File24:Side Detective
「クラリス嬢はおそらく教区に居ると思う」
ジョンに肩を掴まれながらエリックが言うと、ボゴールがオウム返しに言葉を返した。
「怪盗ファントムの正体はエデルミナ孤児院の院長アデルと職員達だろう? 彼らがクラリス嬢を匿うとすれば、土地勘のある教区しかないでしょう」
「彼らはクラリスを誘拐してナリルの涙と選ばせるのはどうしてですか?」
ボゴールはアデルと彼女が手に持っているナリルの涙を見やる。
「どちらかは保険じゃないでしょうか」
「保険?」
「ええ、二代目怪盗ファントムには多額の金が必要なのです。ボゴールさんは娘を選ぶでしょうから、彼らは確実にナリルの涙を手にすることが出来る。クラリス嬢に扮したマドモアゼル・アデルが交渉の場に行くことで、後で自分達が盗んだナリルの涙がダミーだった時、本物のクラリス嬢を出せば再度交渉出来る」
「そこまでして金が必要な理由って何なのですか。娘を巻き込んでまでしなくてはいけないことですか!」
時間が少し経って怒りが湧いてきたのだろうか、珍しくボゴールが声を荒げた。
「彼らの仲間を救うためですよ」
エリックの言葉にボゴールは怒りを急激に鎮め、黙って話の続きを待っていた。
「エデルミナ孤児院からある少女が里親と出会い、無事に養子縁組を成立させて新たな生活をスタートさせたんです。しかし、彼女が拾われたのは子どもを強制労働させる違法酒造業のレーボルク家だった。一般人である彼らが、彼女を救うためには警吏か衛兵に報告しなくてはいけない」
かつ、かつ、とエリックの革靴が音を立てる。
「主要区の警吏は民間会社に雇用されている者たちだ。あまり仕事に熱心とはいえないし、レーボルク家が今まで領主に見つからずに違法に酒を造ってこられたのは、警吏と癒着しているからだ。そうすると、警吏には頼れなくなる」
ボゴールの周りをエリックはゆっくりと歩きながら話す。彼の足音だけがここで響く。
「衛兵に報告はすぐに出来るが、動いてもらうには領主へ嘆願書を提出しなくてはいけない。彼らは今すぐに少女を助けたいだろうから、いつ読んでもらえるか分からない、読んでもらえてもすぐに対応してもらえるかも分からない方法には頼りたくない」
残された手段は一つ、とエリックは人差し指を立てた。
「金で衛兵を動かす方法だ。多額の寄付金を持って侯爵家に行き、金と引き換えに頼みごとを聞いてもらおうとしたんだ。金を入手さえ出来れば、この方法が一番早くて高確率で少女を助け出せるからな」
エリックの推理にジョンが厳しい視線をアデル達に向ける。
「だとしてもクラリス嬢を巻き込む必要はなかったはずだ。他の方法だってある」
アデルが何かを言おうとして口を開いた瞬間、思いもよらぬ方向から聞こえるはずのない声が届いたのだ。
「巻き込むというのは違いますわ、ジョンさま」
鈴を転がしたような可憐な声。エリックだけでなく、ジョンやボゴールまでも声の主を見て言葉を失っていた。美しい金の髪に、灰色がかった銅色の瞳。まぎれもない本物のクラリスだった。彼女の後ろには、姫を守る騎士のようにティナが控えている。
ボゴールは震える足を必死に動かし、娘のもとへ駆け寄る。そして宝物に触れるかのように優しく彼女を抱き締めた。
「クラリス嬢が何故ここに?」
信じられない気持ちで思考が停止してしまう。自分の推理は間違っていたというのだろうか。疑問を口にしながら、ちらりとアデルの方を見ると、変わらぬ微笑を浮かべていた。
「探偵さんの推理は間違ってはいないわ。大筋は合っている。だけど、どうしてクラリス様がここに居るのかは分からないようね」
「……ああ」
悔しいが理由が思い当たらない。見当もつかなかった。エリックは答え合わせを求めるようにアデルに視線を向ける。
「この事件はお嬢様も参加しているのよ」
頭を強く殴られたような気分だった。クラリスまでもが怪盗ファントムと関わっていたなんて思いもしない。その可能性を一ミリも考えなかった己の知力の浅さに反吐が出そうだった。
「一体どういうことなんだね、クラリス」
父の腕の中でクラリスは申し訳なさそうに目を伏せた。
「申し訳ございません、お父様。わたくし、ずっとお父様に嫌われていたんじゃないかって思っていて……そんな気持ちを抱えたまま結婚したくなかったのです」
「私がお前を嫌うなんてことあるわけがない」
