第3章 激流
チャプター1
9月は仕事がなかった。
周助のほうから会社に問い合わせるまでもないと思い、なにもアクションを起こさなかったが、配当はしっかりと振り込まれた。
これで、6回。ちょうど半分だ。
最初に預けた100万円が戻って来るとすると、倍になったことになる。税金で取られてしまう分はあるが、額面上は半年で倍になったことになる。
そして、10月。
この月の始めに、世界を揺るがす大きな事件があった。
ヨーロッパのある国の投資銀行が運用に失敗し、巨額の負債を残して倒産した。そして、それは連鎖した。
ダンボール箱を持ちながら、オフィスのビルを出ていく外国人の姿は、電波を通じて世界のほとんどが目にしたことだろう。
昔、サブプライムローンの返済不能者が溢れた時、大手の投資銀行が倒産し、世界経済に大きなダメージを与えた。為替は大きく動き、どの国の株価も落ちた。あれと同じような出来事が、もう一度起きたのである。
日本の株価も当然下がった。ニュースを見るとどのチャンネルでもこの問題が報道され続け、経済の権威が次々に解説をしている状態だ。倒産やリストラは当然として、新卒の就職にも影響が出ている。
周助はテレビを持っていないが、インターネットのニュースや動画サイトで目にしていた。
こうして、突然の世界的不景気が始まった。
しかし、コンビニのアルバイトであり、キャリアも長いベテランの周助には全く関係のない話だった。ベテランといっても激的に時給があがるわけでもないので切られることはないし、仮に今のコンビニが潰れたとしてもベテランの自分を受け入れてくれる代わりがいくらでもあった。つまりは無傷だ。
インターネットの掲示板やSNSでも、資金を失ったという投稿で溢れている。すべてが本物というわけでもないだろうが、一部は真実のはずだ。
その一方で、激流を上手く乗りこなし、財産を築いたものもいた。投資口座のスクリーンショットを添付し、ファイヤーと叫んでいる。
そんなニュースを見ながら、周助は思っていた。サラマンダー・エクスプレスはどうなのだろうかと。
商社としてのダメージは当然あるだろう。仕事が減っているはずだ。この会社は大手というわでもなく、ダメージは大きいだろう。
周助にとって、そこは重要ではなかった。
重要なのは投資の方だ。絶対に儲かる投資というのは、この激流に飲み込まれていないのか心配になる。7月から仕事がこないというのも心配だ。
周助はメールアプリを起動し、大河に向けて質問をしてみようと考えた。
慣れないビジネス文章なので何度もバックスペースを押して消しながら、失礼が無いかと何度も確認して、緊張をしながら送信ボタンを押した。
メールはすぐに戻ってこなかった。
1秒が長く感じた。
何度か時計を確認しながら送受信ボタンをクリックしていると、大河からのメールが届いた。
文面を見て、周助は安堵した。
「心配をおかけして申し訳ありません。問題ありません。それどころか、大きな利益になりました。ですが、本業の方でやられている分がありますので、会社全体としては、若干のプラスといったところですね」
どうやらサラマンダー・エクスプレス社は勝ったらしい。
商社だけに勝者になったかと思い、周助は苦笑すると、大河に向けてお礼のメールをかいた。最後に、
「仕事がありましたら、いつでも任せてください」
と記載するのを忘れなかった。
すると、返事はすぐにやってきた。
「来週、青梅の事務所に書類を取りに行ってもらえませんか?春に行ったマンションです」
-※-
中央線は、青梅の駅にたどり着いた。終点なので全員がおりるが、客はまばらだった。
大きく伸びた周助は、秋の気持ちよさを感じた。鳩ノ巣のほうもあるのなら、紅葉シーズンがいいなと思う。
ここは入り組んだ町では無いので、周助は記憶を頼りにマンションにたどり着くことができた。階段をあがり、一番奥の部屋のインターホンを押した。
そろそろ7回目の配当だ。仕事自体は2回しかやっていないが、半年以上も経過しているので、緊張はもう無い。
周助は落ち着いて、
「サラマンダー・エクスプレスの佐多島です」
と伝えた。
扉が開くと、春と同じように黒髪のメガネの女性が出迎えた。
奥の机には中年の小太りの男が座っていた。筋肉質の髭面の坊主の男は変わらないことから、髭は整え、髪は定期的にバリカンを入れているのだと思われた。
「おっ、久しぶりじゃないか!」
