第1章 黒い封筒

チャプター1

 周助は品川のオフィス街にいた。自分には全く縁のない場所である。

 スーツを着たビジネスマンが行き交うなか、彼はセーターにジーンズといった格好で、黒いデイバッグを背負っている。4月になろうという季節で暖かくなってきたとはいえ、まだまだ寒い。

 サラマンダー・エクスプレス社からのメールでは、スーツを着てくる必要は全く無いと言われたので、こんな格好だ。就職の面接をするならまだしも、投資の話を聞きに行くのだから、こちらが客のはず。だから、私服でも問題ないはずだ。

 周助が見上げると、そこは10階以上のビルがあった。

 緊張しながら自動ドアをくぐり、エレベーターに向かう。サラマンダー・エクスプレスは8階らしいので、一緒に乗り込んだビジネスマンの隙間から、8のボタンを押した。

 エレベーターをおりるとオフィスはすぐに見つかった。

 白い壁に台が置いてあり、その上に電話機にが載せられていた。観葉植物と、待機のためのベンチが置いてあり、木造りのドアが一つあった。

 周助は電話機に向かった。隣に案内が置いてある。

 今回の問い合わせ先は『総務』ということなので、受話器を持ち上げて、案内のとおりにボタンを押した。

 緊張しながら待つと、女性の声が聞こえてきた。


「はい、サラマンダー・エクスプレスです」


 周助は心臓の鼓動をあげながら、


「あの…幸村ゆきむらさんと約束がある、えっと、佐多島周助さたじましゅうすけです」

 と言った。上手く言葉が出てこなかった。

「少々お待ち下さい」


 通話はそこで途切れた。

 周助は受話器を戻すと、ベンチに座って待つかどうか、考え始めた。

 座っていいはずだ。自分は客なのである。だが、ビジネスマナーにあまり詳しくない彼は、ソワソワしながら壁の横に立っていることにした。

 5分ほどして、ドアが開いた。

 サラサラの黒髪の長身の男が出てきた。周助にはよくわからないが、高そうなスーツという印象だ。左手にクリアファイルを抱えている。

 男はサラマンダー・エクスプレス社の社長で、ホームページにも写真があった。

 年齢は45歳、これもホームページに書いてあった。

 男は笑顔で言った。


「お待たせしました。幸村大河ゆきむらたいがです」

「さ、佐多島です」


 幸村大河と名乗った男は、周助についてくるように言った。

 ドアを抜けると、一本道の通路があった。

 左右にガラスの会議室があるようだ。左側には小さなものが2つ。右側には大きなものが1つだ。その先はまた木造りのドアがあり、先の様子はわからないが、おそらく社員が働くオフィスだろう。

 大河は左の手前のドアをあけ、周助を中に入れた。

 そこは4人がけの椅子が置いてある会議室だった。椅子は余裕を持って座れるように、テーブルはやや大きめだ。ここにも受話器が置いてある。そして、ホワイトボードだ。

 周助が奥の席に座ると同時に、扉がひらき、カーディガンを着た女性がカップに入れた麦茶を持ってきた。彼女は社員なのだろう。

 女性が出ていくと、大河は話を始めた。


「では、さっそく本題に入りましょうか。『必ず儲かる投資』についてですね?」


 周助は姿勢を正した。


「は、はい。100万円が1年で3倍になるというのは、さすがに……」

「さすがに、怪しいと?」

「えっ?いや……えっと……、まあ……そうです」

「大丈夫です。みなさん、そう思って来社します。何の疑問も持たずに申し込むほうが、逆におかしいんです」


 大河は微笑むと、両腕をテーブルに置いて手を組んだ。


「でも、必ず儲かります」


 周助は目を見開いた。いくら彼が投資の素人だと言っても、100%儲かるとか、必ず儲かるというような、リスクを省いた宣伝をしてはいけないことぐらいは知っている。

 にも関わらず、大河は必ず儲かるといい切った。

 困惑しながら質問を投げてみると、こう返ってきた。


「そもそも弊社は、金融庁の認可を受けていませんからね」

「ええっ?」


 が、大河は想定内だと、周助の反応を楽しみ、


「これは、ファンドビジネスではありません」


 と言った。

 周助は照れくさそうに頭をかいた。


「すいません、無知なもので。ファンドビジネスというのは、どういうものでしょうか?ファンドという名前は聞いたことがあるのですが…」

「簡単に言うと、お客様からお金を預かり、代わりに運用するものです。インターネットを使って個人で株や為替の運用をする人が増えましたが、素人なので簡単に資産を失ってしまうケースも増えています。また、売買の材料を探したり、チャートを見たりする時間がかかるというデメリットもあります。メンタルの問題もありますね。そこで、プロに任せるという方法を選択する人もいるわけです」

