File27:Check The Answer
孤児院に辿り着いたアデルは、すぐに自室に戻り寝台へ倒れ込むようにして眠った。次に目覚めた時はすでに朝だった。
部屋を出て湯浴みをするために孤児院を出ようとすると、食堂に子ども達に囲まれているクラリスが目に入る。彼女は評判になるほどの歌声を披露していた。
子ども達だけではなく、アデルも彼女の歌声に聞き入っていた。立ち尽くすアデルに気がついたクラリスは、照れくさそうに笑うと朝の挨拶をしてくれる。
「おはようございます、アデルさま」
「無事に孤児院についたみたいですね。お屋敷ほど居心地は良くないでしょうが、出来る限りご不便をおかけしないよう頑張りますので何でも言ってください」
アデルが言うとクラリスはとんでもないと首を横に振った。
「子ども達はとても良くしてくれていますわ。ここに来てからわたくしちっとも寂しくありませんのよ」
言いながらクラリスは子ども達の頭を優しく撫でる。その様子は慈愛に満ちた母親のようで、彼女はきっと良い親になるだろうと感じさせた。
「じゃあ、みんなクラリス様をよろしく頼んだわよ」
「はーい!」
子ども達には孤児院の視察にきた貴族のご令嬢と言っている。女の子は目をきらめかせてクラリスに貴族社会について聞いていて、男の子はどうやったら騎士になれるのかと問うている。あちらこちらから飛び交う子ども達の容赦ない質問攻めに困惑しながらも、クラリスは心の底から楽しそうにしていた。
アデルは大丈夫そうだと認識すると教区にある入浴施設へと出かけていった。
身も心も湯で綺麗にした後は、真っ直ぐに孤児院へ帰る。アデルが戻ると、すでにローランとスパロウが食堂に座っていた。
「あ、アデル姉ちゃんお帰り」
スパロウは前髪の隙間から黄色い瞳を輝かせ、ほっとしたような表情を浮かべた。おそらく知らない人——クラリス——がいるため、かなり緊張していたのだろう。信頼できるアデルが帰ってきたことで安心したらしい。
「君達が戻ってきたということは“居場所”が分かったのかな?」
アデルが問いかけるとローランが頷いた。アデルはまだクラリスの周りを囲んでいる子ども達に向かって声を上げる。
「さあ、カジミール神父さまのお話を聞きに行く時間よ。みんな早く行って! 遅刻しちゃ駄目だから」
カジミール司祭のありがたいお話を聞く日ではないのだが、アデルは子ども達を巻き込みたくない気持ちから彼らを孤児院より遠ざけたかった。カジミール司祭は驚くだろうが、お話し好きの老人のことだから、いきなり子ども達がやって来ても喜んで話をしてくれるだろう。
子ども達は元気よく返事をすると、誰が一番でピオーネ教会に辿り着けるか競争し始めた。賑やかな笑い声と足音が遠ざかっていくのを確認すると、アデルは椅子に腰かける。
「それでナリルの涙はどこにあるの?」
本題に入るとローランが険しい表情で答えた。
「廃教会だ」
廃教会とはメグナコの森にある教会跡のことだ。もともとピオーネ教会が建っていた場所だが、現在の場所に移転してから使われなくなった。神像や貴重な教会所有の宝物などは、現在のピオーネ教会に保管されているが、カジミール司祭は取り壊すことに抵抗があるようでそのままになっている。今や建物には植物が絡みつき、動物が中に住み着いて、森を静かに見守っている。
「どうやら廃教会の地下に隠しているらしい。地下に行くまでは隠し扉があるようだ」
「開け方は? 誰でも扉を開けられるわけはないでしょう?」
「ああ。クラリス嬢の手形を象った銅板をはめ込んでいたから、クラリス嬢の手が鍵になっているらしい」
ローランの報告にアデルではなく、クラリスが驚いた声を上げた。まさか自分の手形が宝石の隠し場所への鍵になっていたとは思いもよらなかったようだ。
「廃教会は薄暗いのによく確認出来たわね」
アデルが褒めるように言うと、ローランの隣に座っていたスパロウが自信満々にフンスと息を吐いた。
「スパロウは目が利くからな。ボゴールが出て行ったあとに扉を確認してみたが、隠し扉を出すのにもクラリス嬢の手形が必要になるらしい」
「そこまで予想していなかったけど、クラリス様を孤児院に連れてきて正解だったわね。結果的に事がうまく進むわ」
アデルは立ち上がった。
「クラリス様にメグナコの森を歩かせるのは申し訳ないですけど、ついてきてくださるかしら?」
アデルが問うと、目を輝かせてどこか楽しそうにクラリスは頷いた。
「もちろんですわ。わたくし、お屋敷では知らなかった世界に触れることが出来てとっても楽しいのです。森だって歩けますわ!」
「ローラン、森でクラリス様をご案内して。馬では歩けないからお足元が滑らないように注意してね。スパロウは先頭で道案内をよろしく頼んだわ」
「わ、分かった」
