Episode.2...Brand new days...

卒業式の前日の霧のかかる夜。

 遠い、幼い僕の記憶がそっと花弁に滴る水がポトリと落ちるようにあふれ出す。

 それは亜紀の子供の頃の映像を頭の奥底から引っ張り出してきて、亜紀の家でお誕生日会と称して僕を呼んだこと、そして、バースデーソングを鼻歌で口ずさんで、亜紀の家の道中まで歩いていたら、亜紀に見つかって笑われたこと。今でも恥ずかしい記憶だった。

 涙のように星が流れる流星群が見えた星空の下、僕の家で誕生日しようと彼女の方からさそった。

 僕は雨になりそうだから止めておこうよ、といっていたのだけれど、彼女が訊かなかった。誕生日ケーキは彼女が持ってきたものだった。何もかも彼女の方から企画をしていたもので、僕は舌を巻く。

 僕にそこまで心遣いをする理由。

 それは幼馴染の手伝いのついでというのもあったけれど、彼女は幼いころから僕としか話さない。次第に美しくなっていく、彼女の姿を見て、僕は、一抹の不安を覚えた。

 僕以外の他人の所に行ってしまうのだろうか―――?

 どうして、そんな当たり前の出来事がこんなに残念がってしまうんだろう。

 世界中の女性と出会っても、彼女しか付き合いたくない、だなんて思ってしまうような志向。

 そうであってもいい、と割り切れるほど大人になれない自分に苛立つ瞬間を何度も味わいながら、僕は、これから彼女と付き合ったとしてどうしていけばいいのか、という根本の問題すらまともに決めてもいないうちに、なあなあに彼女を失いたくないという気持ちだけが先走って心の先端から溢れてくる。この想いをどうすればいいのか、分からない。

 そして、その思いと同時に存在する虚無感も腹の立つ要因だった。それは、亜紀にぶつけるべきではない、とは分かっているけど、亜紀も分かっていてやっているのであれば、それはしっかりと断じるべきだ。

 僕は、一呼吸おいて、彼女に向き直った。

 彼女の白い顔を見るまでもなく、ケーキを黙ってみている他ない自分にも苛立つ。

 「僕が、安息を得る時は、誕生日を迎えたときなんだ。―――だって、君に会えるからね」僕はそういって、彼女を見た。

 「私に出会うと話弾むもんね」君はそう言ってクスッ、と笑った。君の名前は、水木亜紀と言ったね。

 色んな事を忘れた僕だったけれど、何故か静寂の時にふと思い出す。たったそれだけの事実は、きっと僕にそんな安息を与えてくれる存在だからだろう。

 僕はケーキを作って自分で蝋燭を消す。そう、それは僕の誕生日だったからだ。

 そして、蝋燭を消す。何度も、何度も。一度に吹き消そうとすると、君に見とれて名前を忘れてしまいそうだった。

 「そんな事ってあるかな?名前忘れる人って珍しいよ。今度名札持ってこようか」君はそういうと、僕はラプソディーを掛ける前にプレリュードとして、バラードをプレーヤーに掛けた。

 DEENの前奏を口笛で口ずさみながら、プレーヤーに出てきたのは『プラネタリウムの真実』という動画サイトで見つけた曲だった。

 偶然見つけたこの曲が好きで僕は時々よく聞いている―――

 『プラネタリウムの真実』というタイトルにスイッチをタップした。

 ―――歌が留まることなく自然に出来た川の流れを描くように流れている―――

 ―――あっ、それ、プレリュードのつもりでしょう?知ってる、私、蔵人に出会った時一度前に二曲掛けたことあったよね。その時も蔵人、プレリュードだって言ってた。どういう意味?

 ―――Shh...君も好きなんだろう?

 ―――蔵人ほど好きな人はいないと思うけど。

 ―――そう?ケーキ食べるの忘れてるけど、君だって。

 ―――あ、本当だ。

 彼女の白い手がフォークを持ってケーキをなぞる。

ケーキは、初恋の味がするのかもしれない。これが中学のお誕生日会で出会った初恋だった。君と一緒になって、間接キスして、ケーキを切り分ける。君の作ったケーキは依然食べたチョコレートムースのような味に似ている、テイストはショコラだった。