「なるほど……」

「でも、弊社の投資はそう言ったものではありません。非認可ですから、できません」

「では……」


 大河は右手を前に出し、待つようにいった。


「佐多島さんには、弊社でアルバイトをしてもらいます」

「えっ?バイトですか?」


 予想外の話に、周助は困惑した。

 いや、困惑は最初からしている。もう、わけがわからない。

 そんな周助を見て、大河はクリアファイルから1枚の紙を取り出した。


「簡単に言うと、こういうことです」


 大河は1行ずつ、説明を始めた。

 まず、『仕事道具』として、100万円で石を買ってもらう。これはどこにでも落ちているような石ころであり、特別な価値はない。投資が終わる時には返却し、100万円を返してもらう。

 無くしたら100万円を取られるのかというとそうではなく、別に、無くしたら無くしたでいいらしい。無くしても返却はされる。

 そして、一般的な投資のように、儲かれば配当が出るということではなく、1年後に3倍になるのは確定らしい。よって、残りの200万円はアルバイト料という形で、分割して毎月支払われる。

 最後に、毎日オフィスに通う必要はないとのことだ。1ヶ月に1日、簡単な仕事があるかないか……と言ったものらしい。


 周助は紙をじっくりと読んだ。

 書いている内容は理解できるが、『なぜそうなるのか?』についてはさっぱりわからない。サラマンダー・エクスプレス社にとってのメリットも、よくわからない。

 もの凄い敏腕トレーダーがいて、3倍どころではなくもっと利益をあげられるということもないだろう。この会社は商社であり、トレーダーではないのである。もしトレーダーなら、認可を得て普通に運用をすればいいのではないかとも思う。

 なによりも、リスクについて語られていない。全く語られていない。

 質問を投げてみると、大河は言った。


「ですから、リスクというものは無いんです。必ず儲かるんです」

「えっと……なぜでしょう?」

「そこは、残念ながら企業秘密ですね。弊社はファンドではありませんから、投資のレポートのようなものも一切ありません。また、弊社はそこそこ歴史のある会社なので、皆様からお金を集めて逃げてしまうということもありません。もちろん、私が偽物で、詐欺師が変装しているということもありませんよ。こちらは信じていただくしかありませんが」


 周助は腕を組んだ。信じていいのか?と考えてみる。

 そうは言うものの、気持ちはほぼ、投資をすることに傾いていた。

 そして、


「どうすればいいですか?」


 と声を上げた。

 大河は、笑顔で今後の流れを説明した。

 100万円を振り込んだあと、手続きのためにもう一度きてもらうことになる。

 手続きというのは、アルバイトの手続きだ。採用のためには形式的でもいいので履歴書が必要で、その他、記入してもらう書類がいくつかあるとのことだ。

 帰りに石ころを受け取るが、不要であれば捨てて帰ってもいいらしい。


「それから、佐多島さんは現在コンビニでアルバイトをしているとのことですので、シフトが更新されたらこちらに送ってください。1ヶ月に1日、簡単な仕事があるかもしれませんが、本業と被ってしまったら問題ですからね」

「簡単な仕事というのは、どういうものでしょうか?」

「運転免許はお持ちですか?」


 周助は頷いた。ただし、運転はほとんどしたことがない。車など持っていないし、レンタカーを借りることも年に1回、あるかないかだ。いや、ここ数年は車に全く乗っていない。

 それを聞いた大河は、問題ないと微笑んだ。


「書類や荷物の運搬です。足としては、電車や車を使います。弊社は商社ですから、そういったものがあります。基本的に社員で対応しますが、本当に困ったときのピンチヒッターといったところです。もちろん、かかった交通費や経費は全額支払いますよ」

