チャプター4

 次の日、ハティエルたちは朝8時に集合し、ダンジョンへと向かった。

 地下5層は雲ひとつ無い晴天だった。

 前日の夜にふったと思われる雪のせいで若干歩きにくいところがあったが、吹雪に比べると大したことは無かった。

 ハティエルたちは地図を確認すると、予定通りに最初のレストシンボルに向かって歩き始めた。

 4人の足跡が雪原に残されていく。

 戦闘は問題なく、地形も広い一本道だった。

 旅は順調だった。装備をしっかり揃えてフロアに備えるという準備が機能していたからだ。

 予定では6時間ほどの予定だったが、少し早くたどり着きそうなぐらいだ。


 昼を過ぎた頃、女神アリムの像が見えてきた。エリア内に入り、安全になったことを確認すると、4人は安堵した。

 像の前の雪をミュカの魔法で溶かすと、4人は円を描くように座った。

 ディグラットは言った。


「なにもなかったな」

「そうですねー」


 そう言いながら笑顔を作るエリシアを見て、ハティエルは真顔で、


「ここからが本番だよ。まずはマッピングしなきゃ」


 と返した。


「うー、マッピングはつらいですねー。今回は私達しかいないから、絶対に大変ですー」


 それにを聞いてハティエルが笑顔でなにげなく言った一言で、ほかの3人は目を丸くした。


「あと2フロアなんだし、頑張ろうよ」


 まるで時間が止まったかのようになっている3人を見て、ハティエルは首をかしげた。


「なに?どうしたの?」


 最初に口を開いたのはミュカだった。


「あの……えーと、ハティちゃん?あと2フロアって……なんです?ダンジョンって、全部で地下6層までなんですか?」


 今度はハティエルが目を丸くした。知らないのかと。もしくは、魔王を倒したあとにもまだ続くのか。

 そもそも、自分は大天使の試験として魔王の討伐のためにダンジョンにきているが、ミュカたちもそうなのだろうかと思った。それが自分にとっては当たり前だと思っていたため、他のメンバーも、今ここにいないボルトラたちも含めて当然そうだろうと思っていた。

 今更感があるが、ハティエルは恐る恐る聞いてみた。


「みんなは……その……魔王討伐のためにここにきているんだよね?」


 普段は冷静な彼女だったが、珍しく困惑していた。


「なんだそりゃ」

「魔王ってなんですかー?」

「えっ?違うの?」


 ミュカはふっと笑った。


「何度も言っているじゃないですか。私達は『病気』なんですよ。こういう危険や刺激が大好きな病気なんです。ミルファスが死んでくじけても、結局戻ってきちゃうぐらいの重度の病気なんです」

「そうですよー、私達は、スリルを求めちゃう病気ですー。ハティエルちゃんは違うんですか?」

「あー……えーと……」

「おい、ハティ。必要な情報は全部出せ。当然わかっていると思うが、俺たちは今、そういう場所にいるんだ」

「あー、いや、そうなんだけどさー……」


 ハティエルがミュカの顔を見ると、ミュカは笑顔で、


「言うしかないです」


 と言った。


「なにをですかー?なにか私達に隠していることでもあるんですかー?」


 ハティエルはこれから言うことは誰にも言うなと念を押し、話を始めた。もともと言う予定だったが、今がチャンスだろう。


「実は私、天使なんだ」


 予想もしなかった発言に、ディグラットとエリシアは度肝を抜かれた。


「天使っていうのは、あれか?物語の……」

「いや、違う」


 ハティエルがディグラットの言葉を遮り、楽園の仕組みと大天使の試験についてをざっと説明した。2人とも冒険の攻略には直接関係のないことなので、深くは追求してこないだろう。

 ディグラットは再び話を始めた。


「ということは、女神アリムっていうのは実在していて、このダンジョンは地下6層で終わりということなんだな?」

「アリム様が本当にいるのはそう。でも、ダンジョンが地下6層で終わりなのかはわからない。私はさっきまで終わりだと思っていたけど、終わりなのは大天使の試験だけで、地下7層っていうのがあるのかもしれない」

「なんでミュカは天使の話を知っているんだ?事前にハティに聞いていたのか?」

「違います。実は私も隠していたことがありまして、ワンダラーナ王国で見つけた本には楽園についての記述があって、思い当たることがあって、ハティちゃんに確認をしていたんです」


