Episode.3...Road of junction.

 ……だけどね。僕にあの時一つだけ後悔があるとすれば、あの時君を捕まえずに終わった事くらいだろうか。やはり、あの時の、クラっと来るくらいに、全ては多分君で包まれていた。しかし、その志向と共に僕は僕の人生はそこで終わることはなかった。

 選択肢の問題ではない。

 序列と称して世界の女性をランク付けしたわけでもない。

 単純に、彼女と出会うには早すぎたのだ。

 僕の寿命が続くまで、彼女と出会わなければ良かったのに。

 そんなに彼女を無限遠に閉じ込めておくこと自体、彼女を想っているということ。

 多分、パチンコに設置してある銀色の眩い玉のように、すぐにそんな病気もなくなるだろう。ただ、彼女といる限り続いてしまう、僕の狂った束縛。

 多分、僕は優しいのだろう。全てのモノが愛しいと思えてしまうんだろう。穢れを知らなさ過ぎて、その純白に染まった心は彼女だけをすでに照らしている。

 そんなことでいいのか、と彼女から断じられることも知らずに。

 「蔵人、バイバイ。あたし達まだ早すぎたんだと思う。出会うには」

 「そうかな?」

 「そうだよ。まだ高校や大学にも素敵な人いるんだよ、知ってる?」

 「君の理屈は前に向かって進んでいるんだね。光が水面に映ってキラキラしているような、そんな理屈は僕にとっては眩しすぎたんだと思う」

 「蔵人、それどういう意味?」

 「それは君への宿題さ、考えておくといい」

 「分かった」水木と書かれたネームプレートが上下に動く。頷いているようだ。僕は卒業式が終わって校庭の裏に彼女を呼んだけど、僕は自転車に乗って帰った。

 彼女がその前に折り紙の鶴を折っていた。

 「病気が早く治りますように」

 「何の病気?」

 「恋の病」そう言って、蔵人の手にそっと置いた。

 「そうだね。……僕もどうかしているな。忘れてしまってくれ、全てを」

 「忘れた方が良いの?」

 「そんな事は聞くもんじゃない、失礼だ」そう言って僕は水木の頬をそっとなでる。「じゃあな」

 高校一年生になった僕らは、二人別々の高校に進学することになった。彼女は公立で、僕は私立。どちらも進学校だから、宿題の量が絶えることはなかったけれど、それなりに二人は今までの間柄を続けていた。誕生日会に祝うこともしたし、映画やショッピングをしたりして楽しんだ。他に友達が出来なかったからだ。自己紹介に失敗したとかそういったことではなく、自然と友達の輪が出来て行く中で、僕は、クラスの中の誰ひとりとも会話することはなかったのだ。何故か不思議だったけれど、そういう関係でしかなかったんだな、と割り切っていた。

 彼女も同じらしく、高校で好きな人は出来た、とか聞くと、いじわる、といわれるので黙っていることにした。他のクラスでは良い人出来たよ、とか聞くと、僕はそれはどこのどいつなんだ、などと聞く場面があったりなかったり。

 涙で淡く濡らすあの日のプロムナードには、切ないエンドロールを流して歩いた日々ももう忘れはしない。

 ……そう僕らは男女の恋愛関係を脱してプラトニックで、卵と殻の関係に似ている。一つ屋根の下、友達として過ごしているわけであるが―――。僕には信じられなかった。僕と一緒に住むとかそういうことではなく、僕と一緒にいてくれないのか、とただ一つ訊けなかったことが。

 高校に進学したということもあり、水木はさらに料理に磨きがかかった。去年の冬にはバレンタインデーの友チョコを皆に配った。

 すると女子の一人が水木と話している。

 「何、これ?」

 「カヌレ作ってみたからあげる。試供品ということで」

 「うわぁ、水木さんって料理上手なんだねぇ。今度あたしも一緒に水木さん家伺ってもいい?」

 「いいよ。来年一緒に集まって料理しようよ」

 「やった。あたし彼氏いるんだけどね。ほらそこの、風崎くん。かっこいいでしょ」

 水木には二人の話すときの間柄が親しそうで、なんだか急に悲しくなった。泣きたいというよりも、どうして私には彼氏が出来ないんだろう、と思わず比べてしまった。蔵人だったら、なんて答えるだろうか、と一人考える。