男は両手を広げて歓迎した。
「ご無沙汰しております」
男は笑顔で返し、キャビネットの一番下に鍵穴を指した。それと同時に周助はデイバッグを開け、書類をしまう準備をした。
厚さ1cmほどの封筒を受け取ると、
「では、すぐに品川に戻ります」
と言った。
「そういや、御社は大丈夫なのか?この不景気」
「ええ、幸村さんには大丈夫と聞いています」
「そっちじゃない。商社の方だよ」
「……えっ?」
周助は目を丸くした。なぜこの男は『絶対に儲かる投資』のことを知っているのだろうと思う。それとも、商社と投資以外にも部署があり、自分をその部署の人間と思っているのだろうか。
周助はそれはないなと思った。なぜなら、男がしまったというような表情を作っていたからだ。
自分が今やっているのは商社の仕事であり、受け取ったのは林業のレポートのはずだ。だとすると、この男は投資とは全く関係ないことになる。
これではまるで、この仕事が商社ではなく投資に関係あるようにも思える。
男は虚ろな目で、
「いや、なんでもない。書類、頼むぞ」
と言った。
周助は頭を下げ、マンションを出ていった。
坊主の男はキーボードを手元に寄せ、メールアプリを起動した。
「幸村さん、申し訳ありません。ミスをしてしまいました。書類を受け取りにきた佐多島という男に、投資の件の口をすべらせてしまいました」
返事はすぐにあった。それは、シンプルなものだった。
「具体的に教えて下さい」
涼しい季節にも関わらず、男は会話の出来事を一字一句、間違えないように記載し、送信ボタンを押した。
数分後、返事がきた。
「それであれば問題ありません。なにかあれば私の方で引き取りますので、引き続きお願いします」
「お手数をおかけします。よろしくお願いします」
-※-
周助は品川にたどり着いた。
ここまでの電車のなかでは、いやでも青梅であった話について考えさせられる。どう考えても、あの会社は投資と繋がっている。鳩ノ巣の冷凍食品の仕事も同じだと考えるのが自然だ。
それだけではなく、奈々子の秩父の仕事も同じだろう。他の同僚は知らないが、例えば栃木や群馬、茨城でも似たようなことが行われているかもしれない。
そう思うと、封筒のなかが気になる。
春の時には実際にドキュメントを見て、林業のものであることは確認している。もしかすると、あれはダミーかもしれない。
電車のなかで誰もいないことを確認してデイバッグを開き、封筒を見てみたが、厳重に封がしているので開ければ一発でバレるようになっている。これでは確認は流石に無理だ。
周助は大河に深く追求してみるかと考えた。
だが、できそうになかった。大河を怒らせてこの投資を切られても困る。ある程度の贅沢を覚えてしまった今、この投資のお金で生活が成り立っていると言っても過言ではなく、打ち切られて貧困生活をするのは絶対に無理だ。自分には奈々子のように結婚した相手に養ってもらうようなことはできない。
そんなことを考えながら、周助はサラマンダー・エクスプレスのビルに向かった。エレベーターで8階に向かう。
電話機で大河を呼び出してもらい、いつもの会議室に連れて行かれる。
デイバッグから封筒を取り出して大河に渡すと、彼はニコニコしながら、
「お疲れ様です。ありがとうございました」
と言った。
周助は恐る恐る言った。
「あの……今回の件も林業のレポートなのでしょうか?」
「ええ、そうです。気になりますか?」
周助は気になるという言葉を飲み込んだ。好奇心よりも安定を取った。
「いえ、前回と同じようなものなら、興味は特にありません。それよりも、次は冷凍食品の仕事があるのでしょうか?」
大河は、いえいえと右手を振った。
「年内の仕事は無いと思います」
「そうなんですか?」
それを聞いた大河は右手で頭をかくと、
「商社の仕事が急激に減ってしまいましたからね」
と話を始めた。
「知っての通り、佐多島さんたちのアルバイトは社員の手が足りなくなったときの助っ人です。今は仕事が減ってしまったため、助っ人が必要というわけでは無いんですよ。残念ながら……と付け加えるべきなんですが」
「なるほど、そうなんですね。」
「ただ、我々も待っていても仕方がありませんので、新しい商材を考えたりしながら、作戦を練っているところです。その次は営業ですね。このあたりは佐多島さんたちが手を出す部分ではありませんので、しばらくは無いんです。でも、安心してください。メールでお伝えした通り、投資には影響ありませんし、配当が減るということもありませんので」
