チャプター2

 4月25日がやってきた。

 その日の朝、パソコンで銀行口座にログインをした周助は目を丸くした。

 思わず感嘆の声をあげた。


「おお……」


 本当に配当が振り込まれていた。税金は引かれているが、残高が増えている。

 周助がざっと考える限り、住民税を引いて10万円ぐらいは使えるようだ。来年の住民税がいくらになるかはわからないが、そんなものだろうと推測しておく。


 10万円。これは世界が変わる。

 1ヶ月30日とすると、1日300円、使えるお金が増えることになる。牛丼の特盛を頼んでも余裕だし、ラーメンのトッピングも自由に選べるようになるのである。

 いや、そうではない。

 300円ではなく、3000円だ。

 1日3000円も余裕ができる。

 チェーン店であれば毎日寿司屋にいけるし、焼き肉だって毎日食べられる。外食をして値段を見て悩むことはなくなり、その時に食べたいものを自由に食べることができるのである。

 ラーメンのトッピングは自由に選べるどころか、全部乗せることができてしまう。

 もちろん、世の中には高い食べ物がいくらでもあることは知っている。しかし、周助にとっては、3000円は無限の世界が広がっているようにも思えた。

 周助はお酒はあまり好きではないが、世間ではお金がなくてビールが飲めず、発泡酒で我慢をしている……というのを見たことがある。が、今の自分はビールだって余裕だ。毎日2、3本ぐらい飲んでもいい。


 なにも食費に回さなくたっていい。古くなったパソコンを買い替えることや、型落ちのスマートフォンをもっとハイスペックのスマートフォンに買い替えることだって可能だ。

 財布を買うのもいいかもしれない。前に、金持ちは長財布を使うというのを見たことがある。お札を大切に扱い、折りたたまないようにすることが重要だと見たことがある。

 今まではオカルトだろうとバカにしていたが、これからは違う。自分はこれから何もしなくても毎月どんどんお金が振り込まれるのだから、こういったことも必要なのかもしれないと思った。

 30代の男にふさわしいのはどういうものだろうか。早速、インターネットで財布を探し始めた。

 昨日まではまったく関係のなかったブランドも、今日からは付き合っていけるのである。絶対にクリックすることのなかったホームページを開いていく。

 ほぼすべてのブランドが自分を手招きをしているようだ。まるで、異世界に転生していきなりハーレムを築いた主人公のようである。


 毎月10万円のパワーは凄い。何に使おうと考えているだけで無限に楽しくなってくる。いつもの周助なら、これからアルバイトかと思っているのに、ワクワクのほうが勝っているから不思議だった。

 とはいうものの、すこしは貯金も必要だろうし、7万ぐらいを自由になるお金としたいと思う。

 アルバイトの時間がきたので、周助はパソコンを落とし、家を出ることにした。


 -※-


 コンビニの業務は普段と変わらなかった。

 いつもの同僚といつもの客。長く働いているため、よく来る客というのはわかる。

 いつもタバコを買っていく老人がくると、ちらりと後ろを見て在庫をざっと確認する。いつもカード決済をするサラリーマンは、言われる前に準備できる。

 何も変わらない、平凡な仕事だ。

 違うのは自分がお金を手にしたということだ。早く帰宅して、オンラインショッピングの続きをしたい。もちろん、廃棄品を貰うことは忘れない。いきなり贅沢をするのはどうかと思う。

 そんな周助を見て、同僚の大学生の男が声をかけてきた。店内に客はいない。

 黒髪のショートカットの男で、サッカーだか野球だかをやっているらしく、筋肉質ですこし陽に焼けている。


「佐多島さん、なんかいいことでもあったんです?」

「えっ?どうして?」

「なんか、ニヤニヤしているんで。彼女っすか?」


 周助は、まさか…と返した。どうやら、顔に出ていたようだ。

 周助の記憶では、大学生の男は奨学金で大学に通っているらしい。それも、大した事のない大学だ。

 自分は高卒なのでその制度はよくわからないが、奨学金はいずれ返さないといけないらしい。ニュースで就職がうまく行かず、奨学金が返せない人もいるということをやっていたので、大変だなと思う。

 が……、毎月10万円が入ってくる彼には、返済など余裕なのであるとわかると、優越感を感じてしまう。


 休憩時間になると、周助は裏に引っ込んだ。

 椅子に座り、スマートフォンをポケットから出すと、基本無料のゲームにログインした。これは真剣にやっているわけではなく、暇つぶしではあるが、時間で回復していくスタミナを使わないと溢れてもったいない……というものがある。