アデルの指示にローランとスパロウは素直に従う。孤児院を出て、クラリスの歩みを気にしつつメグナコの森を歩き始めた。廃教会は教区に近い場所にあるため、そう遠くないが道は整備されておらず獣道である。主要区の街道でさえ歩いたことがないクラリスにとっては、初めての体験だが苦戦しつつも笑顔を浮かべていた。
「こ、ここだよ」
前を歩くスパロウが立ち止まり、人差し指を向けた。彼の指先を見ると、蔦が絡まって、屋根が今にも落ちそうになっている元ピオーネ教会がある。廃教会の周りには自然に出来たらしい花畑があり、不安定な屋根の上で小鳥が歌を披露していた。
「崩壊しそうだけど神聖な雰囲気があるわね」
アデルは廃教会の存在を知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。廃墟というのは怖いイメージを持っていたが、不思議とこの場所は清らかな空気が流れているような気がする。
歪んだ扉を開けると中に入る。冷たい空気が彼らを包み込んだ。奥にあるステンドグラスは、薄っすらと外の光を取り込んでいて、教会内の一部にだけ光の筋を作り上げている。埃や土で汚れていたが、本来の美しさは損なわれることがない。
ローランは講壇に近付き力いっぱい動かした。すると、床に扉が現われた。
「これが隠し扉……」
近付いて見てみると手形を嵌めるためのへこみがある。アデルはクラリスに手を置くよう指示をする。クラリスがへこみに手を重ね、奥に押し込むと鍵が開いた音が響く。扉の取手を掴み、手前に引くとギイィと軋む音を立てて地下への道が開いた。
持って来たランタンに灯りをともして道を照らす。石で作られた階段を降りていくと、小さな部屋に出た。
「あの中に宝石が入っているのだわ」
アデルがランタンでかざしたところには大きなダイヤル式の金庫が置かれている。靴を鳴らしながらローランが近付くと、ダイヤルを掴み回し始めた。
「あの方は鍵を開けることが出来るのですか?」
黙って鍵を回し続けるローランの背中を見つめながらクラリスが問いかける。アデルはくすりと笑うと、クラリスに顔を向けて答えた。
「彼は鍵開けが得意なのですよ。昔、悪さをしていた時期に身に着けた技術らしくて。今はああですけど、孤児院に来た時は本当に悪ガキだったのです」
アデルの言葉はローランに聞こえているが、鍵開けに集中している彼は黙々と作業を続けている。
「こう見えてもおれには貴族の血が流れているんですよ、クラリス嬢。とある侯爵夫人が夫ではない伯爵と不倫して出来たのがおれです。侯爵はもちろんおれの存在を認めるはずもなく、エデルミナとは違う孤児院に預けられました。そこで裏世界に少し足を突っ込みかけて身に着いたのが鍵開けや罠作りです」
「そんなことが……」
綺麗な世界で生きて来たクラリスには信じられない話だったのだろう。口元を手でおさえて辛そうに眉をひそめていた。
「ティナは娼婦と客との間に出来た子どもだから父親なんか分からないし、スパロウなんて口減らしの為に奴隷商人に売られて男娼になるところでした。アデルは目の前で母親と仲間が熊に襲われているところを見ている」
ローランはダイヤルを回し終えると、金庫から離れてクラリスのもとにやって来た。彼女の細い腕を掴むと、金庫の前へと連れていく。
「あんたは何不自由ない暮らしをしているのに、父親からの愛情が本物かどうか分からないって理由で悩んでいるんだろう? それがどれだけ贅沢か分かっているのか?」
ローランは腕を掴んだまま金庫のダイヤル横にクラリスの手を押し当てた。ローランの背中で見えにくかったが、金庫にもクラリスの手形が必要だったようだ。
「この世界には親がいない子ども、親を失って自力で生きていかなければならない子どもがたくさんいる。日々の食事では腹を満たせないし、明日食べるものがあるかさえ保障されていない。そんな中であんたは衣食住が確保出来て、次期侯爵に嫁ぐ。これ以上、何を悩めるんだよ」
ローランは厳しい表情で呆然としているクラリスを見やる。
「お嬢様の癇癪で父親を困らせるなよ。あんたの父親は、あんたを殴らないだろう? あんたをここまで育ててくれた良い父親じゃないか。あんたの行動でどれだけ迷惑をかけているか分かっているのか?」
ローランの言葉に熱が帯び始めた。アデルは両手を合わせて乾いた音を鳴らす。
「そこまでだよ。お嬢様と私達の生きる世界は最初から違う。住む世界が違っても、人々にはそれぞれ悩みがある。持たない者から見た、持てる者の悩みは贅沢で悩むような内容ではないと思えるけど、当人にとっては夜も眠れぬ重大な事なのよ」
アデルはローランの頭を撫でた。彼は恥ずかしそうにしていたが、アデルの手を振り払うことはしなかった。
「どんな立場の人間にも痛みはある。他者の痛みを否定することなんか誰にも出来ないわ」
アデルの青い瞳がローランを映す。さて、とアデルは金庫の扉を開けた。
「喧嘩なんかしていないでさっさと宝石をお借りしましょう」
