File22:Side Detective
エリックがボゴール邸に戻って来た時には、もう日は沈み月が自らの出番を今かと待っている頃だった。
ボゴールとジョンは夕食を済ませたらしく、申し訳なさそうな顔で出迎えてくれた。エリックはボゴールに、片手で食べられそうなものを作って欲しいと願い出る。豪商は快く頷くと、すぐに使用人を呼び厨房へと指示を飛ばした。
そうして不作法な振る舞いではあるが、ボゴールの前でむしゃむしゃとパンと野菜、焼いた肉を挟んだサンドウィッチを食べながら、怪盗ファントムから届いた第二の予告状を読み込むのであった。
予告状にはとても美しい字でこう書かれている。
「今宵、貴方の大事な宝物を交換いたしませんか。お約束を守っていただけましたら、傷一つなくお返しいたします。今夜二十三時、貴方様のお屋敷の屋上にてお待ちしております。二代目怪盗ファントム」
エリックは口の中にあったサンドウィッチを飲み込むと、ボゴールに鋭い目つきで問いかけた。
「あの後、ナリルの涙はどうされましたか?」
ボゴールはエリックの非礼に怒ることもなく、気にしていない様子で答えた。
「あの後と申しますと、我々でナリルの涙を確認した後でしょうか?」
「そうです。クラリス嬢が居なくなったという知らせを受けた後です」
エリックはすぐにクラリス嬢の痕跡を探し始めたので、ナリルの涙については行方を知らない。ボゴールは真剣な眼差しで答える。
「私の手でいつも保管している場所に戻しましたが……」
ナリルの涙は結局盗まれていなかったのだろうか。エリックは予告状にもう一度目を通した。もし自分が怪盗ファントムだとしたら、思考の海に沈む。クラリス嬢をかどわかすなら、身代金を要求する。予告状には明確な数字を記載するだろう。だが、この予告状には“貴方の大事な宝物を交換”と書いている。
(ボゴールさんは元の保管場所にナリルの涙を置いている。俺達が確認した時には本物だった。騒ぎがあった時に盗まれていなければ、ナリルの涙はこちら側にあるはず。向こうの手札はクラリス嬢。やはりナリルの涙を要求してくるということか?)
エリックは考え込む。手帳を開き、まだ確認していなかったことに気付いて、慌ててジョンに顔を向けた。
「なぁ、ジョン。俺が聞いていた事、調べてくれたか?」
すると、天使と見まがうような美しい幼馴染は妖艶な笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん。順番に話すとしようか」
ジョンはエリックの隣に座る。
「きみが言っていたレーボルク家だけど、わたしの家の者達に調べてもらった。きみが言うくらいだから事件に関係はあるのだろうと思ったけど、わたしの予想を越えていたよ」
頭を振りながらため息まじりでジョンは言う。
エリックくらいしか知らないことだが、ジョンの生家であるアイベリー侯爵は、情報収集が得意な者を専門職として雇用している。つまり情報屋を雇っている。
公には出来ないことではあるが、侯爵家が調べたいことを言えば、その日のうちに情報を集めてあげてくる優秀な耳なのだ。
「レーボルク家の表向きは運輸業の裕福な商人って事になっている。そして、親のいない子どもを世界中から集めて養子縁組を行っているんだけど、実態は違法酒造業で養子縁組をした子ども達を働かせているらしい。今まで気が付かなかったのが不思議なくらい、大胆に行っていたよ。これはすぐに父上へ報告したから、侯爵家から然るべき対応をさせてもらうよ」
ジョンの言葉を継ぐようにエリックは話す。
「教区にあるエデルミナ孤児院からジェシーという少女が直近でレーボルク家に引き取られたらしい」
「うん、記録が残っていたよ。そしてクラリス嬢の侍女ティナの生家を調べてみたよ。あのボゴールさん、身分証はありますか?」
ジョンが言うと、慌ててボゴールは頷き、部屋から出て行った。重い足音を響かせて戻ってくると、机上にティナの身分証の写しを出した。
「うちの写実職が作った写しです。かなり精巧に写してあります」
エリックとジョンはティナの身分証を、穴があきそうなほどに見つめる。ジョンはしばらく身分証を確認していたが、ボゴールに向き直ると悲しそうな顔で説明をした。
「ボゴールさん、大変申し上げにくいのですが、ティナの生家ハムリンという家は存在しません」
「なんですって!」
「キーウィーはルヴィアイから遠く離れた辺境の地ですし、同業あるいは関わりのある業種でなければ裏を取るのは難しいと思います。侯爵家の名でキーウィーのギルドに問い合わせてみたところ、ハムリンという海産加工業の登録商家は無いとの回答でした」
ボゴールは娘が居なくなってから具合の悪そうな顔色だったが、ジョンの言葉にさらに青くなってしまった。そして、とどめを刺すようにエリックが補足する。