 適当にクエストをこなし、スタミナを消費する。作業的で面白いとは思わず、これはゲームなのか?と思うこともあるが、やめれば暇になってしまうので続けている。

 周助はふと、メニューの右下に視線を移した。

 そこには『ガチャ』という項目があった。お金を払うとガチャができ、運が良いとレアがでるというものだ。コアユーザーのなかには毎月何十万も課金してしまう人もいるらしく、周助には信じられないと思っていた。

 ゲームはいつか飽きる。もしくは売上が減っていき、サービスが終了してしまう可能性だってある。そう考えると、課金をしてもいつかは消えてなくなってしまう。

 しかし、今は『すこしぐらいはいいか?』と思ってしまう。流石に課金をすることはなかったが、周助は昨日までとはこうも違うものかと思い、スマートフォンをポケットに仕舞った。


 -※-


 5月の終わりごろ、周助は大河からのメールを受け取った。

 2回目の配当を貰い、気分が高揚している最中の、仕事の指示だった。シフトは定期的に送っているので、当然、休日である。

 内容はごく簡単なもので、明日、青梅市にある会社から書類を受け取り、サラマンダー・エクスプレス社に持ち帰るというものだ。他に特別なことはなく、ただ電車に乗るだけだ。

 面倒な点を一つあげるのであれば、今住んでいる川崎市から東京のはずれにある青梅市は遠いということぐらいだ。平日なので混雑しているということは無いだろうが、電車を何本も乗り継ぎしなければならない。

 どんな書類かはわからないし、具体的な説明はなにもないが、郵送ではいけないのだろう。商社のビジネスはよくわからないが、そういったこともあると考えられる。

 例えば、緊急のような。

 メールには絶対に紛失してはいけない……とあった。

 バッグを盗まれるようなことも、電車のなかに置き忘れるようなことも、本人が事故に合うようなことも、絶対にあってはならないとある。

 周助はそれ以外は本当に簡単な仕事なんだなと思いながら、了解したとメールを返信した。

 今回もスーツのようなかしこまった格好はいらないらしい。お金には余裕があるし、スーツぐらい安いものなら買ってもいいのだが。


 次の日。

 南武線の駅にたどり着いた周助は、デイバッグのなかから財布を取り出した。先月購入したラウンドジップのもので、3万円もしたものだ。

 買う時は緊張をした。彼にとって超高額の財布をインターネットで購入するのはどうかと思い、わざわざ店舗まで出向いたからだ。人生で一度も入ったことのないブランドショップに向かい、丁寧な対応をされ、大げさな紙袋にいれて持ち帰ったのを思い出す。

 今では買ってよかったと思う。生活のレベルが一段上がった気がする。

 周助は改札口で財布をタッチし、電車を待った。

 平日の昼間ということで、客は殆どいない。車内も同じで、ロングシートに余裕を持って座ることができた。

 スマートフォンを見ながら立川に向かい、そこから更に乗り換えだ。

 このスマートフォンも先日購入した最新式のもので、割引を効かせるために分割払いではあるが、ハイエンドだ。暇つぶしにやっている基本無料ゲームも、ロード時間が減った気がする。

 カメラの性能をうたっていることもあり、高画質の写真が取れるのも嬉しい。外食が増えたから、写真フォルダには食べ物の写真で溢れている。

 周助は写真をアップロードするためのSNSの類はやっていないが、これをきっかけに始めてもいいかなと思う。

 30歳フリーターという肩書は変わらないが、今は実質年収400万円で標準的と言ってもいい。いいものを食べたり、旅行をする余裕だってあるわけだから、それをアピールする場があってもいいだろう。

 自分はむしろフリーターなのだから、平日に時間を作ることができる。サラリーマンが仕事をしているあいだに旅行に出かけるというのも、優越感を感じられていいのではないだろうか。


 こう見えても、周助は旅は好きだ。

 お金がないため新幹線や飛行機を使った贅沢な旅はできないが、年に3回やってくる青春18きっぷのシーズンはどこかに行く。JRに限定され、鈍行しか使えないが、本州なら旅をできるし、ネットカフェのような場所に泊まれば宿代も安い。

 今年はもう少し贅沢な旅ができそうだ。のんびりと鈍行に揺られるのは嫌いではないため、お金は交通費より食費に使いたい。

 それを考えると、本格的にSNSもありではないか?と、思い始めた。夏の18きっぷのシーズンまでにはなんとかしたいと思う。

 大河に仕事のことは隠せと言われているが、そこに気をつければ問題ないだろう。

 そんなことを考えていると、電車は立川にたどり着いた。

 青梅までは更に30分。遠い。

 客は更に減った。青梅よりも先に進めば、景色も山が見えてきて、同じ東京とは思えないのどかな景色が続くのだろうが、このあたりはまだ都市部であるため見えるのはあまりおもしろくない住宅街が続く。

