10-9 苦虫を噛みつぶしたような顔

 わずか四時間の縫合手術の後に、アッサリと麻酔抜けした蟹江がベッドの上で笑って居た。

 包帯とギプスで固められてはいるが、とても数時間前に切断された腕には到底見えなかった。


 分かっちゃ居るがこういう場面を見ると、やはりあたしらはヒト為らざるモノであると、改めて思うのだ。


「明日焼却だってのに、なんでこんな無駄な事するのかね」


 蟹江は悪態をつき、ギプスの上から軽く自分の手を叩いて顔を歪めていた。

 何をやっているのやら。


「私闘した挙げ句に右手喪失だなんて、記録にしたくないからでしょ」


「まさにお役所仕事。事実よりも建前が全てだってか。それはそうと邑﨑むらさき、手加減するなと言ったのに手加減したわね」


「手加減せずに右手を落としたわ」


「じゃなくて、あの間合いとタイミングなら手じゃなくて首を落とせたでしょう」


「あなたの処分は焼却であって打ち首じゃあない。しかもあたしは執行権を持っていない。

 明日の処分決行の時間まであなたは生きる義務が在る。

 手加減じゃなくて権限の有無と規範の遵守に則ったダケの話よ」


「けったくそ悪い。でも良かった。邑﨑、やっぱりあんたは強かった。地区担当者に負けたってのはデマだよね。それが分かっただけで、もう満足だよ」


「術後譫妄せんもうは出てないみたいね」


「出るわけないでしょう。わたしらに」


「じゃあちょっとしたウンチクを聞いてもらおうかしら」


「あのね、今更わたしがそんなもの仕入れても何の意味もない・・・・」


「あたしには他の再生者には無い、絶対のアドバンテージが在る。

 コレが在る限り大抵の人外に遅れを取ることはない。

 再生者相手にしてもまた同様。同じステージで闘う限り決して負けない自信があるわ」


「な、なによソレ」


「聞きたい?」


「是非」


「特研(特殊医療研究管理局)の生体行動学、黒部河先生は知ってるわよね」


「ああ、邑﨑を執拗に解剖したがっていたあの偏執狂パラノイア


「あの先生の所見によれば、あたしは五感以外に脳で直接世界を見ているらしいわ」


 環境空間把握能力と彼の御仁は呼んでいる、とあたしは切り出した。


 それは自分が知覚できる空間内に起きている事象を、全て知ることが出来る能力。

 レーダーやソナーみたいな能力と言えば一番近いが、自分から何も発する事も無く、「そこに在る」というだけで瞬時にその全てを把握出来た。


 タイムラグはほぼ皆無。

 故に偶発的な事象ですら、最初から起きることが分かって居るかのように対処出来る。


 そして目や耳や鼻など、五感で知る訳ではないのだから死角なども在り得ない。

 自分を中心に全周全方位の様子や在り方が直感的に理解出来るのだ。


 研ぎ澄ませば、空から降ってくる雨粒の中の水の動きですら知覚出来るし、本の隙間に居る紙魚の筋肉パルスすら読み取って、次にどう動くのか予測することも難しくない。


「ざっくり言えば、極めて予知に近い勘の良さといったところかしら」


 これに数多の経験と再生者の反射速度が加われば、無敵不敗を語るのも難しくはない。


 勿論もちろん油断は禁物で、思い込みや勘違いで対応を間違えることも在るし、脳ミソの処理が追い付かない時もある。

 たまに意識していない箇所を取りこぼすのも良く在る話だ。


「でもまぁ誤差のうちよね」


「ふざけんなよ、なんじゃそりゃあ」


「それでも下積みはしっかりやったわ。どんなに高い能力でも身体がついてこなければ話にならない。

 大切なのは精度。身体のコントロールが完全でないと能力も宝の持ち腐れ。

 もっとも、刃先をミリ単位の精度で打ち込む技術は過剰だったかも知れないわね」


「ミリって、アンタ」


「だからそこら辺の闘技マニアが何をどうこうしようと、あたしに土を付けるのは到底不可能。だから追いかけて来る者はご愁傷様といったところかしら」


「ソレはわたしに言ってるのよね」


「さあ。解釈は人それぞれよね」


「なんであんたにそんな能力が」


「その辺りは淵に住むあのボケ教授に聞いた方が早いかもね。

 ヒトの無意識領域がひとつなぎになって淵を造っているけれど、その一端から派生した能力ではないかと黒部河先生は予測している。

 量子力学の他世界解釈だとか小難しいこと言ってたな」


「じゃあ、あんたのオツムは淵と直結して居るというの?」


「あら、誰の脳ミソでも一緒でしょ。無意識の在処ありかはソコなんだし」


「うぅむ」


「まぁ、どんな人間でも最後はみな淵に堕ちる。ソコで全ての答え合わせをするというのも一興かもね」


「淵に堕ちたら記憶も人格も木っ端微塵、バラバラよ。出来る訳ないでしょ」


「例外が一人居るから、不可能って訳でもないと思うけど」


 あたしはそう言って笑って見せたのだが、蟹江は苦虫を噛みつぶしたような顔をしただけだった。

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