 ミュカはハティエルが死ぬところを見たとは言わなかった。

 エリシアは、おーと声を上げた。


「ここまでの攻略は、ハティエルちゃんの前の天使の記録だったんですねー」

「前の前の天使と一緒にいた人間というのが正しいようです。って、エリシアさん、その天使ってデュナンタさんですよ」

「デュナンタ……さん?誰ですかー?」


 ハティエルは初めて圧力の森にいった時、ハーモニック・サークルで助けてもらった長い薄紫色の髪の女性だと説明した。ディグラットとは面識がない。


「あの人も天使だったんですねー。デュナンタさんも、まだ大天使の試験ですかー?」


 ミュカは無言でハティエルの顔を見ると、ハティエルは両手を返した。自分は生まれていなかったためデュナンタのことは知らず、そこまでは知らない。

 デュナンタはまだ試験をしているのかもしれないし、終わって別のことをしているのかもしれない。


「もしかして、ゴールドドラゴンの鱗をザクザク斬ったっていうのはそいつか?いや、ハティと同じってことは聖戦士だから別のやつか」

「いえ、それがデュナンタさんです。途中から重戦士になったみたいです」

「そんなことってできるのか」

「できるみたいですね」

「何度も言うけど、この話は地上の他の人に言っちゃだめだよ?」

「わかってますよー!」


 ディグラットも頷いた。


「それよりもさっきから気になっていたことがあるんだけど、女神像の先にあるあれ、なにかな?動いていないし、敵じゃなさそうなんだけど」


 ハティエルは指をさすと、全員がその方角を向いた。

 そこには氷でできたなにかがあるが、少し遠くて見えない。


「いこうぜ。地上に帰るのはあれを見てからでいいだろう?」


 ディグラットの提案に3人は頷くと、4人は立ち上がった。

 少し歩くと氷の像であることが確認できた。

 もう少し歩くと、両手を広げた男の像ということもわかった。

 その像は両手を広げた30代の人間の男の像だった。像というにはあまりにもリアルで、まるで人間が凍ってここに放置されているというほうが正しいように思える。


「なんですかねー、これ」


 ハティエルは顎に右手をあてた。


「なるほど、そういうことか……」

「どういうことですかー?」

「この人だよ。この人がミュカが見つけた本を書いたんだよ。さっきのレストシンボルで記述が止まっているのは、ここで死んじゃったからなんだ」


 ミュカは感心したように頷いた。ハティエルの推測はおそらく当たっているのだろう。


「では、デュナンタさんのパーティーはここで2人になったわけですね。いえ、もしかしたらクレリックの人もここで亡くなって、デュナンタさんは1人になったかもしれません」

「実質、デュナンタの冒険はここで終わったのか」


 すると、どこからか声が聞こえてきた。


「いいえ、終わっていません」


 いつの間にか、目の前に女性が立っていた。いや、足がないので宙に浮いているというほうが正しかった。身長も1メートルほどでホビットよりも小さい。

 その女性は足元まである水色の長い髪をたらし、表情も青白く、薄い羽が4つ生えていた。とても地上人とは思えないし、天使とも思えなかった。

 ハティエルたちが武器を構える前に、女性は右手を前に出し、


「敵ではありませんよ」


 と言った。


「私は精霊、マギスファーラ。最果ての氷河の住民です」


 ハティエルは剣に当てていた手を離し、


「住民ってことは、ここに住んでいるの?」


 と返した。

 マギスファーラと名乗った女性は頷いた。


「なぜと言われても困りますが、そうです。他のフロアに行くこともなく、敵に襲われることもなく、ただここにいます。ずっとずっと、ここにいます」

「不思議なこともあるものだな」

「200年ぐらい昔ですね。デュナンタの仲間はここで倒れましたが、彼女は一人でキーを取って一人でフロアボスを倒しています」

「マジかよ。おいハティ、お前それできるか?」

「そんなの、無理にきまってるじゃん」

「同じ天使とはとても思えないぞ?」

「そういわれると、つらいなー」


 マギスファーラは2人の会話を遮った。


「私の役目は2つ。一つは冒険者へのこのフロアの案内です。最果ての氷河のキーは一つだけで、この道をずっと歩いた先にあります。2泊、必要です」

「2泊?そんなに遠いの?吹雪がきたらまずいね」

「吹雪はきません。あれがくるのはフロアボスの周辺だけです」


 ミュカはいった。


「雪山登山もないんですか?」

「まっすぐです」


 それを聞いたディグラットは大げさに両手を広げて言った。


「おいおい、なんだよそれ。それじゃ俺たちはこの道をずっと歩くだけなのか?エリアボスも環境の脅威もなしに。装備さえあれば、今までで一番ぬるいじゃないか。夜、少し寒くなるのがここの脅威とは言わないよな?」