周助は頷いた。
大河の言っている説明は十分に納得ができる。できてしまう。
「今回の不況は一時的なものだと思います。サブプライムローンのように長引くようなことは無いと思いますよ」
「そうなんですか?すいません、経済とか
「体力の無いところは倒産とかリストラと言っていますが、うちは大丈夫です。うちだけではなく、あの時の教訓を活かせて備えているところはすぐに復活できると思います」
ニュースでは大騒ぎであるが、大河のように優秀な社長であればそうなのであろう。ビジネスのことはよくわからないが、彼がいうのであれば間違いないと周助は感じた。
そこで、ふと疑問が湧いた。
「あの……投資の方も、ものすごいトレーダーが運用しているんでしょうか?株って売ることもできるんですよね?この激流を予想して、いち早く売っているとか、そういうことをしているんでしょうか?」
「うーん……」
大河は腕を組んで悩んだ。周助からすれば、珍しいなと思う。
なにか重要なことを言うべきか悩んでいるのだろうか?と思う。
「佐多島さんは『金融工学』ってわかりますか?」
周助は苦笑いをしながら即答した。
「一切わからないです。初めて聞いた単語です」
残念ながら違ったようだ。大河は周助が理解できるかどうかで悩んでいたようだ。
その世界は膨大な計算式が絡んでいて、数学や物理が重要だということぐらいは知っている。大河が言いたいのはそういう話なのだろう。自分は高卒だし、勉強もできる方ではない。
「だとすると説明が難しいですね。そういうエキスパートたちが考えた、絶対に儲かる手法……というのがあるんです。詳しいことは企業秘密ですが、あとで『聖杯』という単語を調べてみてください。我々は、聖杯を持っています」
「聖杯というものがあるんですね?調べてみます」
周助はお礼をすると、オフィスをあとにした。
-※-
自宅に戻った周助は、パソコンを起動して大河の言っていた聖杯について調べてみることにした。
単純なキーワードだと、ゲームの記事が大量にヒットする。流石にそれではないと思うので、投資などのキーワードを追加してみると、すぐに理解できた。
聖杯というのは、投資の世界における『必ず儲かる手法』のことらしい。誰もが夢見るもので、魔法の聖杯を売りますというようなビジネスも多いとわかる。
そして、『そんなものは無い』ということもわかった。
極端な話だが、明日に隕石が落ちて世界の半分が潰れたとしても、聖杯とやらは生き残れるのだろうかと思う。聖杯を持っていると言いながら、今回の不況で飛んだ者も少なくはないだろう。
だが、その一方で、『あるかもしれない』という思いもある。それに、大河はあると言っていた。
必ず儲かる手法があるのであれば、それを使って儲ければいいだけの話なので、誰かに伝える必要はない。つまり、オモテに出てくることは無いのである。
それを手にしているサラマンダー・エクスプレスは凄いと
もし周助が聖杯を手にすれば、一瞬で大金持ちだ。1年で3倍どころか、4倍にも5倍にもできそうな気がする。必ず儲かるのなら、稼いだ資金をどんどん投入していけばいい。10倍だっていけるかもしれない。
「……あれ?」
そこまで考えると、周助はおかしいと思った。
サラマンダー・エクスプレスが聖杯を持っているのであれば、なぜ来年で終わりかもしれないと言い出すのだろう。運用側もノーリスクのはずだ。そんなものがあるのなら、永久に継続できるはずだ。
キーボードとマウスから手を放した周助は、椅子の背もたれに寄りかかった。
やはり、何かがおかしい。
大河の言っていることを本当に信用していいのかと思う。
信用しないとすると、話が変わってくる。林業の話も冷凍食品の話もウソであり、金融工学というのも多少は使っているかもしれないが、大河は聖杯は持っていないことになる。順調に配当を貰っているのでウソだったとしても別に構わないが、自分の仕事ぐらいは気になる。
年内にアルバイトが無いのはなぜかと思う。大河の話がウソであり、仕事がない理由が不況のせいというわけで無いのなら、なぜ無いのかと思う。
周助は何がなんだかわからなくなったが、彼の頭では深い追求はできなかった。
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