皮に、中身は緑色をした魔獣菜・チャジムの実。

 皮の上十センチほどを粉砕魔法で外すと、その繊維質な中身を全て取り出し、竈の上にそうっと乗せた。大きさはぴったりだ。

「うんっ、いい感じ! あとは、取り出した中身と一緒に、色んな魔獣菜を入れる!」

 弱い粉砕の魔法を使って、他の魔獣菜を次々に細かく砕くと、その全てをチャジムの実でできた鍋に入れて、じっくりと煮始めた。

 匙のかわりに、木のように固く長細い魔獣菜で鍋を混ぜ続けると、昨日とは違うこっくりとした甘い香りがしてきた。

「いい香り! これなら食べてもらえるかもしれない!」

 夢中になって料理をしていると、いつの間にかセルの周りにはたくさんの魔獣が集まっていた。

 みんな黙ったまま、ジッと鍋の中をのぞき込んでいる。


 ポトンッ ポトッ ポットンッ


 いつもは乱暴な魔獣たちが、よだれをこぼしながら大人しく待っている様子に、セルは思わず声を上げて笑ってしまった。

 まるで子どもみたい。

「もうじきできるよ! 待っててね!」




 この日を境に、セルが守護の魔法を使うことは無くなり、グチをこぼすことも無くなった。

 代わりに、口元には笑みが浮かび、自然と鼻歌がこぼれた。

 使う魔法は、魔獣菜を運ぶための馬力の魔法、火を熾すための火の魔法、魔獣菜を細かくするための粉砕の魔法。

 それから洗浄と修繕の魔法になった。

「来年もこの小屋で過ごす見習い魔法使いがいるんでしょう。きれいにしてあげたら、喜ぶよね、きっと」

 竈の中をきれいに掃除し、テーブルの足をしっかり立つように直し、立て付けの悪い窓の蝶番を調節した。

 ベッドやカーテンは新品のように洗浄し、ほつれを縫い直した。

 それだけで、小屋は見違えるほどきれいになった。


 快適になった小屋のベッドで眠りにつく前、セルは毎晩、少しずつ二冊の本を読むようになった。

 すると、それぞれの魔獣の食の好みがわかるようになった。

「わたし、ひどいことしてたんだなあ。相手のことを知ろうともしないで、何も考えずに作ったものを、『いいから食べて』だなんて」

 歯ごたえ、食感、香り、味、栄養素……。

 魔獣たちは、魔獣菜が持つ特徴を理解し、自分に合ったものを選んで食べているようだ。

「これからは十分気をつけて作らなきゃね」

 使う魔獣菜が増え、工程も増え、料理作りは一日係りの大仕事になった。

 それでも、魔獣たちが夢中になって食べているところを見ると、セルもうれしくなった。


――基本的に魔獣が魔法使いに心を開くことはないとされているが、悪意がないことを根気よく示すと、敵意が薄れ、心を通わせられることが稀にある。――


「確かにこの頃、わたしが離れる前に、鍋に寄って来る魔獣がいるんだよね。今まではわたしが家の前に戻ってから鍋に集まってたのに」

 ある日は、リスに似た小さなげっ歯類の魔獣が、セルの足をよじ登って鍋をのぞき込んできた。落ちないように手で支えても、嫌がられることはなかった。

 他にも、竈を増やすために川から土と石を運んでいると、シカ型魔獣がぬっと現れ、角を使って運ぶのを手伝ってくれたり、火を吹く鳥型魔獣が竈の中に火を熾してくれたりした。

 そういう時は、セルは「ありがとう!」と笑顔でお礼を言った。

「あれってどれも、わたしに心を開いてくれてるってことかな?」


――魔獣と心を通わせ、生涯のパートナー関係を持った魔法使いは百人存在する。しかしそのうちの八十二人は、関係を解消している。魔法使いが裏切り行為を働いた場合、魔獣たちが本能的に持っていた警戒心を呼び覚ますこととなる。そして二度と、同じの魔獣と心を通わすことはできなくなる。魔獣と関係を持ちたいのならば、常に魔獣に対して愛情を持ち、決して裏切らないことを誓わなければならない。――


「……試験が終わって、わたしが急に来なくなったら、それも裏切りになるのかな」


――魔法使いと魔獣は共通の言語を持たない。しかし、どちらも同じ魔力という特殊な力を持っている。そのため、互いに信頼関係と伝える意思を持てば、互いの思いは通じると言われている。――


「信頼関係かあ……」

 自分と魔獣たちの間に信頼関係があるのかは、セルにはわからなかった。

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