File26:Check The Answer

 クラリスの誕生日を祝うために、広い応接室の空間が人でいっぱいになるほどたくさんの人々が祝賀会に訪れている。アデルはヴェールの下から油断なく辺りを観察していた。

(やっぱり治安部の人間と護衛がいたるところに配置されているわね)

 彼女の予想通り、ボゴールは予告状を受け取ってから、治安部と私立探偵のエリックに助力を請うた。そして新たに護衛の男を数人雇った。小サロンの扉前にはガタイの良い男が複数人立っている。ぎらついた目で参加者を警戒していた。


(あれだけ配置したら小サロンに宝石があるって言っているようなものね。こういうのは敢えて護衛しない方が分かりにくいのに)

 アデルは護衛の男達に一瞥をくれてから歩き出す。ふわふわのドレスには慣れた。朝から着ていたおかげで走ることも出来るくらいに体に馴染んでいる。


(彼が私立探偵エリック……)

 参加者の中に混じってお酒を飲んでいる男に視線を向けた。黒い髪に赤い瞳。着ている服と革靴は高価なもので、他の参加者に混じっても違和感がないほど裕福な身なりをしている。

(探偵って儲かるのかしら?)

 クラリスについて学びながら主要区を調べていた時に得た情報では、エリックは常にお金に困っていると聞いたのだが。友人であるジョンに家賃を立て替えてもらったり、食費が無くなってその辺の草を食べているのを目撃されたり……。


 アデルは興味本位で彼に近付いてみた。

「はじめまして、探偵さん。昼間はご挨拶が出来なくて申し訳ございませんでした。わたくし、ジャン・ボゴールの娘でクラリスと申します」

 スカートの裾を少しだけ摘まみ上げて膝を曲げながら軽く礼をした。プラム修道院にいる元貴族令嬢のアガットから教えてもらった貴族流の挨拶をする。

 しかし探偵は黙ったままでじっとアデルを見つめていた。代わりに返事をしたのは、彼の隣に立っているジョンだった。

「こんばんは、クラリス嬢」


 アデルは少し困惑した。自分が話しかけたのは探偵エリックだったのに、ジョンに話し掛けられるとは思っていなかったからだ。

(この人のことはあんまり知らないのよね。適当に話でも振りましょうか)

 彼女は声を抑えて笑うと、軽くジョンと会話をした。その間もエリックはじっとアデルを見つめている。エリックは話すこともしないので、居心地が悪くなって場を去ることにした。

「ジョンさま、探偵さん。祝賀会が始まりますわ、楽しんでいってくださいまし」

 アデルは後ろに控えていたティナを引き連れて彼らから離れた。距離が空いたところでティナがぼそっと耳打ちをする。


「彼らが私立探偵エリックと友人のジョンよ。知ってた?」

「ええ」

「何で自分から話し掛けたの?」

 不思議そうに問いかけるティナに、アデルは微笑みを浮かべた。

「面白そうだったから。でも、彼は会話をしてくれなかったけどね」

 こちらをじっと見つめて不気味なくらいだった。アデルはエリックに対して腹が立つような、馬鹿にしたいような複雑な気持ちを抱いていることに気付く。


(私は、彼が私を無視したことが気に食わないのね)

 こうなったらとことん馬鹿にしてやる。アデルはヴェールの下で口角を上げた。


 ボゴールの挨拶が終わり、参加者は各々で場を楽しんでいる。アデルはウェイターからグラスを受け取り、ボゴールが作ったお酒に舌鼓を打つエリックに近付いた。

「お父さまが作ったお酒、美味しいでしょう?」

 エリックが振り返った。しかし、彼はグラスの中身を飲むことに必死でアデルと会話をしようとしない。見かねたのか、隣に立つジョンが「ええ、さすがですね」と答えた。


(君はどこまで私と話したくないの?)

 だんだん苛立ちが募っていく。今までアデルは人に無視されたことがない。それに今は怪盗ファントムと探偵の弟子対決の最中である。くだらないプライドだと思うが悔しい気持ちが湧き出ていた。腹が立ってアデルは直接エリックに話し掛けてみる。

「そういえば、探偵さんのお名前をお伺いしておりませんでしたね」

「そうでしたね。俺はルヴィアイ十五番街で私立探偵をしております、エリックと申します。以後、お見知りおきを」

 ようやくエリックがアデルに返事をした。恭しく胸元に手を当て、仰々しく頭を下げながら。


「エリックさまですね。お父さまから話は聞いておりますわ、何でも凄い方のお弟子さまなんだとか」

「師匠は謎解きだけは凄かったですね。それ以外は散々でしたけど」

「きみが言えた口じゃないだろう」

 ジョンが呆れたようにエリックに向かって言った。


「ふふっ。ところで、オーガスト・デポネ氏は大の人間嫌いだと言われておりますのに、一体どういう経緯でお弟子さまになったのですか?」

「話せば長くなりますが、俺が勝手に師匠のあとを付いていって強引に弟子入りしたんです。ちょうどその頃にジョンと知り合いましてね。彼とはそこからずっと交流が続いています」

