10-8 何故かその口元は微笑んでいた

 現時刻 本庁舎別棟




「あの頃のあなたはまだ可愛げがあったんだけどね」


 まるで留置場のような殺風景な部屋だった。


 窓には頑強な鉄格子がはめ込まれ、コンクリートの壁は通常の倍以上の厚みがあり、無駄に重いドアは拳銃程度では貫通どころか傷を付けるのも困難な、防弾鋼板製という念の入れ様だ。


「別にこんな所に閉じ込めなくったって逃げやしないのに」


 蟹江は鼻先でせせら笑っていた。


「何かの間違いで焼却予定品が紛失だなんて、そんなコトにでもなれば体裁悪くて誰にも相談出来ないからじゃない?」


「なる程」


「・・・・今からでも取り消しは出来るのよ?」


「耳タコ。上司も含め、何人にその台詞を言われたと思って居るの。わたしはもうイヤなの」


「子供を切り刻んだから?」


「アレはもう先行きのなかった被害者たち。一思いに引導を渡してやって、むしろ善行を積んだと云っても良いわね」


「露悪にまみれれば気持ちも楽になると」


邑﨑むらさき、あんたは相変わらずよね」


「以前はあたしをリスペクトしているとかってくれたのに」


「今でもそうよ」


「そうだったの」


「そうだったのよ」




 あれはいつだったろう。


 蟹江國子が正規駆除者として活動を始めてしばらくした頃、現場が重なって出会った事が在った。


「随分とゴツい得物ね」


「邑﨑さんのなたを受けて思い直したんです。厚肉の得物の方が寸断力を期待できる。切っ先の速さは普通の日本刀より劣りますが、それをフォローする為に長柄としました」


 別にあたしを基準に考えなくても良いのではないかと思った。




 二度目に会ったのは機密資料の閲覧で本庁舎を訪れた時だった。


「邑﨑、邑﨑じゃない。久しぶりね」


「・・・・なんだか随分となれなれしくなったわね」


「あ、ゴメン。気を悪くした?ダメだったら元の口調に戻すけど」


「別に。ただどういう風の吹き回しかと思ったダケ」


「ちょっとヘコんだ時期があって、香坂先生にカウンセリングしてもらったの。もっと自由になって良いって言われて。押さえつけるモノは少ない方が良いって助言されて」


「まぁ、妙にしゃちほこばったりするよりは余程によいかもね」


「でしょう!」


 明け透けな蟹江は妙な感じだったが、本人が楽になるならそれで構わないと思った。




 次に会ったのは広域殲滅せんめつの業務で、幾人もの駆除者達が一同に会した時だった。


「蟹江、アンタ頭大丈夫?」


「邑﨑までそんなコトを言う」


「言わない方がどうかしている。此処ここはヌーディストビーチじゃない。どういうつもりだ」


「コッチの方が動きやすいのよ。自由に動けるのよ。押さえつけるモノは少ない方が良いのよ。どうせ返り血でドロドロになって着ている服は一回で廃却。だったら何も着ない方が無駄がないとは思わない?」


「服と一緒に羞恥心も失せてるみたいね」


「見られて減るものでもないわ」


 物理的に減るものは無いかも知れないが、大切な何某かが大幅に減っているような気もする。

 だが、業務に支障がなければ口出しはすまいと思った。




 直近の業務で会う少し前にも蟹江と会った。

 駆除業務を終えて一週間の観察期間の最中、彼女の方から訪ねて来たのだ。


「今回は随分と大物だったわね。速報の資料で読んだわ」


「ただ図体がデカかっただけよ。四肢が太くて切り飛ばすのに難渋したけど、動きは鈍かったからどうということはなかった」


「わたしの長柄刀で切れたかしら」


「あんなイレギュラーそうそう居ないから対処しても仕方がない」


「わたしも鉈にしようかな」


「あなたはあなたの得物で充分でしょう。手に馴染んだモノが一番だと思うけど。自分の相棒が不服なの?」


「そういう訳じゃないけど」


 隣の芝は青く見えるモノだ。どうにも蟹江は自分を過小評価するきらいがある。




「焼却前にあたしを呼ぶのはどういうつもり?」


「初めて会った時に武道場で手合わせをしてくれたでしょう。

 わたしの駆除者としての始まりはあそこからだったし、最後のシメもやはりあんたとの手合わせで終わらせたかった。

 いわば、けじめって所かしら。同僚最後の我が儘くらい聞いても良くはない?」


「やれやれ。これだから体育会系の人間は」


 蟹江はこの建屋から出ることが禁じられているので、三つ分の会議室を分ける可動仕切りを畳み、一つの大講堂としてソコで手合わせをする事になった。

 出来れば穏便にと職員に頼まれたが、最後なのだから大目に見ろとねじ込んで、模擬刀ではなく互いの実剣で相対した。


「長年の夢だったわ、邑﨑。あんたとこうしてガチの勝負をしてみたかった。

 今のわたしがどれだけあんたに近づけたのか、それを知りたかった。

 どんな武闘家でも、常に全身全霊を賭けて挑める相手を求めている。分かるでしょう?」


「分からない。あたしは武闘家でもなければゴリゴリの脳筋でもないんだ。切れない相手を求めるなら岩でも切ってろって言いたい」


「ツレねぇなぁ。世の中にはリップサービスってもんも在るんだしさぁ」


「それよりも、こんな時ですら全部脱ぐんだね」


「当然。邪魔なモノは全て剥ぎ取る。全力を出すときには、何者にもわずらわされたくはないの」


「まぁ、らしいよ」


 手加減無用、と言われて勿論もちろんと応えた。


 危険だからと職員を全て部屋の外に追い出し、開け放しのドア向こうから「始め」と合図があった。


 最初に踏み込んだのは蟹江。


 長柄刀の遠心力で加速された切っ先を受けたが、想像以上の衝撃で鉈の刃が欠けて飛んだ。

 一瞬身体が浮いて、踏み込みが出来なくなる。

 まずい、と思った次の瞬間には切り返しの打突が飛んできていた。


 受けて、払って、避けて、踏み込んで、引いて、押して、弾いて、再び打ち込んだ。


 二の太刀、三の太刀が振ってくる度に、引き裂いた風の勢いだけで肌が切れたような錯覚があった。


 正直、強い。


 いつの間にここまで強くなったのかと驚くと同時に感心もした。

 駆除業務の合間にも寸暇を惜しんで鍛錬してきたのは間違いない。

 フィジカルと端から身に付いていた固有の能力、そして積み重ねた数多の殺戮経験に胡座をかくあたしとは目指す地平が違う。


 だからこそ惜しいと思うのだ。


 生き残るのならこういう子だと、心からそう思う。


 蟹江國子。

 あなたはリスペクトする相手を間違えている。

 あたしなんかを目標なんかにしちゃいけない。

 自分の中に在る遙かなる高み、際限なく高くなり続ける己の理想を追いかけなきゃ駄目だ。


 足を止めた連打が始まった。

 縦、斜め、横、すくい上げ、そのまま息をつく間もない必殺の打突連打が嵐のように襲ってきた。


 だが甘い。


 引き手に合せて瞬時に体を払い、側面に回り込んで右腕を叩き切った。

 ぎゃっ、と悲鳴が上がって、得物と一緒にそれを握りしめたままの右手が床を滑って転がっていった。


「勝負あり、だね?」


 切られた右手の切断面を握り締め、脂汗を流す蟹江の首筋に鉈の刃を押し当てた。

 「そうだね」と激痛に顔を歪めながらも、何故かその口元は微笑んでいた。

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