第二章 騎士団長の番

 ジークフリート・アディンソン騎士団長がその声を聞いたのは偶然だった。


 西にあるリシア国との合同演習は、国境を跨ぐ広大な森で行われていた。森には強い魔物が跋扈しているため、それらが街に下りてこないように間引く目的もある。


 声が聞こえたのは、合同演習が終わり、森を出て帰る途中だった。


「なにか聞こえないか?」


 ジークフリートの言葉にクラウスが目を細めて、耳を澄ませるように立ち止まった。部下たちも揃って足を止めて、周囲を探る。


「いえ、私にはなにも」

「いや、たしかに鳴き声がする。魔物には赤子などいない、動物か、魔獣人の赤子か?」


 竜族であるジークフリートはほかの種族よりもずっと五感に優れており力も強い。森の中であれば、たとえ数キロ離れていようとも気配はわかるし、声も聞こえる。


「団長の耳に聞こえるなら、なにかがいるんでしょうね。向かってみましょうか」

「あぁ、なにか気になる」

「団長の勘はよく当たりますからね」


 アディンソン獣王国は、大陸の東側に位置する大国だ。民のほとんどは魔力を持っており魔獣人の血を引いている。魔獣の姿に変化できることからアディンソン獣王国の民たちは魔獣人と呼ばれていた。


 南東にある人族至上主義のアクスベルク帝国からは、知恵のない獣として蔑まれているが、総じて力が強く、戦闘狂が多いのもたしかだ。


 強い者こそが王になるというわかりやすい国風で、今の王は、ジークフリートの兄である。代々、竜種であるアディンソン家から一番強い者が王として選ばれているが、アディンソン家でなければならない決まりはない。


 むしろアディンソン一族、皆が王にはなりたくないと思っている。ただ、負けるのも許せず、勝ってしまった者が渋々、王として君臨するのだ。

 百年ほど前、決闘を制して、勝った兄が国王、次点だったジークフリートが騎士団長の任に就いた。

 兄に羨ましがられたが、誰がなんと言おうと勝ってしまったら、結果は覆らない。


 ジークフリートは魔力を耳に集めて、周囲の音が拾った。どうやら声の主は少しずつ移動しているらしく、みぃみぃという小さな鳴き声が遠ざかっていく。

 気配を探ると一匹の魔力を捉えた。一匹だ。近くに親はいない。

 どうしてこの小さな魔力の持ち主がこんなにも気になるのかはわからないが、とにかく早く探さなければと気が急いた。


「あっちだ」


 ジークフリートは魔物の気配を探りながら、慎重に足を進めた。草木をかき分け、道のない道を進んでいくと、太い木の根元に真っ白くて丸いもふもふがいた。

 ソレを見たとき、自分でもおかしなくらい、動揺してしまった。もうその白く丸い獣しか目に入らなかった。


(なんて愛らしい……っ!)


 突然、周囲の音が聞こえなくなり、白い獣に目が、本能が惹きつけられる。強く抱き締めたい衝動に駆られるが、それをなんとかこらえた。

 勢い余って潰してしまいそうだったのだ。


「団長? どうかしたんですか?」


 ぼうっと立ち尽くすジークフリートに、クラウスが案じるような声をかけてきた。


「あ、あぁ……悪い……この子は……」


 ジークフリートは木の根元に丸まっている白銀色のなにかを、潰さないようにそうっと抱き上げた。手にほんの少し力を入れるだけで、死んでしまいそうなほど弱々しい姿だ。

 この小さく儚げな生き物を守るためなら、なにを犠牲にしてもいい。そんな気持ちが芽生えてくる。


「うわっ、それ猫だと思ったら、まさかのタイガードゥンじゃないですかっ! まだ生まれたばかりみたいですけど、めちゃくちゃ希少種ですよっ!」

「……あぁ、間違いなくタイガードゥンだな」


 タイガードゥンは非常に希少な猫型種族だ。特徴的な白銀色の毛並みは、風に揺れると虹のように輝く。

 その多くは馴れ合いを好まず、個の力で強くなることを望むため、生まれたばかりの子どもであっても、親の庇護下には置かれない。


 幼いタイガードゥンを見かけたら必ず保護するように国として動いているのだが、小さすぎてその姿がなかなか見つからず、大型の獣に食われたり、魔物に襲われたりして、生き残れずにいる。幼少期は非常に弱く、風が吹けば倒れるほど軟弱なのだ。


 そんな中、運良く生き残り大人になったタイガードゥンは個体差はあるものの、総じて非常に強くなる。

 魔法で体の大きさを自由自在に変えることも、空を駆けることもできるし、鉄をも引き裂く鋭い爪を持っており、竜種の次に強いと言われているのだ。


「それでな……どうやら、この驚くほど愛らしいタイガードゥンが、俺の番らしい」


 ジークフリートが目の前の白いまん丸をじっくりと見つめながら言うと、クラウスはわけがわからないと言った顔をした。


「は?」


 先ほどからずっと、竜種である自分の血が騒いでいる。やかましいほどに。この子を守れ。一刻も早く番の誓約を交わせと。


 番同士はお互い惹かれ合うようにできている。

 番を見つけたら、種族間の違いがあっても子ができるように魔力を交わす。それが番の誓約だ。魂の繋がりを持ち、寿命を合わせることで、死ぬそのときまで一緒にいられる。


「だから、この子が俺の番だと言った」

「マジッすか……おめでとうございます……」

「あぁ」


 魔獣人は寿命が非常に長い。その長い寿命の中で自分の最愛である番を探す。

 番を見つけたら、本能でわかると言われているが、それを今、ジークフリートも実感しているところだった。愛おしくて、なににも代え難い気持ちになる。


 一度番に出会ってしまったら、もう二度と離せない。番を見つけた魔獣族が死ぬときは、番と同じときだ。そうでなければ発狂してしまう。


「君が起きたら、名前をつけなければな」


 ジークフリートは手のひらに収まるほど小さなタイガードゥンを起こさぬよう、そっと抱き上げて、騎士服の内側に入れた。

 歩いて森を出ると、皆がそれぞれ変化する。ジークフリートはカゴの中に布を敷き、そこにタイガードゥンをそっと寝かせた。


 魔力を込めて体を変化させると、真っ黒な背中に大きな翼が生えそれが左右に大きく広がる。爪は鋼鉄を難なく引き裂くほどに長く鋭い。その先にタイガードゥンを入れたカゴをくくりつけ、落とさぬようにしっかりと結んだ。


 騎士は遠征が多いため、飛行が可能な魔獣人が多い。それ以外の者は街の厩舎に預けた馬で王都に戻るのだ。

 ばさりと翼を広げて空を駆けると、あっという間に地上が遠くなった。もう見慣れたその景色だが、今日は慎重に慎重を重ねた。なにせ自分の命よりも大事な番を連れているのだから当然だった。


(なんという名前にしよう)


 王城に帰れば山積みになっている仕事をなんとかせねばならないが、今このときのジークフリートの頭の中は、愛する番の名前をどうするかで埋め尽くされていたのだった。


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