「先ほど教区のカジミール司祭にお話を聞いたんですよ。ティナはエデルミナ孤児院の出身だとはっきりおっしゃっていました」
「そんな…………」
「この事件にはエデルミナ孤児院の職員が関わっています。ティナだけじゃない、彼女はおそらく手駒の一人です。謎の無印馬車二台の件もそうですが、一人では不可能なことをやっている。ごろつきでも雇った可能性もあるかもしれませんが、エデルミナ孤児院には共通の動機があるんです」
ボゴールの顔色は青を通り越して白に変わっていく。今にも倒れてしまいそうだ。
「しかし、安心してください。クラリス嬢は無事ですよ」
「なぜそう言い切れるのですか」
「クラリス嬢は怪盗ファントムにとって切り札です。彼らは今夜約束の時間に屋上へクラリス嬢を連れてくるでしょう。おそらく貴方に、クラリス嬢とナリルの涙の交換を持ちかけると思います。万が一、交渉が決裂したとしても豪商の令嬢には使い道がありますから」
残酷ともいえるエリックの冷静な言葉に、ボゴールは耳を塞ぐ。叫び出すのを堪えるかのように、大きな体をわなわなと震わせていた。
「あぁ、なんということだ。どうして娘が……ティナとあんなに仲が良かったのに。そうだ、ティナ! 彼女をここに呼んで話を聞きましょう、正直に全てを話してもらって娘の居場所を——」
「無駄ですよ。マドモアゼル・ティナはもうこの屋敷に居ないでしょう」
「な、なぜですか」
「怪盗ファントムが予告状を出したからです。彼らは次のフェーズに移ろうとしている。仲間のところに合流しているでしょう。もし、違っていても俺がティナの正体に気付くのは時間の問題であるというのは、向こうも分かっているでしょうから。手の込んだ盗難騒ぎを起こす怪盗の親玉ですから、頭も切れるし、鼻も利くのだと思います」
ボゴールはエリックに助けを求めるような、すがるようなまなざしを向けた。今にも床に頭をつけて願いを申し出るような勢いだ。
「エリックさん、事件の真相が分かったならここで教えてください。娘はどこにいるのですか、すぐに治安部に連絡して助け出してもらわないと」
「心配な気持ちは分かります。ですが、治安部に連絡するのは悪手です。向こうを刺激してしまえば、クラリス嬢を隠してしまうかもしれない。今夜の約束が怪盗ファントムの正体を暴く絶好の機会です。どうか落ち着いてください」
そして、とエリックは続ける。
「答え合わせは怪盗ファントムが用意した舞台で行うのが、探偵の礼儀です」
エリックは手帳を開いて、今まで集めてきた謎の種を見る。
《消えたクラリスと身に着けていた服の行方》
《残された帽子》
《屋敷から出た身なりの良い女性》
《架空の蜂蜜輸送会社》
《存在しないティナの実家》
《エデルミナ孤児院のジェシー》
《レーボルク家の闇》
「クラリス嬢が気分が悪いと言って会場を出たとティナの証言は嘘になります。嘘であることを裏付ける材料は、クラリス嬢が当日身に着けていた服がどこにも見当たりません。しかし、顔を隠すほど大きな帽子は折りたたまれた跡が残った状態で、クラリス嬢の部屋にある家具下に隠されていました。これは、途中までついていったティナが帽子だけ受け取り、周りから見つからないようにクシャクシャに折りたたんで部屋まで持ち運んだからでしょう」
エリックはメモに指をさしながら、自分の考えを整理するように言葉に出す。《消えたクラリスと身に着けていた服の行方》《残された帽子》《屋敷から出た身なりの良い女性》の文字に指で横線を書くようになぞる。
「架空の蜂蜜輸送会社は身元をすぐに探らせないため。街中の貸し馬車は身元まで調べませんから適当に名前を出しておけば貸してくれます。存在しないティナの実家は、クラリス嬢の侍女になるために作られた身分です。そこまでしてクラリス嬢の侍女になる理由は、もちろんボゴール家の宝を狙うため」
次にエリックは《エデルミナ孤児院のジェシー》《レーボルク家の闇》の文字を叩いた。
「彼らが宝を狙う理由は一つ。子ども達を強制労働させているレーボルク家に引き取られたジェシーを救うため。迅速にかつ確実に助けるためには多額の金が必要になる。一介の孤児院では数世紀かけても手に入らないような多額の金が。彼らは一晩で手に入れるために盗みという選択肢を取ったわけだ」
エリックは虚空を見上げる。彼の視線の先には何が映っているのだろうか。
「謎解きで胸が弾むとはこういう事なんだろうな。きっと師匠も、今の俺と同じ気持ちだったに違いない」
ぽつりと零した言葉は、誰にも聞こえることなく消えていった。
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