第11話 文学的な衝突とその解決方法

旅の恥はかき捨て。

この言葉が嫌いだ。恥ずかしい思いなんてせずに生きられるならその方がいいに決まっている、でもそうはならない。それを知っている奴らのその言い訳のための言葉のように思うからだ。時間が解決したり、場所が解決したり、人が解決したりしてくれる。あるいはしてくれないどころか解決する問題をそもそも抱えていない奴もいる、実際失敗せずそういう風に人生を終える奴もいるのかもしれない、日本の人口はだいたい一億三千万くらい。そんだけいれば一人くらいいるのかもしれないと思う。全部が全部失敗もなくうまくやれるやつになれればどれ程楽しいんだろうって思うよ、友人関係も学校選びも果ては就職だぁ結婚だぁと、あとはまぁ墓選びとかね。多分全部で恥ずかしい思いをするんだろうって、高校の面接で俺は何を語ったっけな、そういや短所とか聞かれたな、「いろんなことを考えすぎてしまう」って答えたっけな今思えばどういうことだよってなんだよ考えすぎるって。何も準備なんかしなかったもんなぁ面接の準備なんか、くそくらえって本気だった、そのあと面接官に小言言われたっけ。恥ずかしかったなぁ。記憶の大半には恥が上塗りされている。ひどく汚いショッキングピンクの恥の塗料、汚れを落としたくて言い訳を上塗りするけれどそれもまた滑稽でまた恥ずかしい。言い訳、出まかせ、取り繕い、虚勢と自己保身。思い出せる記憶全部に付箋でピッと貼り付けて取り出してはまたしまう。茶色い液が関節から垂れてきたらまた貼りなおす。

自己啓発の本に逃げた瞬間があった。なんかうまくいく気がした、自分が今立っているのは案外そんなに最下層じゃなくってもっと言うといろんなことを知っている自分はいろんなことを考えている自分は思いのほか高い高い雲の上の存在なんじゃないかって思ったりしたんだよね、突き抜けた雲を実は地面だと勘違いしてるだけで高い高いお山の上なんじゃないかって。

「部長に言われちゃったな。気持ちわりぃってさ。その通りだな、全く」

久しぶりに部室に来たゆめに言われたから、誰もいない、静かで、5時過ぎの、電気もついていない教室はとても暗く自然変な方向に思考は進んでいく、漕ぎ出した船は船頭も船員もいない俺だけ真っ暗な海を波も立たない中進む。

ガラっと建付けの悪いドアが後ろで開いた。

「・・・・・」

久しぶりにみた部長

あんまり会いたくないなってやっぱり思った、何も準備せずにここに来るべきじゃなかったかもって。

俺がいると思っていなかったのだろう、部長はドアを開けたまま黙って固まっていた、伸びた髪を後ろに結い背中に垂らして揺らす、それがまるで蛇のように見えて思わず目をそらす。

「なんでいる」

部長の声、久しぶりに聞いたな。

来るべきじゃなかったか、そう思った、そもそもあの日から思えばそんなに経ってないもんな、うん、日が悪いか。そうだよね、もうちょっと時間を経たせるべきだったか、また恥かいちゃったなって。自分を保身するためにもう一人の自分がしゃべりだすのを感じた。

「ごめんなさい、忘れ物取りに来ただけなんで、すぐ帰りますね。ほんとそれだけなんで」

そそくさと俺はしゃべっていたカッコ悪いのもダサいのも分かってる、早くこの場を立ち去りたかったもう一度恥をかきたくなかった、部長の横を通って部屋をでる。

「待て一条」

だがその手を掴まれた。

「ちがう、そうじゃない。違うんだ一条。なんでいるって言ったのは、本当に気になったからで、怒ってなんかいないんだ。分かってる、怖いよな私の事、でもこの手は放したくない、あんなのは言い過ぎだし私は絶対にお前を殴るべきなんかじゃなかった。いいやそもそも人を殴ることに正しい理由なんかあっちゃいけないんだ。すまない一条、全部私が悪かった、戻ってきてほしい」

