File23:Side Detective

 ボゴール邸の屋上には、懐中時計と睨み合いをするエリックと緊張した様子のジョン、そして今にも泡を吹いて倒れそうなボゴールが集まっていた。屋上には彼らしかおらず、誰も口を聞こうとしない。ただ静かに時が過ぎるのを待っていた。


(ボゴールさんが治安部を呼ぼうとしていたのを止めて良かったな)

 エリックは辺りを見渡しながら思う。

 怪盗ファントムからの予告状により怯えたボゴールから、今夜の二十三時に取引が行われる屋上に治安部を盗賊から見えないように配置したいとの要望を受けていたが、エリックは断固として首を縦に振らなかった。


 探偵と怪盗の頭脳対決に水をさされるのが嫌だったからではない。向こうには金銭を得なければならない理由がある。下手に刺激をしてしまい、逆上した盗賊に依頼人であるボゴールが害される可能性も捨てきれないからだ。

 依頼人が死傷してしまうのは探偵としてあるまじき失態であるし、何より屋上には隠れるような場所が無いのである。治安部を数か所に見つかりにくいような場所を選んで配置したとしても、怪盗ファントムには分かってしまう。


(あと五分……)

 約束の二十三時までの残り時間を読む。エリックがせわしなく動く短針を目で追っているうち、気がつけば長針の先は二十三時を示していた。

 エリックが顔をあげると、ジョンとボゴールの二人と目が合う。彼らは黙っていたが、険しい表情を浮かべて、何も言わず、ただじっとエリックを見つめていた。


 前触れもなくその時はやって来た。ふわりと風が強く吹いたかと思うと、人の気配がする。弾かれるように顔を向けると、いつの間にか黒い外套を身に纏った人影が二つ見えた。

「いつの間にいたんだ!?」

 ジョンが驚きの声を上げる。驚いたのはジョンだけでなく、ボゴールも同じだった。こちら側で無反応なのは、エリックだけである。


「きみは気付いていたのかい?」

 ジョンが小声でささやくようにエリックに問いかける。

「現れた瞬間は見ていないが、おそらくずっと前から待機していたんだろう。外套は黒いし、周りは暗いから端っこで縮こまっていたところを俺達が気付かなかったんじゃないか」

 言いながらエリックの視線は黒い外套の二人組に縫い付けられていた。


「あ、あれが……怪盗ファントム」

 あえぐようにボゴールが呟いた。まるで探偵と怪盗による直接対決の幕が開いたことを知らせるかのように、強く風が吹いた。


「お初にお目にかかります、ジャン・ボゴール殿。此度はお騒がせしてすみません」

 外套を羽織った片方——声からして男だろうか——が丁寧に頭を下げた。

「む、娘はどこに?」

 すがるような目で、震える声でボゴールは外套の二人組を見やる。一歩ずつおぼつかない足取りで彼らに近付こうとしていた。


 ボゴールの言葉に男と見られる方がもう片方に体を向けた。その行動が合図になっているかのように、一言も発していない者が外套を脱ぐ。

「——っ!」

 ボゴールは膝から崩れ落ちるようにして地面に伏せた。娘を心配する父の前には、あの美しい金色の髪に、灰色がかった銅色の瞳を持つ女性が現われたのだ。


「おお、クラリス! 無事だったのか……!!」

 泣き笑いといった様子でボゴールは喜びを表した。両手を広げ、娘にこちらへ来るよう促す。しかし、彼女は一歩も動かなかった。


「クラリス?」

「お父様、ごめんなさい」

 少し擦れた特徴的な声でクラリスは言う。彼女の手には、月光を浴びて美しく澄んだ光を発する大きなサファイアの宝石があった。

「それはナリルの涙!?」

 ボゴールの言葉にエリックは目を丸くする。自分の推理がずれたのだ。


(クラリス嬢とナリルの涙を交換するという意味ではなかったのか? いや、待て。あのクラリス嬢の声……)