「お二人は幼馴染の関係なのですね」

「幼馴染というか腐れ縁というか」

 ジョンの心底困惑したような表情にアデルはくすくすと笑った。


「わたくしには幼馴染と呼べる存在がおりませんので、お二人が羨ましいですわ」

 アデルには本当に幼馴染と呼べる存在はいない。孤児院にいる元孤児の職員であるティナやローランやスパロウは、アデルよりも年下である。孤児院に来た順番も彼らの中ではアデルが最初だ。


 彼女の母は少数民族プルーの踊り子だった。流浪の民であるプルー族は、豊穣と栄華を祈る歌と踊りを披露しながら旅をする。アデルの母は旅先で辺境伯の息子と出会い、恋に落ちた。


 愛を育んだ先にアデルが誕生したが、彼女と母の存在を辺境伯が許さなかった。辺境伯の領地を強引に追い出されるようにして、旅の一座は産後すぐの母を連れて世界を回る旅を再開した。


 その後、しばらくは旅をする面々でアデルは育てられたが、五歳の頃に旅のみんなは森で熊に襲われて壊滅した。命からがら逃げのびたアデルと母は教区に逃げ込み、助けを求めたのだ。母ドロテアはアデルを熊から守る時に出来た背中の大怪我が原因で数日後に死亡。わずか五歳で天涯孤独となったアデルを育てたのが、エデルミナ孤児院を設立したラザールだった。


 エリックとジョンが羨ましかったのかもしれない。幼少期に過酷な体験をしたせいで、微笑み以外の表情を作ることが難しくなったアデルにとって、表情をくるくると変えて生き生きと動くエリック達が眩しく感じられた。彼女が同じように表情を変えるなら、本音ではなく演技である。


(演技をせずに生きている彼が羨ましいのね)

 すっと胸に答えが入ってきた。納得すると心の内は凪いだ海のように穏やかになる。アデルは静かに彼らから去ると、壁際に立って祝賀会の様子をじっと見つめていた。


「祝賀会に参加の皆様、お楽しみのところ中断してしまい申し訳ありません」

 応接室の中心でボゴールが参加者に対して声をあげた。人々の声は瞬く間に静かになり、時計の針が時間を刻む音しか聞こえない。長針は二十一時を指していた。次の作戦に移行するまでもう少し。


「私の妻はある一粒の宝石を心から愛しておりました。澄みきった深い青のサファイア、ナリルの涙です。海の女神が流した涙とも呼ばれるその石は、今や我が妻マチルダの形見になりました」

 両手を広げて大げさな動きでボゴールは話を続けた。


「私は妻が亡くなってから彼女が愛したもう一つの宝、クラリスが生まれた時間にナリルの涙を皆様の前にお出しさせていただく事にしました。そうすれば彼女も一緒に娘の誕生日を祝えると思ったからです」

 ボゴールの話に涙を流す参加者がいる中、アデルは時計の針を食い入るように見つめていた。ナリルの涙が披露されるまであと少し。


 ボゴールが小サロンへ歩いて行き、透明の硝子箱に入った宝石を大事そうに抱えて出てきた。応接室に設置された台に乗せると、部屋の照明が落とされる。代わりに宝石の周りだけ灯りがともされた。


 アデルは招待客の様子を見る。誰もがナリルの涙に注目していた。このタイミングを逃しはしまいとティナに目配せをして、人々が宝石に集まっていく流れに逆らいながら、応接室の扉へと進む。探偵エリックの姿を探したが、人が多すぎてどこにいるか分からない。治安部の人間にも視線を向けたが、彼らはナリルの涙付近を注視していて、応接室を出ようとするアデルを見る事は無かった。


 音を立てないように扉を開けてするりと外へ出た。使用人達も応接室の中で仕事をしているようで、廊下には誰もいない。アデルはスカートを掴み上げ走り出す。屋敷の扉前にはローランとスパロウが待機していた。


「早く!」

 御者台に座って馬をなだめていたローランがアデルに気がつき、静かに声をかけた。アデルは客室の扉を開けると中に入ろうとするが、顔を隠すために被っていた帽子が大きすぎて引っ掛かる。アデルは乱暴に帽子を脱ぐと、ティナに押し付けるようにして渡す。


「ティナ、この帽子を処分してちょうだい」

「わ、分かった」

 アデルは狭い客室の中に体を滑り込ませる。彼女が乗った馬車の窓際には、蜜を輸送する架空の会社名が書かれた木箱が置かれている。そのせいでほとんど身動きが取れないが、木箱を目隠しにして教区へと向かう。

 教区へ向かう道中で上下左右に大きく揺らされながら、アデルは中で着替えた。いつも着ている羊毛のワンピースだ。さきほどまで着ていたドレスやパニエ、下着類は木箱の中に隠す。

 主要区を出る城門前では衛兵に確認されたが、中を検めることはしなかった。そして、予定通りメグナコの森に到着する。

 アデルは客室から出ると、馬車をひいていたうちの一頭の手綱をローランから受け取った。ここからアデルは教区に戻り、ローランは主要区に戻ってボゴールを監視する。二人は特に会話を交わすことなく、無言で視線をまじえて頷き合うと、それぞれの目的地へと馬を走らせた。

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