10-10 この膨れ上がった物体

 空はどんよりとした鉛色だった。


 冬という季節も手伝って、外の風景は実に色味に欠け味気なかった。


「全く以てさぁ」


 想像以上にアッサリした顔で逝ってくれちゃって。


 次の日に、蟹江の焼却を見送ったあたしは処理場を出ると独り溜息をついた。

 手には彼女が譲ってくれた文庫本、ゲーテの「ファウスト」がある。

 随分とお気に入りだったらしくページは手垢で黒ずみ、間には手作りの小さなイチョウの葉を挟み込んだ栞があった。


 そしてその栞には見覚えがあった。


 あんな性格で本読みだったとは。しかも随分と乙女な事をする。


 似合わないことを、と思ったが、最初に会った時の蟹江を思い起こせばむしろらしいと言えるかも知れない。

 そういや途中からのアレは香坂先生に焼き付けられた性格だったっけ、と思い出して複雑な気分になった。


「蟹江國子。あたしにメフィストフェレスに成れとでも?」


 完全に独り言だったのだが、「それは面白いですね」と返答があった。

 振り返って見れば案の定。

 香坂医師がその巨体を揺らして歩み寄って来るところだった。


「聞き耳立てないで下さいよ。あたしにもプライバシーってものがあります」


「失敬。ですがその役柄は、なかなかお似合いだと思いますよ」


「冗談は止めて下さい。何の御用なんです、あたしはもう直ぐにでも現在の現場に戻らなきゃならない。清掃作業をほっぽり出して来ているんです」


「その点ならばご安心を。わたしがあなたの上司を通じて代替の事後観察兼、清掃担当者を派遣させていますから。次の派遣先が決定するまで、此処ここでのんびりして行けば宜しい」


「何を企んでいるんです」


「四日後には次の新規品がロールアウトします。消失した分は補填しないと。邑﨑むらさきさんには是非ともまた立ち会っていただきたい」


「まっぴらゴメンです」


「彼女のお陰で随分ノウハウが蓄積出来ましたからね。量産体制を敷くまであと一歩といった所でしょうか」


「量産?」


「何処の国でも目指していることですよ」


 香坂医師は軽く肩を竦めた。


「世間へ発表している再生者の公認数がデタラメなのは御存知ですよね」


 この国での再生者出没数は、年平均一〇人そこそこ。

 そしてその二割程度が駆除者として登録されている。

 残りの八割は駆除者拒否で焼却処分。

 当然どちらも非公開。

 その一方、登録数と消耗数は毎年ほぼ同数か、消耗が上回る位で現場は常に人手不足。

 偶発性に頼らず、安定的に供給したいと考えるのは当然の流れ。


「再生者としての復活。そして駆除者としての業務というのは、普通のヒトのメンタルでは中々耐えがたいもののようで」


 あなたがソレを云うのか。


「しかし、その計画は破棄されたのではなかったのですか」


「破棄では無く凍結です。しかし急遽、年末に追加の緊急補正予算案が認められて凍結が解かれました」


「・・・・」


 あなたには感謝して居ます、色々と。などと眼前の太った医師はのたまう。

 起動直後のケアが大事と、我々に改めて教えてくれた。

 これでアメリカや欧州のプロジェクトと肩を並べることが出来る。

 まぁ、中国は別格だから比べるのも莫迦らしいが。


「なので本当にいくら感謝しても足りない位ですよ」


 なんだそれは。


 それでは防衛省の「超人製造組合」と変わらない、同じ穴のむじなではないか。

 あたしの、山本地区で犬塚伊佐美相手に打った三文芝居は、予算の天秤を警察側に傾ける為の餌。

 強化対応者委員会を良く思わない「静かなる多数派サイレントマジョリティ」への口実と、燃料投下であったという訳か。


 はやし立てる輩は居るだろうと思っては居た。

 だが、あたしはただ単に、際限なくエスカレートする阿呆どもに冷や水を浴びせる程度のつもりだったのだ。


「なる程ね、そういう事情がありましたか」


 まぁ確かに戦争用の人造兵士を造るよりも、平時の治安を守る猟犬の為に資金を投入する方がまだ納得のいく使い道とも云える。

 だが面白くない気分は変わらなかった。


 量産などと軽々しく言葉にする、この黒眼鏡を掛け膨れ上がった物体にもだ。

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