後ろを振り返ると俺の手を離さない部長と目が合った。

部長は謝っていた。戻ってきてほしいとも。

懇願していた。

離そうともしないその手を見て俺は何を考えているんだろう。ほとほとこのような場面でさえ恥の上塗りをしないための自己保身を考える自分に腹が立った。

でもそれ以上に気持ちの整理がつかない部分もまた、あった。

「謝って許されるんですか俺たち」

それは多分この声を出した瞬間にはもう確定していて、俺の中で形を形成していくのを静かに心の中で感じていた。

でも、言いたくはなかった。

このまま謝罪を受け入れてしまえばいいじゃないかって。もう一人の俺が叫ぶ、

もういいじゃん、予定調和の謝罪の受け入れ、それでもいいじゃんって。

ガキの頃、友達と喧嘩した、確実に相手が悪くって俺は悪くなかった、先生はあいつを俺の目の前に連れてきて謝らせた。投げやりな謝罪「ごめんなさい、もうしません」は空を切った、その時間が俺は嫌いだった。先生は俺に「いいよ」を強制した、これで終わり、子供は単純だから謝る癖をつけさせて謝られた側は許す癖を付けてやる、完璧だと思う。でも人は変わらない一回謝ったくらいじゃ何も、だから、俺はこの謝罪を受け取るわけにはいかない。

「・・・・え。」

「怖いですよ部長の事、当り前じゃないですか、怖いに決まってますよ。ずっと友達だと思ってきたのに、ずっといい関係だと思ってきたのにあの瞬間は違った、俺の話も聞かなかった、言い分も言い訳も。全部部長個人の攻撃性だった、友達を攻撃されているように見えて頭に血が昇ったんでしょう、分かりますよ。でも俺たちは友達じゃないんですか、あの瞬間優先されるべきは市ノ瀬さんだったとしても俺の話を聞くくらいの余裕はあってもいいんじゃないですか」

部長は俺の手を一瞬離しかけてすぐにまたぎゅっと掴む。

「だから今こうやって謝っているんだ、私がどれだけ後悔してると思ってる、つらいよ自分がやってしまったことの後悔に押しつぶされる毎日は。同時にこんな思いをお前にも強要してしまっているのはまったくもって本望じゃない、もう私を許してほしいお願いだ。そしてお前自身も許されてほしい」

「……そんな綺麗な言葉でくくってんじゃねーよ」

「………ああ、そうだな。これは綺麗事だよ、わかってるでも、綺麗事じゃダメなのか、私が一条、お前のために用意した綺麗事なんだ受け取ってくれよ頼むよ、もう限界なんだ。あれから毎日のようにみんなが私を避ける、もう前までの関係には戻れないのか、わたしたちの間にあったものはもしかして私は全部壊してしまったのか、なぁ一条、違うよな、違うって言ってくれよ。ねぇお願い私を怖がらないで、見捨てないで。なんでもする、いくらでも謝るだから、私をもう一度美術部に戻してください」

どんな結果になろうと受け止めるしかないと思うけれど、こんなことになるならはなから「ごめんね」に「はい、いいよ」で返すくらいの予定調和がちょうどよかったのかもしれない。くだらないなと思った。

俺は謝罪が欲しかったわけじゃない、でも懇願はもっと欲しくなかった。俺の手を掴み震える目で俺を見つめてくる部長。こんなのはみてられなかった。

きっと悪いのは部長で俺は悪くない。暴力を振るったのは部長で振るわれたのは俺。

答えのない問題文を読まされている気分だ、絶対的な正義は俺にあるけれどそれを行使する気には全くならない、できればこの瞬間の成否を誰かに委ねられたらと思う。

ここで俺が「いいよ許すよ」と言うのは違う気がする。それは甘えだ、俺が甘えるんだ、この空気に耐えかねてもうこれ以上部長から突き出される問題に耐えきれなくて俺の逃げこそが許しだ。だから俺は許すわけにはいかない。では許さなかったらどうだろう。部長はもうこの部活に来なくなるだろうか居場所を失った部長はもうこの部室には顔を出せないだろう気まずさと恥ずかしさゆえに。そんな部長を俺は見たいだろうか。そこまで恨んでいるのだろうか、殴られたごときで。俺は何をしているんだろう。

そもそも答えは最初っから決まっていたんだ。

「部長、俺は」

「ねぇ二人とも喧嘩をするのは結構な事なんだけど、いい加減そこで言い合うのはやめてくれないかな」

先生はにべもなく悪気もなく現れて俺たちの手を引き離してこう言った。


「あんたらね、ガキのくせに調子乗るなよ。そもそも石見さんあんたが一条院くんを殴ったのが問題なのであってそれ以外のところを掘り下げようが穴を埋めようがどうしようも無いのよ、一条院くんも一条院くんよ、なーにが「謝って許されるんですかね俺たち」よバーカ、謝ってんだから許せ、それによくそんな恥ずかしいセリフを惜しげもなく晒されるわね私だったら明日にでも首吊ってこの世におさらばよ。あー臭い臭い乳くせーガキの匂いがぷんぷんよ」