 スマートフォンを眺めながら時間を潰すと、電車は青梅の駅に到着した。

 改札口を出た周助の第一印象は、


「なにもないな……」


 というものだった。

 大きなマンションが一つあるだけで、目立った建物はなにもない。彼の知識では、この駅は奥多摩方面に向かうためのハブ駅のようなものだから、こんなものなのだろうと思う。

 スマートフォンを取り出して時間を見た周助は、少し早いが目的のマンションに向かうことにした。

 メールによると、そのオフィスは小さなマンションの一室に事務所を構えているらしい。それは別に怪しいことをしているわけではなく、数人規模の企業ではよくあることだった。なにをしている企業なのかは、インターネットからはわからなかったが。


 15分ほど歩き、目的のマンションにたどり着いた。

 エレベーターもない、3階建て古いものだ。オフィスはここの最上階なので、階段で向かった。

 廊下沿いいくつか部屋はあるが、階段から向かって一番奥の部屋は大きいようだ。

 周助はよくあるマンションの扉の前に立ち、緊張しながらインターホンを押した。

 すぐに、女性の声が聞こえてきた。

 周助は答える。


「サラマンダー・エクスプレスの佐多島です。書類を受け取りにきました」


 その声をトリガーに、扉が開いた。黒髪のメガネの女性がお辞儀をし、ついてくるようにいった。

 といっても、オフィスは見渡せる。土足で入れるようになっており、オフィスデスクが4つ、向かい合わせに並んでいた。机の上にはパソコンのモニターや書類などが並んでおり、メガネの女性の他、若い男性がモニターに向かっているのが見えた。

 社長なのか、一つだけ離れた机があり、窓に背を向けるように、中年の小太りの男が座っていた。髭面の坊主の男で、太ってはいるが筋肉質だ。

 彼は周助に気がつくと、立ち上がり、右手で手招きをした。

 メガネの女性に連れられ、彼の前まで向かうと、女性は自分の席に戻っていった。


「おー、きたか!待ってたぜ」


 周助は頭を下げた。


「佐多島です。よろしくお願いします。あの……名刺とかはないんですが……」

「わかってるって!気にするなよ」


 男はニコニコしながら、備え付けのキャビネットの一番下の段に鍵を差し込んだ。ガラガラと音を立てながらあけると、中にあったA4サイズの封筒を取り出した。

 1cmぐらいあり、少し分厚い。

 鍵が必要な場所に保管され、しっかりと糊付けされ、封印のシールが貼ってあるところから、よほど重要な書類らしいとわかる。

 周助は両手で受け取ると、デイバッグのなかにしまった。


「じゃあ、幸村さんに頼むぞ!」

「かしこまりました。それよりも、これってなんなんでしょう?」


 それを聞いた男は、急に真顔になった。


「知らなくていい」

「すっ、すいません」


 周助は慌てて頭を下げると、


「失礼します!」


 と、マンションをあとにした。

 急ぎ足で階段をおり、駅に戻る。

 電車を待ちながら、あれはなんだったのだろうかと思い返した。

 これは100万円が1年で3倍になる投資だ。詐欺ではなく、お金もしっかりと振り込まれている。

 普通に考えれば、真っ当ではない。だとすると、危険なものを運んでいる可能性もある。

 例えば、麻薬を始めとするドラッグのようなものだ。

 知らないうちにドラッグの運び屋をやらされているというようなこともあるかもしれない。もしこの封筒のなかにドラッグがあれば、警察に調べられたらアウトだろう。

 電車がホームにやってきたので周助は乗り込んだ。ここから東京駅まで向かい、そこから品川だ。


 ガラガラの電車の座席に座り、周助は再び考え始めた。

 書類が危険なものだった場合、どうすればいいのだろうか。真っ先に考えなければならないのは、自分が犯罪者となり、逮捕されないことだ。中身は知らなかったといえば、警察が逃がしてくれるのだろうかと考えると、難しいだろう。

 目をつけられないように目立たないようにしなければならない。

 そもそも、自分はドラッグとは無関係の一般人だ。警察に怪しまれる要素は全く無いはずだ。サラマンダー・エクスプレス社も真っ当な商社らしいので、それもないだろう。

 以前、大河はこう言っていた。この投資ビジネスを途中でやめた人は一人もいないと。

 似たような仕事をしているのは、自分だけでは無いはずだ。

 他にも書類を運ぶ仕事をしたアルバイトはいるはずであり、彼らが辞めなかったということは、この書類は安全と考えてもいいかもしれない。ドラッグの類かと考えたのは自分だけではないはずで、彼らも問題ないという結論になったはずだ。

 周助はそれほど賢いわけでもないので、難しい考察はできなかった。他が問題ないと思って続けているのであれば、自分もそれでいいかという結論になった。


「そういえば……」


 周助は一つ、不思議に思った。

 他のアルバイトは何人ぐらいいるのだろうか?と。

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