柁一の苦手な食べ物の話
はるより
本文
50代半ばの男と青年が斜陽の差す駅のホームのベンチに腰掛けている。
少し前までは男の秘書も共に居たが、帰路が反対方向のため駅の改札口で分かれたのであった。
男は奈良県××市の市長である。
質の良いスーツに身を包みブランド物の時計をしているが、どちらも落ち着いたデザインの物のため嫌らしさを感じさせない。
穏やかな笑みを浮かべる上品な初老の人物だった。名を榎本康二という。
康二の隣の座る青年は花窟柁一。
齢二十にも満たない彼は、××市内にある山の中腹に存在するとある村の村長をしていた。
つい三年前まだ康二が市長の座に就く前の話だ。
突如として発生した大規模な山火事をきっかけに、それまで人々に認知されていなかった集落が発見されたのだ。
今は◼︎◼︎村と呼ばれるようになったそこは社会から隔絶されていたため、この令和の世でも大正時代かそれ以前のような生活レベルが続いていたらしい。
村の建物はほとんどが燃えてしまったが、奇跡的に村民のほとんどが無事に救出された。
村民の間で受け継がれてきた技術や知識、生活様式には現代には失われてしまったものが多くあり、彼らは歴史的価値のある存在だと国からも認められていた。
その柁一はそんな村で育った青年である。
話に聞くに、先代の村長であった彼の父が件の山火事で亡くなったためその跡を継いだのだそうだ。
若いのに遊ばせても貰えず可哀想に、と榎本は最初感じたが、柁一は百年以上も昔の日本からタイムスリップしてきたような価値観を持つ人間である。
現代の世に生まれ、価値観も生活環境も何もかが異なっている自分が彼の身の上を推し量るのは失礼に当たるのかもしれないと、榎本は考えていた。
そんな二人は今日、何度目かの打ち合わせを終えた所だった。
榎本としては、◼︎◼︎村の人々に息づく特別な火が消えてしまう前に資料を纏め、残したいと考えている。
火災で燃えてしまった村も今は再建が進んでおり、重要な建物や今も尚村に住んでいる人々の住居が立ち並んでいた。
その中に大きな図書館がある。
かつて多くの蔵書が収められていたというその建物の一部の部屋を、資料館として活用させて欲しいという話を出したことがあった。
柁一を通してその建物の責任者に確認を取ってもらったのだが、どうやら相手が少し気難しい人物らしく返事は保留のままである。
「花窟さん、改めて今日はありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ。私共の事もお誘い頂けて有り難い限りです」
柁一はまだ幼さの残る笑みを浮かべた。
今日の打ち合わせの議題は、資料館の話とは別にもう一つあった。
それは、市で開催するスポーツイベントに◼︎◼︎村からも代表のチームを出して参加してみないか、という話である。
良い意味でも悪い意味でも、◼︎◼︎村は市民にとって一線を画した存在であった。
普段村民と関わる人物であればともかく、一般市民にとっては『突如現れた、特殊な宗教を掲げる閉鎖された村に住んでいた人たち』に他ならない。
そのため出身を話すと好奇の目を向けられたり、子供たちの間では虐めの対象になったケースもあるらしい。
確かに◼︎◼︎村の伝統や知識は価値ある物として守るべきだが、だからと言って榎本は彼らが異質な存在として扱われる事を快く思わなかった。
榎本自身は実際に何人かの村民と関わってきたからこそ実感出来るのだが、彼らは自分たちと何ら変わらない普通の人間である。
価値観や経験こそ違っていようとも、温かな心を持った一人の市民に他ならない。
だから榎本は、市民同士が交流するイベントに◼︎◼︎村の人々を招いたのだ。
いくら自分が口頭で彼らを庇う言葉を伝えたところで、人々の心に響きはしないだろう。
そんな事をするよりも、スポーツのルールの中で実際に触れ合い、話をして同じ人間である事を自覚させた方が早いし確実だと考えた。
「明日にでも声をかけてみます。若い世代も、ある程度は村に残っていますから」
「そうですか、よろしくお願いします。」
◼︎◼︎村に住んでいた未成年のうち、約七割が村外の町への移住を決めたという。
理由としては村の家財の殆どが焼けて無くなってしまったのと、国が特別な助成金を出して彼らの生活費・教育費を賄うと発表した事が大きいだろう。
助成金の主な使い道としては学生寮の備え付けられた中学校、高校への推薦入学や街の中に急遽建てられた仮設住宅の貸与などが挙げられる。
何もかもが灰と化してしまった親にとって、子の生活が保証されるというのは救いだった事だろう。
……国がそこまで◼︎◼︎村に入れ込む理由について詮索するのは、どうやら御法度らしいが。
「このあとお時間ありますか?もし宜しければ何かご馳走させて頂きたいのですが」
「え、あ……はい、大丈夫です。お言葉に甘えさせて頂きます」
榎本は満足そうに頷いて返す。
一度目や二度目の時は、こうして食事に誘っても『申し訳ないから』と断られてしまった。
その後、周りに何かを言われたのか自分で考えを変えたのかは分からないが、本当に用事のある時以外はある時から話に乗ってくれるようになったのだ。
初めて食事に行った時にレストランでコース料理を食べに行ったのだが、どうやらテーブルマナーが分からなかったらしい彼は酷く戸惑った顔をしていた。