「ディグラットさん、油断はいけませんよー。そのぶん、フロアボスがめちゃくちゃ強いかもしれませんよー?」

「まぁ、そうだが……」


 マギスファーラは無視し、更に話を続けた。


「途中に1箇所分岐があります。分岐の方に行くと、最強の剣があります。重戦士用なので、あなた向きですね」

「俺のか?」


 最強の剣と聞いて心臓の鼓動が高鳴った。彼はこのダンジョンで強力な剣を手に入れるのが目的だったからだ。


「『エターナル・ギグ』と呼ばれる大きな剣で、終わらない祭りのごとくずっと戦えるっていう意味です」

「気に入った。まずはそれを手に入れたい」

「もちろんですよー。ディグラットさんが強くなるのは、こちらとしても助かります」


 いつの間にか、マギスファーラは消えていた。

 ハティエルたちはあっけに取られながら、まずは彼女の言葉を信じてこの道を進んでみることにした。


 -※-


 次の日からキーを取る旅が始まった。

 マギスファーラの言うように、レストシンボルから2時間ほど歩くと分岐があり、そこから1時間ほど歩くと氷の上に刺さった光る大きな剣があった。

 ディグラットが力を入れて引き抜くと、それはあっさりと引けた。今まで使っていた剣がウソのように軽く、ハティエルの持っている片手剣のようだ。

 これならばハティエルが使うこともできるかもしれない。

 振り回すとブオンという重い音がし、楽しくなってくる。普段表情をあまり見せないディグラットがニヤニヤしているぐらいだった。

 アンジェリック・ウェポンを手にしたミュカのように。これが彼らの言う『病気』なのだろう。


「早くこれで戦いたいぜ」


 実際、エターナル・ギグの威力は凄まじく、最強というだけあり、地下5層の敵は一撃で倒せるようになった。

 ハティエルが気になるのは、これがあってもデュナンタは斧を選んだということだ。エターナル・ギグのなにが気に入らなかったのかはわからない。


 その後、野宿をしながらキーはあっさり手に入れられた。夜の寒さもその辺の針葉樹を切り倒して焚火を作ることでなにも問題なかった。

 そして、フロアボスへ。不要だろうからアイゼンははずした。

 転送位置から見えるほど近い正八角形の建物の台座に4人は手をかざすと、部屋へと入った。


 黄色い魔法陣とともに現れたのはマギスファーラだった。

 ハティエルは剣を構えた。


「なるほど、そういうことなんだ」


 すると、マギスファーラは両手をあげた。


「私はデュナンタ一人にも勝てないですから、4人に勝てるわけありません。降参します」


 そして、転送のための台座が出てきた。

 それを聞いたミュカはずかずかと前に踏み出し、マギスファーラの元に向かうと、


「なんなんですか、これは!ちゃんと戦ってください!まったく面白くありません!」


 と大声をあげた。

 ハティエルはミュカがこんなに怒っているところを見たことが無かった。これも彼女の言う『病気』なんだろうなと推測した。


「いいじゃん、ミュカ。先にいこうよ」

「よくありません!」


 マギスファーラは両手を返した。


「あのですね……私は実はめちゃくちゃ強いんです。本当に強いんです。だってボスですよ?」

「なら……」

「エターナル・ギグが反則すぎるんです。その剣には『精霊殺し』という能力があって、私は簡単に倒されちゃうんです。なんでそんなものがこのフロアにあるのかって思うんですが、そうなんです……。デュナンタとはちゃんと戦いましたよ?エターナル・ギグを持っていませんでしたから。かなり激戦でした。負けましたけど、激戦でしたよ!」