「ほかのアルバイトの人と分担という形なのでしょうか?」

「そうですね。個人情報なので詳しくは言えませんが、基本的にみなさんフリーターなので、シフトのあいている人に頼むような形になります」

「もし、途中でやめたくなった場合はどうなるのでしょうか?」

「100万円をお返しして、終了です。ただ……」


 大河はわざとらしく首をかしげた。


「途中でやめた人は、一人もいないんですよね」


 周助は、なるほどと思った。

 この日は、これで終わりだった。

 ビルを出ると、きた時の緊張がウソのようにリラックスできていた。

 来月から、毎月16万6000円ぐらい振り込まれるらしい。税金が引かれるのと、来年の住民税があるので全部使えるわけではないが、すごい話だなと思う。

 年収が倍になるようなものだ。

 しかも、なにもせずに。

 周助は軽い足取りで、カフェへと向かった。たまにはこれぐらいの贅沢はいいだろうと思う。コーヒーは違いがわからないのであまり飲まないが、甘いドリンクがなにかあるだろう。

 スイーツ自体はコンビニで廃棄のものを貰えるので、色々と食べている。店によって貰えるところと貰えないところがあるが、彼が働いているのは貰える店だ。

 だが、こういう専門店でお金を払って贅沢することは稀だった。

 今後は、こういうものにも慣れないといけないな…などと思いながら、メニューを指して『さくらんぼソーダ』を頼んだ。


 -※-


 1週間後。季節は4月になった。

 世間では花見だなんだとニュースが流れているが、周助には興味のない趣味だった。一緒に行く人もいない。

 再びサラマンダー・エクスプレス社を訪れた周助は、入口の電話機で幸村大河を呼んで貰った。今度はベンチに座る余裕もある。

 ドアが開く音が聞こえたので立ち上がると、出てきたのはスーツを着た二人の男だった。社員だろうか。

 二人の男は周助に気がつくと、大きな声で、


「お疲れ様です!」


 と声をあげた。周助は焦ってしまい、頭をさげることしかできなかった。

 彼らはこれから商談かなにかかなと思う。

 すぐに、大河がやってきたので、前回と同じ会議室でアルバイトの手続きを始めた。

 規約については、1行づつ丁寧に説明をしてくれた。前回聞いた話と同じことが文章になっている形だ。当然、100万円が返却されることも書いている。

 違いがあるとすれば、『やってはいけないこと』についてた。ようは、周助がこのアルバイトをしていることを第三者に言ってはいけないということだ。

 これは、仕事内容だけではなく、仕事自体を言うのもダメらしい。

 最初は言わないという者もいるが、急に羽振りが良くなり、どうしたと聞かれると、しゃべりたくなる者が多いらしい。もししゃべってしまうと契約は無効となり、100万円の返却はなくなるとのことだ。

 周助は、内容を頭のなかで反芻した。大丈夫、言うことはないはずだと、繰り返した。

 こういうことを語る友人はいないし、コンビニの同僚にも言うことはないだろう。


「副業をしている……とまでは問題ないですか?」

「もちろんです」

「でも、幸村さん。そちらとしては話が広まって、投資をしてくれる人の人数が増えるのはいいことではないのでしょうか?」

「そうなんですけどね……。このお誘いをするのは、誰でもいいわけではないんですよ。こちらでも多少、調査をしているんです」


 周助は、黒い封筒に入っていた手紙を思い出した。あなたは選ばれましたというようなことが書いてあった気がする。

 どんな調査をしているか気になったが、質問してもおそらく回答は貰えないだろう。

 逆に、勧誘してもらえれば謝礼を渡すというような、マルチまがいの話でないことに安心したい。彼はもう投資を決めているので、クリーンであることを願っていた。


 それから確定申告についての説明を受けた。

 アルバイトが二つなので、絶対に必要らしい。

 これについては、時期が来たら会社のほうから手取り足取り説明があるらしい。基本的に源泉徴収票を持って税務署に行けば書類作りを手伝ってもらえるらしいが、不安であればここの税理士が一緒に書類作りをしてくれるそうだ。


 書類の記述が終わると、大河は立ち上がって右手を差し出した。周助もそれにならい、立ち上がって握手を交わした。


「サラマンダー・エクスプレスにようこそ!これから1年間、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

「当面、仕事はありませんので、普段の生活を続けてください。今月の25日に初回の配当…いえ、給料が振り込まれますので、楽しみに待っていてください」

「えっ?今月なんですか?」


 大河は頷いた。


「当月締め、当月払いですからね。来年の3月で、ちょうど1年になる計算です」


 それを聞いた周助の心臓の鼓動があがった。まさか、今月にいきなりくるとは思わなかったからだ。

 ビルを出た周助の表情は、笑顔だった。

 こんな笑顔になったことは何年ぶりだろうかと思う。思い出せない。

 周助は久しぶりに贅沢なものを食べようかと考えたが、まだ早いと引き締めた。喜ぶのは、初回の配当が出てからだ。

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