Check The Answer

File25:Check The Answer

 アデルのクラリスについての勉強会は、初めて会った日の翌日から始まった。夜、屋敷が静まる頃にクラリスが自室から縄を垂らしておく。そして、窓枠にランタンを置くことでアデルへ合図を送る。庭の茂みに隠れていたアデルは、ランタンの光を見て縄を登っていくのだった。


「ごきげんよう、クラリス様、ティナ」

 窓から入ってきたアデルは、男装をしていた。髪を短くまとめあげ、帽子の中に入れている。可愛い男の子といった見た目をしていた。部屋に入ると長椅子に座りこみ、息を吐く。さすがに登って来るのは大変なようで、額には汗が浮かんでいた。


「いつも申し訳ございません、アデルさま」

 クラリスは、アデルに水を渡すようティナに指示を出しながら自身も彼女の隣に座った。

「この部屋に来るのにもっと他に良い方法があるはずですわ。そうだ、わたくしのお部屋に隠れてお住みになっては?」

 とても楽しそうに名案だと言うクラリス。水をアデルに渡したティナが目を丸くした。

「お嬢様さすがにそれは……」

 困惑するティナと可笑しそうに笑うアデルを、豪商の娘は不思議そうに視線を行ったり来たりと彷徨わせる。


「良い案ですが私は主要区の事も色々と調べたいので、日中は外にいる必要があるのです。お気になさらないでください」

「でも、一本の縄で壁を登るのはさすがに大変でしょう」

「大変ですけど運動になりますから。孤児院の仕事だけでは体がなまってしまいます」

「とおっしゃっても」

 まだ心配そうに見つめるクラリスに、アデルは話題を強引に変えることで意識をそらした。

「そうだ、今日はお嬢様の趣味やお好きなものについて教えていただけませんか?」

「わたくしの?」

「ええ、完璧に成りすますにはクラリス様のことを理解しなければなりませんから」


 アデルはティナから受け取った水を一口飲む。疲れた体に冷えた水が染みわたる。

 クラリスは形の良い唇を曲げて考え込んでいたが、ふと思い出したのか、キャビネットを開けて中から羊皮紙の束を取り出す。大事に抱え込むようにして持ち運ぶと、アデルの隣に座って膝の上で広げた。


「これは?」

「わたくしが書いた戯曲ですわ」

 アデルはクラリスが持って来た羊皮紙の一枚を手に持つ。中を読んでみると、登場人物の名前とその人物が話す言葉、動きが書かれている。たったそれだけの情報だが、文字の羅列はアデルの脳内に素晴らしい世界を作り出してくれた。夢中になって読むうち、羊皮紙に書かれていた内容を読み切ってしまう。


「とても面白いです。これが戯曲というものですか」

「嬉しいですわ。戯曲というのはお芝居の台本のようなものです。王都にある劇場では、著名な劇作家が書いた戯曲を演劇にして上映しているのです。物語に出てくる登場人物を俳優と呼ばれる職業の人々が、台詞、表情、身振りや体の動きなどで話を観客に魅せる芸術の事ですわ。彼らが演じる物語を書くのが劇作家の仕事で、わたくしは王都で一番人気のバーナビー・キングの戯曲が大好きなのです。こうしてバーナビーの書いた戯曲の世界観でわたくしの好みに書いてみるのが好きなのです」


 前のめりになって目を輝かせながら話し込んでいたクラリスは、アデルやティナの視線に我に返った。恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め上げ、下を向く。

「も、申し訳ございません。わたくしったらつい……」

 アデルはクラリスの手を握り込むと、顔を覗き込む。

「いいえ、たくさんお話していただいてありがとうございます。私がクラリス様の好きなことを聞いたのですから、何も恥ずかしがることはありませんよ。それにしても演劇というのは面白そうですね。伝達方法が紙じゃないから読み書きが出来ない人でも楽しめそう」

 劇場の入場料さえ払うことが出来れば、どんな人でも楽しめるだろう。アデルは強く心が惹かれていくのを感じていた。


 アデルとクラリスの密会は、作戦前日まで続いた。クラリスはアデルから問われることに対して、真摯に答えてくれる。歌が好きで、画家のパトロンをしている。王都で人気のバーナビー・キングに憧れて戯曲を書き始めたこと。いつか王都で自分の書いた戯曲を演劇にしてもらいたいこと。婚約者である次期アイベリー侯爵とのロマンチックな出会いまで。