中に手を伸ばして取り出したのは、美しい青い宝石。涙の形にカットされたサファイア。羊毛のワンピースのポケットに入れると、アデルは階段を登り始めた。
慌てて残された者たちが後を追いかける。
「クラリス様、ローランのこと悪く思わないでください。彼は君のことを心配してああ言っただけなのです」
くすくすと声を押さえるようにしてアデルは笑った。彼女の笑顔に少しだけ落ち着きを取り戻したのか、クラリスは怯えた表情をほんの少しだけ和らげて頷いた。
*
エデルミナ孤児院に戻ったアデルは、すぐに自室に戻った。書き物机の引き出しを開け、前の院長から譲り受けた辰砂の首飾りを入れている箱にナリルの涙を置く。便箋を一枚取り出し、インクを机に置く。筆先を黒い液体で濡らすと美しい字を書き始めた。
今宵、貴方の大事な宝物を交換いたしませんか。お約束を守っていただけましたら、傷一つなくお返しいたします。今夜二十三時、貴方様のお屋敷の屋上にてお待ちしております。
——二代目怪盗ファントム
アデルは紙についたインクが乾くのを待つ。この筆とインク、便箋はアデル達の育ての親であるラザールから貰ったものである。どれも庶民には高価なもので容易に買えるものではない。ラザールの正体が怪盗ファントムだったとしても、貴重な品を何も持たない自分達に贈ってもらえたのが嬉しかった。彼からのプレゼントは今もアデルの宝物だ。
便箋を白い封筒に入れ封蠟をすると、手に持ったままスパロウの自室へ向かう。扉を何度かノックすると、ゆっくりとスパロウが出てきた。
「あ、アデル姉ちゃん、ど、どうしたの?」
スパロウは幼少期に口減らしのため、実親に人買いに売られたことが心の傷となって言葉を発しにくくなってしまった。だからアデルは決して彼を急かそうとはしない。
「君にお願い事があって来たの」
アデルに頼られるのが嬉しいスパロウは、ぱぁっと目を輝かせてこちらを見上げる。
「ぼ、ぼくは、何をしたら、い、いいの?」
「この手紙をボゴール氏のところへ届けてくれないかな?」
言いながら封筒を彼の目の前に差し出す。スパロウは大事そうに手紙を受け取るとはにかんだ。
「わ、分かった! か、顔を見られないように、わ、渡してくる!」
「うん。お願い」
まばゆい笑顔を浮かべてスパロウは深めの帽子を被ると、布製のバッグに手紙を入れ、肩から下げる。
「い、行ってきます!」
転がるようにして部屋を出て行くと、スパロウは孤児院を出て行った。この時間なら昼頃にボゴール邸へ到着するだろう。クラリスが居なくなったことは既に向こうも気付いているだろうから、今は調べている最中なのだろうとアデルは考えた。
あの探偵の捜査を攪乱出来ればいいが、おそらく二度目の予告状では動揺しないだろう。手紙が届く頃に事の内容の枠組みくらいは気がついているはずだ。
探偵の手が自分の首元まで来るのにそう時間はかからない。しかし、アデルはどうしてかそのことが嬉しくてたまらなかった。
(ラザール先生もオーガスト・デポネとやり合っていた時、こんなわくわくした気持ちになったのかしら? 先生がご存命だったら聞いてみたかったわ)
*
主要区の中央には時刻を庶民に伝える“時の鐘”がある。時刻を知ることが出来ない庶民にとって、一日の行動を決める大事な音だ。その鐘がもうすぐ二十三時を知らせようとしている。
アデルとローランは黒い外套を羽織って、顔を隠しながらボゴールの屋敷に侵入していた。アデル達の到着寸前に、クラリスの部屋から垂らされていたロープは、ティナが屋敷から消える直前に用意してくれたものである。
二人は音を立てないように静かに登りながらクラリスの部屋に入った。息を整えると部屋の扉を少し開けて廊下の様子を見る。ティナが屋敷を出る前に一階で高い花瓶を割るなど、騒ぎを起こしてくれたおかげで使用人は二階にはいない。
するりと抜け出すと、屋上に繋がっている階段をあがった。誰もいない屋上に辿り着くのは容易であった。
「誰もいないな。屋上を指定したから治安部でも待機しているかと思ったんだが」
隣でローランがぼそっと呟いた。アデルは辺りを見渡しながら小声で返事をする。
「探偵さんが人払いをしてくれたのよ。彼ならきっとそうすると思ったわ」
「何で?」
「取引を持ちかけてきている相手を刺激しないために。ボゴール氏なら治安部をたくさん配置していたでしょうね」
すると、ローランは驚いたように息を吐く。
「エリックが人払いをしている事を見越していたからあんなに冷静だったのか?」
「ええ、不安は無かったわ。あとはティナのおかげね。彼女が上手く使用人を誘導してくれていたから問題は発生しなかった」
アデルはさあ、とローランに声をかける。
「最初で最後の探偵さんとの対決が始まるわ」
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