 ―――授業は無常の時を迎え、終了した。水木は学校の外に出て、空を見上げると、蔵人が自転車を押して歩いてくるのが見えたので手を振った。

 そして、冬の空は、切なく、秋の残り香を抱いて。

 「ねえ、蔵人。一つ聞いてもいい?」

 「何?」

 「―――私たちの関係って、純粋だよね?」

 ……そこで僕の会話は途切れた。どう答えればいいか詰まったのは、その質問に対する答えを用意していなかったからだった。自分は何のために水木を連れまわしているんだろう。彼女を助けるため。恋愛博士じゃあるまいし、そんな都合を聞いてくれる他人でいたいわけではない。 

 ……だったら、何?

 迸る想いが僕の体温を上げてくれたら、素直に答えられるのに。あの時の告白は真実だったんだよ、って。しかし、僕の口が動いたのは、そんな簡単な答えではない。単純な脳の中に複雑な想いを抱いている。

 「ごめん。最近読書感想文の宿題が出たからそのお題の本の事で頭一杯でさ」

 「そっか、私もごめん。頑張っている蔵人にもあげる、これ。カヌレなんだけど。シナモン入れたのだけど、癖がちょっと強いかもしれない。はい」

 僕の水面下の想いとは裏腹に、袋から覗かせる三つのカヌレは秋の木の葉のような色が季節に似合っているな、と想い、大事にしまっておいた。僕の宝物だったから、そうしたというわけではない。そんな恋愛感情ではなく、一人の友人としての親切な気持ちからだった。

 それだけ僕らの世界は一つじゃないのさ、などと一人心の中で嘯いた。

 一つに繋がれるだけの恋をしたなら、自分は何か変われるのかもしれない、などという青春じゃない。単純に、その時、その瞬間の気持ちに従った『本能』からだった。恥ずかしいけど、亜紀は単純に綺麗だと思ったし、これからもそんなに親しく付き合っていければ、もう彼女でいいのに、と思った。そんな願いも月日が経つにつれ、どうでもよくなったのだった。彼女の想いは、多分、自分の人生ノートみたいなものがあって、それに従って計画的に生きようとしているだけの話なのかもしれないな、と思えたからだ。

 そして、僕はその人生ノートの一部には組み込まれていない、ということが分かったのか、中途半端な返事は多分彼女なりの困惑だろう。揺れる想いは、ストレートにキスという形で着地したわけであるが、そんな想いを酌み交わすべき最初の相手は水木にしよう、とは計画していた。それだけの大きな恋を感じたし、そのシンパシーは彼女自身にも伝わっていたのだったからだ。

 その証拠だろう。彼女のあの時の涙は、そんな思いを抱いていてくれていたのか、という感動と、仲間との惜別と、人生を後悔するんじゃないか、という不安があったのかもしれない、そして、その不安の一部に僕と一緒に住むことがイコール人生の悩みの種になってしまったら、この関係は破綻だろう、と思ったのかもしれない。

 僕はそこまで考えて、一人カヌレを大事にした。僕の想いは単純な本当に本能の塊でしかなかったことを思い知った。これからは、注意深く生きよう、と心に決めたのだった。

 そろそろ夏も終わり秋が始まる。冬の匂いが段々し始め、そろそろそんな空が薫る時期だ。そんな時期にはカヌレのシナモンが似合うのかもしれない、と一人妙な納得をした。

 ―――何も知らない癖に。

 彼女は優しいからそんなことは言わないだろうけれど、僕は僕なりに色々思う節もあって、もしよかったらもう一度アンコールで告白をしよう。

 彼女とのエンドロールという名の終幕は、多分まだ訪れない。


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