終始食器の音を立てさせない事に集中していた柁一は、きっと料理の味も覚えていないだろう。
前回は××市でも有名な寿司屋に連れて行ったのだが、◼︎◼︎村では生魚を食べる習慣がなかったらしく、明らかに無理をしていたように見えた。
『美味しかったです』とは言ってくれたが、きっと川魚にしか馴染みのなかった彼は寄生虫の恐怖に怯えていたのだろう。
そして三度目の正直。
どこに連れて行けばこの若者は喜んでくれるのか……と榎本は少し悩んだが、やはり若者といえば肉、という事でステーキハウスに向かう事にした。
榎本には、柁一とそれほど歳の変わらない息子がいた。
産まれた頃から目に入れても痛くないほど可愛がっているその息子と、柁一の事を多少重ねて見てしまっている自覚はある。
私情といえば私情なのだが仕事で必要な事はきちんと行っているはずだし、ポケットマネーであればこの位の干渉は許されるだろう。
……という事で、今柁一の目の前には鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる分厚いステーキが出されている。
柁一は目を丸くしてそれを見ていた。
「僕、その。こんなに大きな肉は初めて見ました。」
「はは、まるで珍獣を見たような感想だ」
「す、すみません!」
「謝る事ありませんよ。ほら、熱いうちに召し上がってください」
柁一は促され、恐る恐るナイフとフォークを手に取る。
上質なサシ入りの肉は、軽く力を入れただけでナイフの刃を飲み込んだ。
現れた断面からはとぷとぷと肉汁が溢れ、レアでありながらもある程度の火は通った完璧な色が覗く。
あまりのその手応えの無さに、柁一は驚いた顔をしていた。
榎本は柁一のこの反応の良さも気に入っていた。
普段関わるのはある程度会食の場に慣れているか、産まれてこの方良い育ちをして来た人間が殆どである。
そのため、食事の度にこれほど新鮮なリアクションを見せてくれる人物は貴重なのだ。
一口大に肉を切り出し、フォークで口に運ぶ。
そして口を閉じて咀嚼した瞬間、明らかに柁一の表情が変わった。
「……美味しい!」
「おお、良かった」
やはり肉か。若者には肉なのだ。
榎本は自身の考えが間違っていなかった事を喜び、大きく頷く。
付け合わせのガーリックチップなども勧め、自分の分を食べ進めながらも若者がもりもりと食を進める様子を満足げに眺めていた。
それがつい一時間前の話である。
今、柁一はタクシーに乗せられてぐったりと俯いていた。
「申し訳ありません、榎本さん……。」
「気にしないでくださいよ、私も気遣いが足りていませんでしたから」
食事が終わる間際までは良かった、が、その後の会計中に柁一は気分を悪くして店頭の椅子に座り込んでしまったのだ。
恐らく、食べ慣れていない肉の脂に消化不良を起こしてしまったのだろう。
少しの間柁一を休ませ、落ち着いた頃にタクシーを呼び、たった今乗り込んだ所だ。
ステーキハウスから見て二人の帰路は同じ方向であった、
その為途中で榎本はタクシーを降り、柁一の事はそのまま◼︎◼︎村まで送って行ってもらう事にした。
「なかなか花窟さんに合った食事所が見つかりませんね」
「本当にすみません……」
肩身の狭そうに言う柁一に、榎本は笑み返す。
思い返してみれば、榎本は自分が善かれと思った物ばかり押し付けていたように感じる。
コースも寿司も、今回の肉も……柁一が◼︎◼︎村では食べた事がないだろうと考えて振る舞った。
「花窟さん、何か好きな食べ物はありますか?」
「私の好きな食べ物、ですか?」
「はい」
柁一は少しの間頭を悩ませ、「煮魚とふろふき大根です」と答える。
榎本は思わず笑いそうになるのを堪えた。
これが素直な彼の答えなのだろうが、十九歳の若者が好きなものとして挙げるには少々渋すぎるラインナップにも思える。
しかし今までは自分に付き合わせてしまったのだから、今度は自分が彼の好みに寄り添うべきだ。
「分かりました。では次はそういった物が食べられる小料理屋を探してみます」
「ありがとうございます。」
榎本がそう言うと、柁一は柔らかい笑みを浮かべた。
「……榎本さんとこうして話していると、時々父の事を思い出します」
「お父上のことを?」
「はい。と言っても、年齢以外はあまり似た部分も無いような気もするのですが」
火災で亡くなったという柁一の父親。
その人物像については余り聞いた事がなかったが、柁一の様子を見るに彼を厳しく育てた親だったのだと思う。
「すみません、こんなことを言うと暗い話にしかならないのに……」
「そんな事ありませんよ。親近感を覚えて下さっているというのであれば、大変喜ばしい事です」
慌てて謝る柁一に、榎本は心中で「お互い様だ」と呟く。
それに相手に対して誰を重ねていようが、良好な関係性を保てるのなら問題がないように思えた。
しばらくして、榎本がタクシーを降りる地点まで辿り着いた。
ドアを開け、外に出た後改めて柁一の方を見る。
「それでは花窟さん。イベントのこと、皆様によろしくお願いしますね。」
「はい。お疲れ様でした」
遠ざかっていくタクシーを見送って、榎本は夜道を歩き出した。
酒の一滴も入ってはいなかったが、いつもよりも少し気分の良い帰り道なのであった。
柁一の苦手な食べ物の話 はるより @haruyori
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