 怪盗とターゲットの娘という関係を除けば、彼女達は昔から仲が良かった友人のようだった。夜な夜な、三人で他愛無い話から将来の夢まで語る時間は、全員にとってかけがえのない記憶を刻んでいく。あまりに盛り上がりすぎて、他の使用人や父が様子を見に来たこともあったほどだ。いつもクラリスが戯曲を演じてみているのだと何度も言い訳を重ねた。今まで嘘などついたことのないお嬢様の表情は、どこか楽しそうであどけない。年相応の少女に見えた。

 アデルはいつもの微笑みをたずさえて、父に謝りながらも楽しそうなクラリスを見守っていた。


 そして秘密を共有する夜は幾度も過ぎていき、作戦当日の朝になった。祝賀会までの時間はゆっくりと確実に過ぎていく。

 いつも朝になる前に窓から屋敷を抜け出していたが、前日の夜から部屋に隠れていたアデルは欠伸を噛み殺しながら、ティナにクラリスと同じ服装に着替えるのを手伝ってもらっている。


 祝賀会が始まるまではしばらく時間はあるが、アデルは朝の時点で着替えたかった。今からクラリスと入れ替わるし、フリルとレースがふんだんにあしらわれ、パニエを忍ばせふっくらとさせるスカートに馴染めなかったからだ。

 孤児院ではいつも質素なワンピースを着ていたので、この豪奢な服は動きにくいことこの上ない。祝賀会の途中で抜け出すためにも、機敏に動けるようこの服には慣れておかなければならないと考えたアデルは、朝に着替えることにしたのだ。


「凄いですわ、髪色や目の色までわたくしと同じに出来るなんて」

「この髪粉と目に入れる色付きの薄硝子は、孤児院のスパロウという男の子が作ってくれたんです。手先がとても器用で何でもできちゃいますよ。でも、ぼろを出したくないので帽子を被りますけど」


 アデルはスパロウが調合してくれた髪粉がきちんと髪の毛についていることを確認して、帽子を被る。大きな青いシルクの帽子はヴェールがついていて、顔をうまく隠していた。よく顔を覗き込まなければ、クラリスとは別人であることは気付かないだろう。

 祝賀会に来る参加者に対しては帽子で誤魔化せる。帽子のヴェールを上げそうなのは、父であるボゴールだが、年頃の娘の服に触れることはしないとクラリスが話す。

 アデルは彼女の言葉を信じながらも、頭の片隅では顔色が悪いから被っていることにしようかなどと言い訳を考えていた。


「主催者の娘が顔を隠すことはマナー違反ではなのですか?」

 アデルの着替えを手伝いながらティナがクラリスに尋ねる。

「まあ、あまり隠すことはないけれども、お母様の故郷では未婚の女性は顔を隠すしきたりがあるし、王都ではもっと派手な仮面をつけて舞踏会を開く貴族の方々がいるそうだから、変なことではないと思うわ」

 クラリスの言葉に続けるようにしてアデルはティナに話す。

「参加者やボゴール氏のことは大丈夫だと思う。問題は探偵よ」

「探偵?」

 ティナではなくクラリスが首を傾げた。


「ええ、今朝の新聞広告欄に予告状を出したのです。おそらくクラリス様の御父上は、治安部だけではなく探偵にも依頼をかけるのではないでしょうか」

「どうしてそうお考えになるの?」

「リスクをいかに分散できるかを考えるからでしょう。治安部だけで捕らえられるならそうしたでしょうが、今回はあの“怪盗ファントム”の名を継いで予告を出したので。二代目とはいえ、初代の盗みを覚えているなら治安部だけでは頼りないと思うはずです」