言い過ぎてる。確実に言いすぎている。

あれから廊下で言い合いをしていた俺たちを部室に押し込んだ先生はそのまま俺たちを座らせた。

「先生、これはわたしたちの問題なんです、だから」

「だから。…なに」

「…………口出ししないで」

部長は力無く先生を睨む

「そう、……まぁ確かにそうね、貴方達ももう高校生なんだから喧嘩くらい自分達で解決しないとね?えぇその通りよ。かたや怒ると友達にでさえ手を挙げる判断力と理性の成長が中途半端なガキとちっと殴られたくらいで顔真っ赤にして部活に来なくなるダッセーガキがちゃんと仲直り出来るんだったらするべきよね」

「………」

「………言い過ぎじゃないですか」

「そうかもね、いい?私は別に貴方達のためを思ってとか、これも成長だから〜とかそういう薄寒い事は言わないわ。でもね、あんたが暴行なんて大それた事やってくれたおかげでこっちは教頭から大目玉くらったのよ?それでもその瞬間はまあいっかって思ったわ、これも学生生活だもんな青春だもんなって、でもね普通になげーのよ喧嘩が。長すぎ、分かる?ガキなんだからさっさとお互い頭下げて仲良しこよしやってりゃいいのよ。「私を美術部に戻してください」ってなんだよいつ退部になったんだよって。あんたらはガキです、ちょっとおつむの出来がいいからって全ての出来事を自分たちだけで解決できると思わないでください大人を頼りなさい、いいですね?はい。これで解散、私は帰るから、今日はもう部活なし。……あと明日もこの調子を続けるなら、今私が渡したチャンスを不意にするなら、先生は本当に関わらなくなるから、今から二人でよく考えるように」

それじゃ、そう言って先生は出て行った。

残された俺たち。

先生の言い分は、というよりやり口はなんとなく分かった。正直気に食わないけれど、助かったと思った。

「一条くん」

「部長」

声が重なる、目配せで俺は部長にセリフを譲った。

「……ごめんなさい。これは正真正銘、本心の謝罪です。殴ってごめんなさい、勘違いしてごめんなさい」

「こっちこそごめんなさい」

「一条くんって謝ることあったかしら」

「ごめんなさいをちゃんと受け取らずにいてごめんなさい」

「はい。許します」「俺も、許します」

こうして俺たちはなんとなくのなあなあを繰り返して、またお友達に戻った。


「今にして思えば部長、あの時の先生は【カオス】だったんでしょうね」

「…はぁ?」

久しぶりの生徒会室に向かう途中なんとなく昔の喧嘩を思い出し、回想し、ふと口に出してみた。

「先生がカオス?そりゃいつものことじゃない」

「いや、そういうことじゃ無くて。きっと先生は俺たちが喧嘩してお互いがお互いに意見を譲らずにいる状況をどうにかして終わらせて一度冷静にしたかったんですよ。だからわざと水面に石を投げるって言うか、まぁその波紋を起こして全てを一度リセットするような状況を起こしたというか」

「要はわたしたちの頭を冷やしに来たってことでしょ?それくらい私だって気づいてたわ。気に食わないけれどね、意見ってのは戦わしてこそよ」

「そうですかねぇ」

「まぁでも、もう喧嘩はしたくないわ」

なんて話をしつつ俺たちは生徒会室に着いた。久しぶりのこの空気感、生徒会室は俺たちの教室がある「A塔」、美術室がある「C塔」、の真ん中「B塔」の3階にある。それゆえにほとんどここにくる事は無く、なんだったら生徒会室に以外このフロアには教室がないのでちょっと薄暗くて不気味だ。

とはいえ不気味だろうが怖かろうが仲にいるのは見知った人物な訳だけど。

「たのもー、文化祭の書類を提出しに来たぞー市ノ瀬はいるかー」

「……お久しぶりですね一条さん、石見ちゃん」

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ルービックキューブを揃えるように恋をしたい 覚えやすい名前 @daigodaisuki007

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