「……お母様が亡くなってからというもの、お父様はわたくしとの時間を取ってくれなくなりましたでしょう? わたくしはお父様の心の内を知りたかった。結婚が迫り不安でいっぱいになる中、怪盗ファントムのみなさまとお会いしたのです」
クラリスの告白に誰も身じろぎ一つすることなく、静かに聞いていた。
「この事件の目的は、怪盗ファントムのみなさまが金銭を得ることと、わたくしがお父様の気持ちを確認することでした。祝賀会の当日、わたくしとアデルさまが入れ替わり、わたくしは教区に身を潜めておりましたの。そして、お父様に宝石とわたくしのどちらかだけを選ぶよう予告状を送ったのです」
クラリスは長いまつ毛を震わせる。
「お母様の形見である宝石よりもわたくしを選んでくだされば、わたくしの不安は消えて晴れやかな気持ちで結婚出来ると思ったのです。彼らはわたくしの悩みを解決するために作戦を練ってくれました。怪盗ファントムのみなさまは、わたくしが巻き込んだのも同然ですわ」
ですからお父様、とクラリスは言葉を続ける。
「どうか怪盗ファントムのみなさまを治安部には引き渡さないで欲しいのです。彼らはただ苦しんでいる仲間を救いたいだけなのですわ。どうか、どうか、寛大な処置をお願いします」
クラリスはボゴールの腕から抜けると、父に向かって頭を下げた。さらりと長い髪が垂れる。娘を見るボゴールは、痛みを堪えるように歯を食いしばっていた。
「すまない、クラリス。寂しい思いをさせてしまったんだね。私はね、お前を嫌いになったことなど一度も無いのだよ。確かにマチルダが亡くなってからは、仕事にばかりかまけていた。どんどんマチルダに似てくるお前を見るのが辛かったのは本音だ。だけど、嫌いになったことなど本当に無いんだよ」
ボゴールは泣きながらクラリスの頭を撫でる。父の涙につられるように、クラリスの大きな瞳から大粒の雫が零れ落ちた。陶器のような肌をつたい、光の粒となって落ちる。
「すまないね、クラリス。今まで我慢させてきて」
「お父様……」
「何も出来なかった過去を清算出来るとは思わないが、怪盗ファントムを治安部に引き渡すことはやめておこう。レーボルク家に引き取られた少女を取り戻すことにも協力をしよう」
ボゴールは笑顔を浮かべてクラリスを見下ろす。
「お父様、ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「ああ、いいんだよ。だけどティナ」
豪商の視線が後ろでずっと黙って立っていたティナに向けられる。びくりと体を震わせると、緊張した面持ちで主人の言葉を待っていた。
「ティナは今日限りで解雇だ。ボゴール家には二度と関わらないように、もちろんクラリスにも」
ボゴールの言葉に強く反発したのはクラリスだった。
「そんな! ティナはわたくしを思って行動してくれただけなのです。ティナに処罰を与えるならわたくしに——」
そっとクラリスの肩に手が置かれる。父ではない、華奢な手にクラリスは目を見張った。寂しそうな表情を浮かべてティナがゆっくりと首を横に振る。
「お嬢様、もう良いんです。あたしは盗賊でした。身分をごまかしてお嬢様の侍女になって情報を流していました。ご主人様がみんなを処分しないでくれたのが信じられないくらい、罰せられるべきことをしてきたんです」
「ティナ、でも」
「お嬢様、今までありがとうございました。お嬢様と共に過ごした時間はとっても楽しくて、大切な思い出です。あたしが孤児院に戻ってもお嬢様の侍女だったことは忘れません。いいえ、一生忘れません」
クラリスは涙を流しながらティナに抱き着いた。ティナは今にも泣きそうな顔に無理矢理笑みを浮かべて、優しくクラリスの背中を撫でてやる。
「ティナ、わたくし、あなたに来て欲しい……」
「叶えて差し上げられなくてごめんなさい」
子どものように泣きじゃくるクラリスを、ティナはずっと抱き締めていた。
彼女達を見つめながらエリックは隣に立つアデルに問いかける。
「この勝負、君の勝ちだ」
アデルは青い瞳をエリックに向けると、いつもの微笑みを浮かべる。
「そうかしら? 君の推理は良い線いっていたし、引き分けで良いんじゃないかしら」
「寛大なご判断ありがとう。しかし、探偵としては怪盗に完全勝利しなければいけないんだ。俺は悔しくて仕方がないよ、暫く寝込むかもしれない」
「あら、そうなったら看病してあげなきゃね」
月の光は彼らを柔らかく包み込むように照らし続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます