チャプター2
大河の言う通り、年内は仕事がなかった。
再び連絡がきたのは1月の中頃で、冬の寒い日だった。周助の働くコンビニでも、ホットコーヒーや肉まんがよく売れている。
配当はあと3回に迫っていた。来年度の話はまだ聞いていない。
大河は軽トラックでの運搬の仕事があると、打ち合わせのために彼をオフィスに呼び出した。今回は冬なので、雪が降った時の対応などもあり、少し複雑らしい。
ダウンジャケットを着た周助は、品川へ向かった。
いつものように受付の電話で大河を呼び出し、いつもの会議室に通された。
大河は眉を寄せながら言った。
「申し訳ないんですけど、今回は場所が遠いんです」
「えっ?どちらでしょう」
「秩父です。佐多島さんの自宅からは3時間以上かかりますね。朝も早いですし、スケジュールが厳しいので前日、近いところで宿泊してください。もちろん、費用は会社が払います。ホテルは任せますが、2万円ぐらいで抑えてくれると助かります」
2万円と聞き、そんなにいいホテルに泊まっていいのか?と驚く周助だったが、それよりも気になったことがある。
「えっと……秩父ですか?」
「ええ、埼玉の山奥です。わかりますか?」
「大丈夫です」
秩父と聞いて、周助はどこかで聞いた気がした。青春18きっぷはJRしか使えず、秩父はJRの駅ではないので行ったことが無いが、記憶の片隅にある。
そうだ、奈々子だ……と思い出した。
確か、あのエリアは彼女が担当していたはずだ。結婚して投資を辞めたため、自分のところに仕事が回ってきた気がする。
8月の時にはあまりにも急な結婚報告に落ち込んでしまったが、今思い返せば妙な気がする。海ほたるでのSNSへの投稿や、メッセージを受け取っている。にもかかわらず、港にたどり着いた投稿が無いということはあり得るのだろうかと。
これについて、大河に突っ込んで聞きたくなった。当然、気に障って投資の打ち切りということになる可能性もある。
周助の脳内では安定を取るか、好奇心を取るか、高速で考え始めた。
今までは安定が勝ってきたが、今回は好奇心が勝った。
「あの……そのエリアって、前は岩室さんという人が担当でしたよね?」
「彼女は辞めました」
大河の即答に、周助は思わず謝罪した。
「すいません」
大河の表情は相変わらずニコニコしているので読めなかった。なぜ奈々子のことを知っているのだということも言われず、不気味だった。
周助は慌てて話題を変えた。
「それより、来年ってどうなるのでしょうか?そろそろ目処って見えませんか?もしよければ続けたいですし、増資できるのであれば、したいと思っています」
「そうですね……去年の話通り、来年は続行になります。佐多島さんは、この投資をずっと続けたいと思いますか?」
「もちろんです!絶対に儲かる投資と言われて最初は本当かって疑いましたけど、配当はちゃんと支払われていますし、不満は全くありません。そりゃ、仕事の成果ですし、林業や冷凍食品の運搬が実際にどういう役に立っているのかっていうのは気になりますけど、投資自体には不満はないんです」
「なるほど」
「というよりも、みなさんそうですよね?」
「そうですね。みなさん継続を希望しています」
「増資できるとなると、毎月貰えるお金も増えるわけですよね?貯金をして毎年増やしていけば、月収100万とか、そんな感じになるわけですよね?仕事の頻度もあがるかもしれませんが、コンビニのアルバイトよりはいいですし、辞める理由がありません」
周助は大河の顔をじっと見た。
数秒後、大河は頷いた。
「その話は次の仕事から戻ってからしましょうか。佐多島さんは今回も千葉で宿泊しますよね?次の日の昼間にここで話をしましょう。私も予定を開けておきますから、13時にここにきてください」
「わかりました。13時ですね。よろしくお願いします!」
-※-
まだ陽も登っていない暗い時間に周助は秩父のホテルを出た。朝食も用意されているホテルだが、時間が早すぎて食べられず、前日に買っておいたおにぎりを2つ食べただけだ。
ここは山奥ということで、早朝は凍てつくような寒さだった。雪こそ降っていないが、両手をダウンジャケットのポケットに入れながら、震えるように目的の場所へと歩いていく。
やや北西に向かう一本道の道路の周囲は暗く、道路は誰も歩いていない。
動けば多少は暖かくなるかという期待は甘かった。途中で缶コーヒーを買い、カイロ代わりにポケットに突っ込んだ。
大きな橋が見えてくると、路上に一台の軽トラックが止まっていた。ハザードランプを光らせた軽トラックの荷台には、大きな銀色のボックスが取り付けられており、以前鳩ノ巣で使った車と同じデザインだとわかる。
エンジンはかかっていた。運転席には長髪の男が座っており、スマートフォンを見ている。年齢は自分よりも少し上ぐらいで、若く見える。なんにせよ、車内は暖房が効いていそうでありがたい。
軽トラックの後ろに外車の黒いセダンが止まっていた。フロントについているエンブレムは有名ブランドのもので、高級車だとわかった。こちらのエンジンは掛かっていないが、長髪の男のものかと思う。帰るのに使うのだろう。
車に近づいた周助は、運転席の扉をノックして会釈した。
長髪の男はスマートフォンから視線を外すと、笑顔で車からおりてきた。
「サラマンダーの人?」
「佐多島です。トラックの回収にきました」
「寒い中、ご苦労さん。あとは任せて大丈夫?」
「はい、大丈夫です!事故に気をつけて、房総半島の港に向かうんですよね?」
男は短く頷いた。震えており、寒いので早く終わらせたいようだ。
「じゃあ、よろしくな!ガソリンは満タンだし、ナビはセットしてあるから」
「ありがとうございます!」
男はそう言うと、後ろの外車に向かって走った。周助もすぐに軽トラックに乗り込み、扉をしめた。暖房はすでに効いており、助かる。
ナビの目的地もセットされているようで、すでにルートが示されていた。
周助は椅子の調整をし、ハザードを消して車のアクセルを踏んだ。
あの外車は長髪の男の車らしい。車の値段は詳しくないが、1000万円ぐらいはしそうだ。
つまり、彼はあれが買える給料を貰っているということになる。ローンだったとしても凄い話だ。
周助は彼が秩父の川魚を加工するメーカーとは思っておらず、投資グループだと思っている。何の役割を持っているかまではわからなかったし、軽トラックに積まれているものがなんなのかもわからないが、そうなのは間違いがない。別の会社なのか社員なのか、自分よりもキャリアの長いアルバイトなのかはわからないが、そうだろう。
そんなことよりも重要なのは、絶対に儲かる投資に深く絡むことであの車が買えるということだ。自分も長い年月、サラマンダー・エクスプレス社に絡んでいけば、ああいう車を手にすることができるということになる。
先日、大河に投資を続けたい、増資を続けたいと言った思いは、高級外車を見たことで更に強まった。もっともっと年収を増やし、もっともっと夢を見たいと思う。
運転をしながら周助は更に深く考えた。
外車を買えるあの男は、働き始めて1年や2年ということは無いだろう。もし運用側のリスクとやらで大河が投資を縮小すると判断した場合、あの男は切られない気がする。切られないからああいう物が買えたのだろう。
しかし、周助は違うかもしれない。
他のアルバイトが何人いて、仕事の評価がどう付けられているかわからないが、自信を持って自分は切られないと言える材料は何もなかった。
気になることは一つある。
奈々子のエリアだった秩父は、東京や群馬など、近隣のエリアからだって来ることができる。同じ神奈川の他のアルバイトだっていいはずだ。
いるかどうかは不明だが、他のアルバイトではなく、今回自分が選ばれたのは評価された結果なのかもしれないとも思う。自信は全く無いが。
「材料が欲しいな……」
飯能に向かう長い山道を走りながら、周助はそう呟いた。
なんでもいい。大河に認められる材料が欲しい。
-※-
高速に乗った周助は、中央道からアクアラインへと進んだ。
海ほたるで休憩をし、眠気覚ましにコーヒーを飲む頃には太陽は上がっていた。
再び車に乗り込んだ周助は、海の上を走り出した。当然、安全運転だ。道路はガラガラだが、警察に捕まるのは絶対に避けたい。特に、今日はそう思う。大河からの評価がマイナスになるような行動は絶対に起こせない。
慎重に館山の港に向かった。
そこには去年来たときと同じように数人の釣り人と、漁船があった。
そして、スキンヘッドの男もいた。流石に寒いのでラフな格好というわけではなく、厚手のニット帽をかぶり、厚手のモッズコートを身につけている。
手袋をした手を上げ、白い息を吐きながら、
「おう!お疲れ!」
と声をかけてきた。
周助は男の横に車を停めると、エンジンをかけたまま車をおり、
「お疲れ様です」
と、頭を下げた。自分を覚えていてくれたのか、車を見て判断したのかはわからないが、名乗らなくても大丈夫そうだ。
外はやはり寒い。前回と同じように、スキンヘッドの男が大河に連絡を取り、OKを貰うまでが長く感じてしまう。
「駅までいくんだろ?乗ってくれ」
どうやら覚えていてくれたようだ。前回も駅まで送ってもらった。
「お願いします」
スキンヘッドの男はアクセルを踏んで車を走らせると、
「寒いだろ?」
と言った。
「寒いです。ただ、秩父はもっと寒かったですね。まだ真っ暗でしたし」
男は豪快に笑った。
「漁に出てる奴らはもっと寒いぞ?」
「あの釣りをしていた人たちも、暗い時間からやっているんですよね?寒そうです」
「ああ。ただ、あいつらは趣味みたいなものだからな。寒いのはわかっていてやってるんだよ。佐多島さんは趣味とかあるの?」
周助は頭をかいた。なにもないと言っていい。
「この仕事をやっていれば、ある程度貯金は溜まっていくだろう?なにか始めたほうがいいんじゃないの?」
「えっ?」
「そんなに驚くことでもないだろ」
「すいません、そうですね」
周助が驚いたのはそこではなかった。急に趣味を見つけろと言われたことではない。スキンヘッドの男が『この仕事をやっていれば』と言ったことだ。
彼は、自分が投資に絡んでいることを隠さなかった。去年、青梅のマンションで会った男は隠したのに、彼は隠さなかった。つい言ってしまったのか、そうでないのかの判断はできなかったが。
「えーと……あなたは……」
「あー、そういや名乗ってなかったな。
「小田さんは趣味はあるんですか?」
「俺か?俺はバイクだな。房総半島は走る場所が一杯あるし、アクアラインを使えば反対側まですぐだろう?箱根はいいぞ」
「そうなんですね。未知の世界です」
「まあ、色々考えてみろよ」
「わかりました!」
周助は駅に到着し、小田と別れた。
ここから電車で袖ケ浦に向かう予定だ。2万円まで使っていいと言われているが、経費を使いすぎるのもどうかと思い、前回と同じビジネスホテルに泊まることにした。
食事は自腹だし、いいものを食べたい。前回と同じ海鮮丼でもいいが、温まるものの方がいいかなと思う。
無難にラーメンを食べ、コンビニでお菓子や飲み物を買ってホテルに戻る。
シャワーを浴びて落ち着いた周助は、ホテルのベッドに寝ながら小田に言われた趣味というものを考えてみることにした。
世の中の大半の人間が持っている、趣味。
アルバイトをしているコンビニの同僚でさえ、半数は何かをやっている。学生の頃の延長でスポーツを続けているような大人もいるし、なんらかのサークルに入っている大学生もいる。
周助は無趣味と言ってもいい。
お金が入るようになってブランド品をいくつか買ったし、スマートフォンもハイエンドの最新モデルを買った。いいものもたくさん食べた。
が、そこまでだった。基本無料ゲームには1円も課金していないし、旅行も18きっぷにネットカフェのままだ。
これは、投資が安定していないという理由もあった。
いつまでも収入があるわけではないのに、高い家賃のマンションに引っ越しをするわけにはいかないし、車を買おうとも思っていなかった。港にいた釣り人のように何かを始め、継続できなくなるのは嫌だった。
コンビニの同僚のようにアルバイトのお金でできる範囲のものも山ほどあるのだろうが、それらはこの投資が始まる前から興味を持たなかった。
もっとお金があれば変わるかもしれない。今朝の高級車は羨ましかった。
投資は継続したい。増資したい。できれば永久に。
周助の思いはそれだけだった。
明日、大河とその話をすることになる。どういう展開になるかわからないし、自分には交渉能力などなにも無いが、ぜひ増資したい。
周助はそう思いながら、暖房の効いた暖かい部屋で眠りについた。
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