 お誕生日会に誰も来ない。皆僕たち二人の方がこそこそ秘密のことをし合っているみたいでその噂の方に話は集中していった。

 僕が秘密にすることがあるならば、好きな曲を掛け続ける癖があることくらいだろうか。

 テレビで映画を見た。

 「映画のタイトルなんて忘れてしまったけど、彼のロックスターの人生は、かなり壮絶だったのかもしれないな、とも思えるよ」僕はケーキを頬に付いているのを取り払った。

 「ボヘミアン・ラプソディでしょ」君は言った。

 「そうだったね」

 「私的にはQueenの人生よりも、ご当地の店特集とかが知りたい」

 「そう?じゃあチャンネルサーチしようか」そう言って、僕はDVDのスイッチを切って、チャンネルを変えてった。昼間だったので、ヒルナンデスにチャンネルを変えた。

 「どこも東京の事しか放送していないね。雑誌見たら?」

 「一緒に見ようよ。どこのブックストアにあるかな、雑誌。行く?」

 ……そうだね。

 ……もうすぐ卒業だね。卒業式の前日が僕の誕生日にした理由は、分かり切っている。学校が離れ離れになったら、もう会うこともなくなるだろう。

 とある雨の日。

僕は歩いた、とぼとぼと続いていく、砂利道の匂い。雨の匂いがそっと僕を撫でる。そんな時雨にも似た通り雨に……オレンジの夕陽みたいにあっという間にそっと堕ちて消えていく、僕らの関係はマッチの焼き殻のように跡形もなくなくなるのだろうか。

 「何考えてるの?」君は聞いた。

 「君は友達なんだね。付き合いたいな、と思ったけど」

 「夏にもそんな事言ってたね。でももっと良い人いるんじゃないかな?蔵人、頑張るんでしょ、全てに」

 ……違うんだ。君は分かっていない。僕の黄緑のような瞳には見えているんだ。君は、皆と親しくしたがっているという割に、一人の人としか話していないんだ。それは好きだっていうことなんじゃないのか。君が気が付いていないだけで。

 でも、どうなのだろう。単に話しやすい安全な男だと思われているのかもしれない。そんなこと、彼女は気にもしていないだろう。しかし、危険だと思われて遠ざけられても困る。一番丁度良いのは……、それがそうであるというのを互いに分かり合っている関係だ。心に仕舞っておく言葉はいつもセツナくて。

 『―――ねえ、僕らはどんな関係かな?』

 でもそんな思い切った事を勇気出して聞くことはしなかった。何にも分かっていないのは僕だったのかもしれない、という思いがよぎる。それを知られるのが怖い。そんな事も知りたくない。そんなどうしようもない何もかもうやむやにしてしまったという真実は僕を薄笑いを浮かべる獣のようにはしてくれなかった。当然だ。

 乳白色の真珠みたいにそれだけの想いを残り火のように抱いて、ゆるやかな関係を続けていた。

 思い切って卒業式の日、彼女に告白をした。

「僕らの関係って、川に流れて分かれて行く夏草みたいなものにしてしまっていいの―――別れていくということなんだね」

 そう聞くと、彼女は頷く。そして、下を向いてポロポロと泣きだした。

「分からない。私にも分からない。ただ、蔵人と話して楽しかっただけかもしれない。もっと良い人を見つけた方が良いのかもしれない。ただ蔵人、何もかも決めるのは容易いけど、今の後悔と後の後悔どっち選ぶ?」

「分からないけど、今に後悔は無かったのは確かだよ」そう言って、僕はキスをした。

 亜紀は顔を離した。そして、今の気持ちは確かに分からないけど、キスの気分ではなかった、ということなのだろう。しかし、僕には抑えられない衝動があったというよりかは、彼女を僕のものにしたいという気持ちが先走っただけだった。

 だから、後で優しくすることも出来る。そっと手を置いて、ごめんとだけ言った。亜紀は良いよ、でももうお終いにしてしまうかどうかは、蔵人が決めて、とだけ言った。

 僕は会いたい、とだけ思った。卒業してからも続けたいかどうかというよりかは、単純に、それだけの気持ちが宙に浮いて、ふらついているのだった。

「僕は、君に会いたい」

「いつか会えるよ。私は諦めているんじゃない。選択しようと保留しているというか、ちょっと違うな。強いて言うなら、まだ蔵人だけのものになりたくない」

「そうなんだ。そう簡単に考えていたようには見えなかったけれど、君って案外人の気持ちを簡単に分けて考えてしまうのか?」

 そういうと、亜紀は怒った。

彼女は違う、とだけ言った。

 そして、今日の蔵人変だよ、とだけ言った。手は繋がなかった。お互い違う方向を見て、車を避けるために僕が避けようとしたのを遮って歩くのを見て、まずいこと言ったかな、と反省したが、今の僕の気持ちからは嘘も偽りも無かった。

 虚実入り混じった空しいセリフを言うだけ無意味だろう。

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