10-11 立ち去ることが出来ずに居た
「あの資料を見たときには呆れましたよ。生前の蟹江國子なんて端から居ない。アレは複数の人格を封入したナリ替わりじゃありませんか。よく破綻しませんね」
「確かに人間の脳髄では難しいですね。ですがナリ替わりの擬態は普通に考えられている以上に高度ですよ。中には自分がホンモノのヒトだと思い込んで居る個体すら居る」
「そしてその確保に成功した訳ですね」
「あとはヒトの人格と記憶を追加するだけ。複数の被害者の脳で無事な箇所から物理的にすくい取って、ナリ替わりの脳に移植補填して仕上げてます」
「そこらのナリ替わりでも充分でしょうに」
「駄目ですよ。自分をヒトと勘違いするほどに、高度な知能と情緒反応を持っていることが重要なんですから。まぁ、ゆくゆくはその技術も確立するコトになるでしょうが」
けったくそ悪い、と呟くと香坂医師は薄く笑ったダケだった。
「なぜ複数分の人格を」
「尖った部分を平滑化できるメリットがあります。人が多人格を有すると不都合が出やすいですが、擬態する生き物の特質でしょうか。何故か入り交じって別個の人格として安定してしまうのですよ」
「それも数々の実践の賜(たまもの)と」
「御存知ですか。ナリ替わりは消化器官の大半をヒトのものと入れ替えると、現在の擬態のまま固定されてしまうのです。食事は人の食べ物が必要ですしね。
どれもこれも先達より長い時間をかけて積み上げた技術ですよ」
よもやまさかこの様々な試みも、死からの復活を目論んで積み上がったもので在るまいな。
「聞きましたよ。過去、大陸に展開していた部隊関係者があなた方の始祖だとか」
「ノーコメントですね」
特に答えは期待してなかった。
そもそも公安なんて部所が、大戦中まで暗躍していた特高(特別高等警察)の関係者が基礎を築いた組織だ。
伝手なんていくらでもあったろう。
「刑期の明けない再生者の焼却処分が、当人の人格や記憶のみに限定されているというのは、どれ位の人が知っているのですか」
「決して多くはありません。再生者で知っているのは邑﨑さん、あなたダケですよ」
「まぁ、そんな気はしてました」
「ソースプログラムにバグの増えたパソコンは、一旦初期化して元データを再インストールするでしょう?
ソフトウエアが使い物にならなくなっても、ハードウエアは無事。
まだ実用に耐えるモノをむざむざ廃却する訳にはいきません。
同じ事ですよ。コレも『もったいない』の精神ですね」
「また彼女を蟹江國子として復帰させるのですか」
「彼女ではなく、今現在はアレです。まだ人間じゃありません。自我も記憶も無いただの素体ですよ。
でもそうですね。同じ姓名で再起動した方が手間は掛からないかも知れませんね。
初代蟹江國子を造った時のレシピと材料はまだストックが在りますし」
「材料が同じでも・・・・再生者としての経験や記憶はもう完全に?」
「あまり期待しない方が良いと思いますよ。物理的に排除、焼却しましたから。残滓くらいは残って居るかも知れませんが」
「残滓ですか」
「ただ運動野に関する箇所は手を付けていません。なので身体記憶は保持してます。幾ばくかの性能低下は在るでしょうが、昨日までの彼女と遜色無いモノが仕上がる予定です」
「・・・・そいつは何より」
「どうしました、元気が無いですね。お腹でも空きましたか」
「
「我々は
人が人の道を説けるのも生きていればこそです。
死んでしまえばそれでお終い。淵に呑まれて霧散します。生きてゆけるのは現世のみ。
我々はこの残酷な世界の中で生き延びねばなりません。生存することが全てに優先します」
あのボケ老人みたいな物言いしやがって。
「あたしに淵の講釈を?」
「これは失敬」
「あたしはこれで失礼させていただきます」
「ああ、待って下さいよ。あなたはこれまで幾匹ものナリ替わりを見逃して来てますよね。生き延びられるように温情をかけた個体すら居る」
「・・・・何処で知りました」
「
あなたはヒト喰らいでなければ特に何の害意も抱かない。シビアであると同時にフェアでもある。
『蟹江國子』をあなたになら任せられると思って居るのです。
どうか、二代目の起動に立ち会って頂けませんか」
「・・・・」
実に勝手な物言いだ。
このあたしをいったい何だと思って居るのか。
腹立たしい事この上ないというのに。
直ぐさま踵を返して、この膨れ上がったいけ好かない医者を自分の視界から消してしまいたいというに。
何故だかどういう訳だがどうしても、あたしはこのムカつく場所から立ち去ることが出来ずに居た。
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