 エリック達の様子を楽しむかのように、じっとしていたもう一人の外套の人物が大仰な仕草で注目を集める。その動きはまるでサーカスにいる道化師のようである。

「ボゴール殿、あんたには“どちらか一つだけ”を選んでもらいます」

「交換じゃなかったのか!?」

 約束が違うじゃないか、とジョンがファントムに食ってかかる。しかし、盗賊は動じることなく淡々と説明をした。


「どちらか一つだけを交換しましょう。交換した後は我々の正体を詮索しないという誓約書にサインしてもらいましょう」

 ファントムの言葉にジョンは卑怯だぞと叫ぶ。

 エリックは革靴の底を鳴らしながら、座り込むボゴールと視線を合わして諭すように優しい口調で問う。


「俺から聞きたいことがあります」

 ボゴールはこのタイミングで一体何をと言いたげな顔でエリックを見上げる。

「クラリス嬢と亡き妻の形見、どちらかしか助けられないとしたらどうしますか? どちらを選びますか」

 考えるまでもない、とボゴールは低い声で呟いた。

「娘に決まっているだろう」


 彼の言葉に満足したようにエリックは大きく頷いた。

「そういうことだ、二代目怪盗ファントム。本物のクラリス嬢をお父様の前に連れてきてやってくれないか?」

 エリックの言葉にボゴールやジョンは息をのむ。

「えっ、きみは何を言っているんだ? クラリス嬢ならそこにいるじゃないか」

「こちらのマドモアゼルはクラリス嬢じゃないぜ」

 飄々と言ってのけるエリックに、ジョンだけでなく、ボゴールも信じられないというような顔をする。


「本物のクラリス嬢は“鈴を転がしたような声”をしているって。鈴を転がしたような天使の歌声だってボゴールさんが言っていたじゃないか」

「歌い過ぎて声が枯れていたんじゃ……」

「ジョン、君が祝賀会でクラリス嬢に会った時のことだけど、彼女はたった五か月前に君と会っていたことを覚えていなかったんだ。おかしいと思わないか? 将来の義弟となる人物と婚約が正式に決まった日に会っている。こんな大事な日を忘れたとは言えないだろう」


 革靴が音を鳴らす。

「彼女とクラリス嬢は入れ替わっているんだよ。今ここにいるのは偽物のクラリス嬢だ。本物のクラリス嬢はここにはいない。あぁ、何度も言いますがクラリス嬢はもちろん無事ですよ」

「じゃあ、彼女は一体誰なんだ?」

 ボゴールは自分の目が信じられないというように、何度も瞬きをする。


「二代目怪盗ファントムにして、エデルミナ孤児院院長アデルですよね?」

 エリックはクラリス嬢に扮した彼女に向かい合った。彼女はふっと顔を緩ませると、孤児院で見たあの微笑を浮かべた。


「孤児院でマドモアゼルとお会いした時、君の声に引っ掛かったんだ。そして今、君が声を発したことでようやく見えてきたよ。大した物語だったよ、二代目怪盗ファントム。いや、ファントム達と言うべきか」

 すると、微笑みを絶やさぬままアデルは自らの髪の毛を掴んだ。金の髪はずるりと頭から外れ、中からは本来の色である白銀が現われた。彼女が二本の指で目を触ると、銅色の瞳はプルー族の証である青い瞳に変わった。


「その目、どうやって……」

 ジョンが信じられないというように口をあんぐり開けている。優しい教師のようにアデルは彼に種明かしをした。

「髪の毛はかつらで、クラリス嬢の髪色にするため髪粉で染めたの。着色した薄い硝子を目に入れて色を変えていたわ」

「変装をするためにそこまで細かく……」

 ボゴールはため息交じりに話した。


「変装もだが、かなり手の込んだ方法を使ったんだな」

 エリックの赤い瞳に、彼を見つめるアデルの姿が映る。まるで旧友に会ったような、親しみのこもった視線を互いに交差させた。

「お見事だよ、俺は初代の事件を担当したことがないから比べられないが、今までやってきた事件で一番謎を解くのが楽しかったよ。礼を言いたいくらいだ」

 アデルは微笑む。

「どういたしまして。君はどこからどこまでに気付いているの?」

「二代目怪盗ファントムが複数人である事は、屋敷から出た馬車の件で思い当たったかな。教区に行って確信に変わった。そこに気が付けば、ボゴールさんの屋敷の構造や別邸の場所など、内部に居なければ隅々まで調べられないだろう情報を握っている理由も説明がつく。使用人に情報収集係を紛れ込ませているということは、直近で雇われた人物が最も怪しい。だから、マドモアゼル・ティナの素性を調べたら案の定身分の詐称をしていた」


 エリックはアデルの隣に立つ外套の人物を指した。

「君も孤児院の職員なのだろう? 体格的に男だろうからローランかスパロウのどちらかだ」

 外套の人物はアデルが頷いたことに気がつくと、観念したようにゆっくりと素顔を晒した。


 くすんだ灰色の髪にアデルと同じ青い色の瞳を持つ青年だった。

 エリックはアデルと背後の人物へ、交互に視線を向ける。彼の戸惑いに気がついたのか、アデルはくすりと笑いながら青年の紹介をする。


「ふふっ、彼も私と同じくプルー族の血を引いているわ。きょうだいではないけれど」

「そうだったのか。君達は少数民族の血を引いている者だったんだな」

 どんどん話がそれていく探偵と怪盗に慌ててジョンが駆け寄る。


「いや、今そんな話じゃなくて! 彼らの目的と本物のクラリス嬢とナリルの涙を返してもらわなくちゃ!」

 エリックはジョンに肩を掴まれて揺さぶられる。謎解きの途中だった、と呟いた言葉にジョンが大きくため息をついた。

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