第10話 ゆめという女について

怒鳴り合いの喧嘩をした後二日間俺は部室に行くことはなかった。部長はもちろん鈴木野とも篠賀原とも会っていないし連絡もしていない。誰とも会う気が起きなかった。

そんな夜。篠賀原がうちを訪ねてきた。

扉を思いっきり開いてノックは2回。俺たちのいつもの挨拶だった。

「聞いたよ。あんた結構思いっきりやらかしたらしいじゃん」

暗い部屋にオレンジ色の線が刺して惨めな俺を照らす。

「最っ低、女に手を挙げるクズ、恥ずかしいと思わないの」

酷く蔑んだ目で篠賀原は俺を見下して睨む。

篠賀原にすら見放された。

と思った

その顔がグニャリと歪むことにも気づかずに。

「なーんてね、ほら、空?こっち向いて?あーもうそんなひどい顔しちゃってまー、はいはい落ち込まないの大したことないでしょこのくらい、ていうか石見部長を助けた時はそれ以上の事があったのになんでここまで落ち込むかね、そんなに部長が好きかい」

「ほっといてくれ、俺はもうダメだ、死ぬ。惨めさと愚かさの中で死んでやるんだ」

予想外に優しい声音を聞いたせいで緩みそうになる気持ちの尾を引き締めて精一杯の虚勢を張る。

「はぁ、そうですか、まぁまぁまぁ気持ちはわかりますよ?そりゃあんだけ根気強く粘って会話しようとしたのに一向に会話になんなくて怒ってみたらそこだけ部長に見られちゃって、そしたら大激怒された挙句もう来るなって叫ばれちゃったら苦しくもなりますよ、分かる分かる、でも死ぬは言い過ぎ」

「うるさい、分かったような事を言いやがって、これは俺の中にしかない俺の気持ちの話なんのであってそれが他の誰かに分かるわけがないんだ」

「うーんコイツは思ってるより重症だな、そんな怒んなよ、いや、怖がんなよ私を。怖いんだろ空?自分の怒りが沈んでいっちゃうのが無くなっちゃうのが、それで無くなっちゃったら今自分を辛うじて生かしてくれている支えが消えちゃうもんな、理不尽な態度をとってきた部長に対する怒りが逆に今お前を支えちゃってるって空自身もわかってるから、どうにかしてその怒りを持続させようとしていろんなものを火種にして怒ろうとしてるんだろ、否定すんなよ見りゃ分かる。でもさ、その怒りが消えても空はどうにもならないよ。死なない、生き続ける。だってまだ若いんだもん、体は丈夫だし持病もない、死ぬわけないじゃん。だからさ、安心して怒るのやめなよ。それで一番好きな部長から大嫌い宣言を受けた中身すっからかんの空を私で埋めてあげるからさ、ほらこっち向いて空」

酷く冷たい両手で頬を掴まれグイッと顔を合わせる

「お前が下流まで流されて辛いなら私もお前と一緒に下流まで流されてやるよ、お前が上流でぬくぬくしてる奴が憎いなら私も一緒に憎んでやる。無責任な言葉が嫌いなら責任持って私はしゃべってやる、だからもうそんな顔しないでよ。私と会ってよ、しゃべってよ。空と会えないと寂しいよ、バカ」

物心ついた時には気づくといつもゆめがいた。そんなやつの言葉が今は少しだけジンと心に沁みた。

「………ごめん。ゆめ、お前がいてくれて良かったよ」

「そうでしょ、どうだ元気出たか?珍しく私がデレてあげたんだからな、出血大サービス」

「うん」

「いや、それだけかよ」

ゆめは立ち上がってドアを閉め、電気をつける。パチンという音と急激な明るさに目をこする。

「まぁ私が来たからには安心してよ、どうやら良くないことになってる事くらいは私にも分かるしね、というより今は非常にまずいかもしれないんだけどね。空はこの二日間全く部活に来てないし部員とも会ってないから知らないでしょうけれど、今うちの美術部には市ノ瀬ちゃんが出入りしているのです、これが非常に厄介。彼女も彼女なりに思うところがあるみたいで部長に色々話してるんだけど部長は一向に話を聞かないの、ずーっと怒ってる。なんでだろうね。空ごときに時間を割いたり気持ちを割いたりするのってとってもみっともないし恥ずかしい事だって言ってみたんだけど全然上の空って感じ。あれ実は結構部長も後悔してるのかもね。そらそうか、ぶん殴って大声で怒鳴ってんだもんね仮にもお友達に、今は違うけど。まぁまぁ怒んないでよ空、ここで怒ったら私もあんたのこと見捨てるよ。それでね一応鈴木野にも話してみたんだけどどっちにも肩入れしたく無いってさ。曰く「痴話喧嘩に割って入ってあげるほど俺はお人よしじゃあねぇ」だって。大丈夫。ぶん殴って大声で怒鳴っておいたから今は反省してると思う部活にも二日くらい来ないんじゃないかな。それでさ私が立てた復縁作戦を説明するね、ん?いや違うか。空が安心して部活にまた顔を出せるように居心地の良い空間に戻すための作戦。かな。じゃあ説明するね」

人が人との関係において気まずくなる瞬間っていうのは色々あると思うんだけど今回の場合あんたが気まずいと思ってる理由は何が一番大きいと思う。

見ず知らずの部長のお友達に責めたようなこと言っちゃったこと。違う。逆ギレしちゃったこと。違う。

私思うんだけど気まずくなる時ってあんまり具体的な理由ってないと思うのよ。いつでも不安になったり気まずくなるのは抽象的な理由、つまり今みたいな理由はあんまり本質をついてないって感じ。分かるよね、だってあんたがいつも言ってることだもん。ということで今空が気まずかったり不安で動けないのは単純な理由なの、それは普段の自分の行いではあまりしないような、つまりキャラじゃない事をしてしまったということと、それをよりにもよって大好きな異性に見られてしまったこと。これだけ。

「んで、それによる不安から脱却する事がそれ即ちそのまま居心地のいい部活を取り戻すための一番の近道ってわけよ、これがファーストステップ。でありファイナルステップでもあるんだけど」

「ちょっ、ちょっと待ってくれよつまりゆめ、お前は何が言いたいんだ。今俺が抱えている不安の正体がキャラじゃない事をしてしまった事だということはわかった。ただそれは言い換えでしかないし言葉の上ではどうとでもなるだろう。それを含めた上で俺はどうしたらいいんだ」

「どうしたらいいんだ?情けないこと言うのね」

「そういうのいいから」

「要は」

時間が解決するって言いに来たのよ。私は

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る