「なら、俺たちもエターナル・ギグ無しでいくぜ。一度部屋から出る方法はないか?」


 だが、ハティエルはそんなディグラットを無視し、台座に手をかざして転送してしまった。


「あっ、おい……」


 これでもう、ハティエルは再戦できない。タンク無しで戦うのは流石に無理だとわかったディグラットたちは、イライラしながらあとに続いた。


 -※-


 地下6層、地獄。

 周囲は灼熱の溶岩の影響でゆらゆらとしている。空は赤く、物語にある地獄というのにそっくりだ。

 ゲートトラッカーには雪の結晶のエンブレムが刻まれていた。

 暑さはハーモニック・サークルでどうにでもなるなと思っていたハティエルのそばに、他の3人も転送されてきた。3人とも、相当怒っている。


「だって私、大天使の試験を優先させたいし、しょうがないじゃん」

「ハティちゃん、あのですね……私達は……」


 なにかを言いかけたミュカをエリシアがとめた。


「このフロア、嫌な予感がしますー」

「そうですか?私にはなにも感じませんが……」

「エリシアの言うとおりだ。俺も非常に嫌な予感がする」

「ディグラットさんまで……」


 ディグラットは無言で正面を指さした。

 そこにはマグマの上に一本道があり、2階建ての小さな宮殿のようなものがあった。歩けば10分ほどだ。周囲に道らしいものはなにもない。

 それを見たミュカも察した。まさかあの宮殿に魔王がいるのではないかという、嫌な予感がした。

 それを打ち消すように、


「ボスの居る正八角形の部屋じゃないですから、きっと大丈夫ですよ。それに、あそこで戦うのであれば、狭すぎませんか?」


 と返す。


「確かにそうですねー」


 とりあえず、4人は歩き出すことにした。敵の気配は一切なかった。

 歩くにつれ、ハティエルをのぞく3人の顔が歪み始めた。

 宮殿は素通りできるようになっており、その先が見えた。そこには正八角形の建物があり、分岐はなにもなかった。

 つまり、そこで終わりだ。


「地下6層はまさかと思いますが、キーも無い……とか?いきなりフロアボスの魔王ってひどすぎませんか?」

「ひどすぎますー」


 ディグラットは背中の剣に触れた。


「エターナル・ギグに魔王殺しの能力もありますって言われたら、俺は暴れるぞ?」


 文句を言う3人を無視し、ハティエルは無言で歩いた。

 宮殿に入ると、ハスキーな声が聞こえてきた。


「やっときたわね」


 そこには腕を組んで壁に寄りかかっているデュナンタの姿があった。

 ハティエルは声をあげた。


「デュナンタ!」

「あら、私のことを知っているの?全員、純正かと思ってたわ」


 ミュカは言った。


「地上にあなたのことを書いていた本があったんです。地下5層の氷漬けにされて死んでいた男性が書いていた記録のようですが」


 デュナンタは舌打ちをした。


「ああ、でもその本のことを知っているのは私達だけです。デュナンタさんのことも、天使のこともみんな知りません」

「そう」

「ところで、純正というのはどういうことでしょうか?」


 デュナンタが言う前にハティエルが言った。


「純正地上人っていうことでしょ?違う。私は天使」


 それを聞いたデュナンタは、笑顔を作り両手を広げてハティエルを抱きかかえた。


「へー、そうなんだ!ハーモニック・サークルが使えそうだなって思ったけど、あなたが天使だったんだ!名前、なんていうの?」

「ハティエル」

「良かったー!やっと、天使がきてくれた」

「あの……デュナンタさん……その……ハティちゃんがハーモニック・サークルが使えそうだって思ったのは、天使ってわかっていたからじゃないんですか?」


 デュナンタはふっと笑った。


「それは流石にわからないわ。見た目は人間と同じだから。ハーモニック・サークルは心が穏やかじゃないと使えないのよ。ハティエルならいけそうって思っただけ」

「私は穏やかですよ?」

「ミュカ……さっきまでちょっとしたことで怒ってたじゃん」

「あっ……。いえ、あれはちょっとしたことじゃないですよ……」


 ハティエルはそれを無視し、抱きついていたデュナンタをはがした。


「で、デュナンタはまだ大天使の試験をやっているの?」

 そう言いながら、前に思っていたゲートトラッカーを確認すると、右腕にはなにもなかった。

「大天使の試験?あのくだらない茶番のこと?」

「茶番……って?どういうこと?」

「その話はあと。まずはフロアボスの『魔王オヴェイル』を倒してくるのが先」

「なんでオヴェイルって名前を知っているの?」


 デュナンタは両手を広げた。


「質問ばっかりだね、ハティエルは。まずはこのフロアを終わらせて、私と同じ位置までこないと」

 エリシアは言った。


「魔王オヴェイルというのは、ちゃんと強いんですかー?」

「強いわよ。私は有能だからソロで倒したけど、みんなはどうだろうね」

 むっとしてなにかを言おうとしたエリシアをとめ、ハティエルは、

「私達は4人でいくよ」


 と宣言した。そうでもしないと、今の状況ではそれぞれがソロでやりたいと言い出すからだ。

 エリシアは少し冷静になった。

 次にディグラットが質問を投げた。


「お前はエターナル・ギグを使わなかったのか?」


 すると、デュナンタは背中を向けて斧を見せた。

「私にはこれがあるから」

「この剣より強そうには思えないぞ」

「はぁ?なにを言っているの?」


 デュナンタは再び正面を向いた。


「斧のほうがかっこいいでしょ!」

「えっ……?それだけ……か?」

「この長い柄と重厚なやいば、見ているだけで美しいでしょう?かっこよすぎてたまらないわ。1日中、眺めていられる」


 あっけにとられているディグラットたちを見て、ハティエルだけは理解してしまった。


「うん、わかる」

「なんで楽園で剣なんて学ばせるのかって思うよ。こっちのほうがかっこいいのに。私が女神になったら、見習いにはこれを使わせたいね……っと、そんなことはどうでもいいか。ほら、元気そうだし、早くボス部屋に向かいなさいよ。ここには敵はいないし、アンジェリックウェポンなんてそうそう手に入らないし、その装備で行くしか無いんだから」


 ハティエルたちは頷くと、宮殿を抜けて正八角形の部屋へ向かった。

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