10-7 体験出来て逆に良かった
反射的に駆けていた。
腰の長物に手を添えて、蟹江國子は声のした方角へ向けてひた走る。
確かこの辺りと見当を付けた付近で周囲を見回していると、再び声は聞こえた。
ずっと近い。
そしてそれは一筋向こう側の路地と知れた。
声を追って駆け込むと、一人の少女が腕の中に飛び込んできた。
「助けて下さいっ。刃物を持った人に追われているんです」
髪の長い子だった。
切羽詰まった様子で背後を振り返り「一緒に逃げて下さい」と手を取って駆け出そうとするのだ。
「追われてる?誰に、それにどうして」
「問答している暇はありません。早く!」
恐慌をきたしている少女の背後の路地から、見覚えのある小柄な人影が飛び出してきた。
「蟹江っ、離れろ。ソイツが食堂の主だ」
そしてその台詞が終わらぬ内に、彼女の
気が付けば、蟹江國子は少女を背中に
咄嗟に抜いた細身の日本刀で、鉈の斬撃を受け弾いたのである。
「む、邑﨑さん。え、食堂の?この子が・・・・え?」
「その容姿に
路地での口論に付近の家屋から顔を覗かせる者も居て、何事かとざわめく気配が徐々に大きくなり始めていた。
混乱して頭の中が真っ白になる。
そしてその次の瞬間、いきなり身体が強い力で前方に飛ばされてキコカの身体にぶつかった。
背後から蹴り飛ばされたと知ったのは、彼女に
「邪魔だ!」
未だ状況が呑み込めないまま、次にキコカに突き飛ばされてたたらを踏んだ。
そして再び彼女の鉈が振われたのだが、それは虚しく空を切り、少女の影が家屋の屋根に跳躍する様が見て取れたのである。
「ちっ」
強い舌打ちの音が聞こえ、次の瞬間にはキコカの姿もまた消えた少女の影を居って屋根の上に在り、あっと言う間もなく見えなくなった。
路上には、刀を片手に呆然と立ち竦む、二〇代中頃の若い女性が居るだけだった。
血まみれの児童公園にはすでに対処班の人員が到着していて、手際よく後片付けが行なわれている最中だった。
そしてその様子を一顧だにすることもなく、ほぼ真っ黒な白黒ブチ猫が木の根元へ、一心不乱に穴を掘っていた。
その傍らには猫の死骸があった。
「その子がアンタのガールフレンドだったネコ?」
いきなり降って湧いたように声が掛けられ、夜闇に溶け込んでしまいそうな黒猫が顔を上げると、少女と思しきモノを肩に担いだ
「苦労したわ。こんなモノ担いで夜道を歩くわけにも行かないし、人目に付かないよう屋根伝いにやって来たけれど、コイツ思いの他に重たいしね。オマケに体液をそこら中に滴らせる訳にもいかない。漏れ出ないよう梱包する方が大変だったよ」
少女の姿をしたモノは半裸だった。
頭の無くなった首元はシャツで包み込まれ、キコカの左手に下げられたスカートと思しきもので包まれたものは、小ぶりなスイカほどのサイズであった。
臭う体液で手酷く汚れていて、それが首から上のパーツであろうコトは容易く察しが付いた。
対処班の人員に骸を手渡し二言、三言話すと、キコカはスコップを片手にほぼ真っ黒なブチ猫の元に戻ってきた。
「手伝うよ」
少しの間、少女の姿をしたモノと猫の姿をしたモノは、黙々と穴を掘り続けた。
途中で何度か、もうこれ位でいいんじゃないかと声を掛けるのだが、猫的な相棒は満足出来ないらしく、結局足の付け根までずっぽりと入るくらいの深い穴となった。
弔う相手は元白猫であったようだが、自分の血で塗れて元の毛並みが判別出来ないほどだった。
内臓がゴッソリ失せていて、何があったのかは言うまでもなかろう。
土を被せようとすると、待ってと懇願するような顔が見上げてくる。
「名残惜しい?まぁ、ゆっくり別れを告げるといいわ」
キコカは立ち上がったが、ほぼ真っ黒なブチ猫はピクリとも動かない。
首の骨が溶けてしまったのではないかと思える程に深く頭を垂れ、穴の底へ無言の告別に終始するのだ。
「邑﨑さん」
「おや、遅かったわね。何か問題でもあった?」
声に振り返って見れば、酷く憔悴したような面持ちの蟹江國子がソコに居た。
「
初対面の時を彷彿とさせる、実にしゃちほこばった礼だった。
よくもまぁソコまで折り目正しく腰を曲げられるモノだと、感心するほどの角度だ。
「まぁ初見の者は大抵
「本当に、本当にスミマセンでした。それに食堂でも後先考えない、無作法な振る舞いを」
「もういいから。それよりもあたしの一振りが弾かれたのは驚いたわ。全力ではなかったとはいえ大したもの。あれから随分と頑張ったみたいね」
「無我夢中だっただけで。それにアレが無ければもっと容易くカタがついて」
「済んだコトよ。それに特に被害が発生した訳でもないし、デコピンのお陰で予想外の別口も始末出来た。しかもヤツを誘い出すというオマケ付き。むしろ上々と云っていいわ」
「黒猫さん、どうしたんですか」
「彼女がアレに喰われたようでね。いま最後のお別れをしているところ」
「そうだったんですか。わたしも手を合せて良いですか」
「良いんじゃない」
振り返って見ると件の猫的な相棒は、すでに後ろ足で土をかき入れている最中だった。
蟹江が手を合せて祈っている間はピタリと作業を中断し、祈り終わるとまた土を被せ始めた。
「お別れが終わったのなら呼びゃあいいのに。アンタだけだと夜が明けちゃうよ」
キコカはスコップを手に取ると、再び穴の縁に歩み寄って行った。
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