 クラリスは分からないというように首を振った。

「新聞の広告欄に予告状を出すなんて、わざわざ捕まる危険性を上げる必要は無かったのではありませんか? 何も言わずに盗めばよろしいのに」

 するとアデルはそうですねと頷き、クラリスを真正面から見据えた。

 衣装を着終えたアデルの立ち姿は自信に満ち溢れていてとても美しい。クラリスでさえ、目を見張るほどの完成度である。


「誰もがクラリス様のお考えになるでしょう。私も黙って盗む方が成功率は上がるとは思います。ですが、予告状を出すというのは怪盗としてのマナーなのですよ」

「そうなのでしょうか……」

「すべての泥棒が予告状を出すかは分かりませんけど、少なくとも初代怪盗ファントムは犯行前に必ずターゲットに予告状を出していました。彼なりの礼儀としてね。怪盗ファントムの名を継ぐ以上、彼が大事にしてきた美学も倣っていかないと」

 アデルは窓の外を見る。庭園にある木に小鳥が数羽とまっていて、愛らしい囀りを交わしていた。


「ボゴール氏が頼るのはルヴィアイで私立探偵をしているエリックという者でしょう。彼は初代怪盗ファントムと頭脳戦を繰り広げた、世界最高峰の探偵とも称されるオーガスト・デポネの弟子です」

「まあそんな凄いお方が来るのですね」

「今回は弟子対決になりますね」

 アデルは笑いながら言った。

「彼の手腕がどのくらいなのかは分かりませんが、治安部よりかは鼻が利くでしょう。彼をどうやり過ごすかが問題です」


 彼女はスカートを掴み上げて踏まないようしながら、窓へと近づき開ける。外から入って来る木々の爽やかな香りに混じって、咲き誇る花の上品な甘い匂いが届く。

「さてクラリス様、お時間です」

 アデルは窓から顔を出して下を見ると、身軽な服装に着替えているクラリスに視線を向けた。今から入れ替わるのだ。

「下には私達の仲間であるローランとスパロウが待機しています。彼らに合図を出して返ってきたら梯子がかけられますので下に降りてください。あとは彼らが教区まで連れて行ってくれます」

「ええ、分かりました」

「緊張すると思いますし、怖いと思いますけど、最初で最後の悪さをやってしまいましょう」


 アデルは体をこわばらせるクラリスの手を取り、優しく包み込んだ。彼女の体温が伝わり、気持ちが落ち着いたのか、クラリスの肩が下がった。目を閉じ、息を吸う。再び目を開いたお嬢様の表情には覚悟が見えた。

 アデルはクラリスの準備が出来たことを察すると、窓の外に合図を出す。すると、少ししてから梯子がかけられた。クラリスの部屋にある窓は、屋敷の南側で森に面しているので人気は少ないが、それでも人が来る可能性が十分にあるので、手早く降りていかなければならない。

 白い肌の小さな手を掴むと、窓辺に案内する。


「頑張ってください、君なら絶対に出来る」

 クラリスの目を見て頷くと、彼女も頷きを返してくれた。

 今のクラリスは羊毛で作られたローブに革製のズボンを身に着けている。髪の毛を後ろでひとまとめにして、男性のような見た目にしている。彼女がいつも身に着けているような高価な素材で作られた、肌触りの良い服ではないので、ごわごわとした感触が慣れないようだ。


 しかし、慣れようとする時間はない。アデルは梯子を降りるようクラリスに言う。意を決したように足を一歩、梯子にかける。風が吹き、クラリスの華奢な体が連れ去られそうになる。悲鳴を上げそうになるクラリスの口を、アデルが手で塞いだ。


「お嬢様にこんなことをさせるのは酷だと思います。本当に申し訳ないわ。何かあったらすぐにローランやスパロウが助けますから。どうか私の仲間を信じてやってください」

 真剣なアデルの声にクラリスは強く頷いた。唇を噛むと、ゆっくりと梯子を降りていく。どれくらいの時間が経っただろうか。クラリスが降りていくのを、息が止まるような思いで見守っていたティナと、表情を変えることはないが無言で見ていたアデルは、彼女が無事に降り立ったのを確認すると、部屋の中で抱擁し合った。


「良かった、本当に良かった!」

 ティナは嬉しそうに跳ねながらアデルに抱き着いた。ドレスが崩れないよう、ティナを支えてやりながらアデルも笑う。

「さあ、怪盗ファントムの盗みショーがこれから始まるわ。気を抜かないでね」

 アデルの言葉にティナは表情を引き締めて首を縦に振る。

 怪盗ファントムの名を継ぐ者達の、最初で最後になるであろう盗みが幕を開けた。

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