File21:Side Detective

「うん、これくらい赤みが引いたなら大丈夫でしょう。ジェシーからの手紙を取ってくるから君はここで待っていて」

 アデルは道具を片付けると、二階へと向かった。子ども達からの手紙は自室に保管しているのだろう。

 軽い足取りで彼女は戻って来る。手には封筒があった。


「ついこの間届いたの」

 そう言って彼女が手渡してくれたのは、にこやかな男女の似顔絵が描かれていた手紙だった。右から二番目には、薄い水色のクレヨンで髪の毛を描かれている女性——アデルだろう——がおり、その左右には灰色がかった短髪の男性らしき人物とティナによく似た紫色の女性が描かれていた。一番左端には亜麻色の髪色に黄色の瞳で、そばかすが特徴的な男性のような女性のような人物がいる。


「孤児院の職員さん達ですか?」

 エリックは似顔絵を見つめながらアデルに問いかける。

 アデルはエリックと同じように絵を覗き込むと、変わらぬ微笑みを浮かべた。

「ええ、私や他の職員の子達です。上手く描けているでしょう?」

「特徴をしっかりと掴んでいますね」

「この子は将来、画家になりたいそうで」

 孤児院にいた時からずっと絵を描いていたの、とアデルは続けた。


 王国では画家という職業は基本的に男がなるものであるという認識が根強い。女性が就ける職業はお針子くらいのものだ。識字が可能ならば、もう少し幅が広がるだろうが男の世界に比べて選べる職種は多くないのが真実である。

 しかし、アデルからは、そう言った現実を知っていてもジェシーがきっと夢を叶えるだろうと信じているような力強い意思が伝わった。


 エリックは笑顔の四人の絵を眺める。そっと紙の後ろを撫でてみると、上から文字が書かれたような“跡”があることに気が付いた。ゆっくりと指の腹で文字を読み取るように、何度もなぞる。

(K、H、O、S……? KHOS?)

 何の意味も成さない文字。しかし、エリックには意味があるようにしか思えなかった。


(この絵が描かれた手紙は二枚目か。絵の上に書いた手紙があるはずだ。KHOSというのは一枚目にあった単語だろう。彼女がわざわざ二枚目だけを俺に渡したということは、一枚目の内容を知られたくないからだ)

 エリックは思考の海に沈んでいた。怪訝そうにアデルが視線をやっていることにも気が付いていない。


(普通に読んで意味を成さないならこれは暗号だ。ジェシーは最年少、複雑な暗号は使わないだろう。この短さなら文字を別の文字に置き換える“換字式暗号”か。簡単なものならシーザー暗号、ポリュビオスの暗号表あたりだ。後者は数字に変換するので今回はシーザー暗号で確定だろう)

 エリックは何度も手紙の跡をなぞる。黙り込んだエリックに、アデルは何かを言いかけるがすぐに口を閉じた。


(シーザー暗号は文字を三文字ずらす。おそらくジェシーはずらす文字数を変える事はしないだろう。暗号化してまで伝えたいことは、里親に知られたくないということ。暗号を複雑にして時間はかけたくはないはずだ。迅速にかつ悟られない、そして受け手に伝わらなくてはならない。ジェシーはマドモアゼル・アデルに伝えたかったはず)

 自然とエリックの視線がアデルへと向いた。相変わらず心の内を見せない、貼り付けたような微笑を浮かべている。


(三文字ずらしなら、KHOSはHELPになる……。助けを求めたのか)

 エリックは手紙をアデルに返した。

「すみませんが教区内で電話機があるところはありますか?」

 ブルーベラ王国では、音声を電気信号に変換して離れた場所に届ける事が出来る機械、電話機が普及している。しかし、かなり高価なものなので一部の裕福な人間しか持っていないのがほとんど。

 だが、電話機は誰でも使えるようにしなければならないという領主の意向により、教会といった施設には置いてあることがある。


「教区内でしたらピオーネ教会にあります」

「ありがとう、マドモアゼル」

 エリックは勢いよく立ち上がると、アデルに礼を言い、孤児院を飛び出した。馬は孤児院の畑近くに繋がれていて、子ども達にもう行かねばならないと説明をすると、また遊びに来てねと言われたのだった。

 馬を連れながらピオーネ教会に行き、外にいた修道士に電話機を貸して欲しいと言うと快く貸してくれた。


 電話機の受話器を耳に当てながら、回転式ハンドルを回して電話局に繋ぐ。交換手が出ると、エリックはボゴール邸の電話に繋ぐよう話した。しばらくすると、慌てた様子のジョンの声が耳に届く。


「どうしたんだい、エリック」

「やあ、ジョン。教区で良い収穫があってね。君に調べて欲しいことが二つ増えたんだ」

 エリックは受話器を持ち変えると、話を続けた。

「主要区にいるレーボルク家を調べて欲しい。どんなことでも良い。表も裏も丸裸にしてやって欲しいんだ。もう一つはクラリス嬢お付きの侍女ティナを調べて欲しい。おそらく身元を詐称していると思う」

「なるほど、分かった。ところできみが教区に行く前に、わたしへ頼んでいたことだけど」


 エリックは思い出す。

「ああ、貸し馬車の履歴か!」

「ルヴィアイ全部の貸し馬車屋に問い合わせたら、二つの会社から今回見つかったコーチと同型の馬車が一つずつ貸し出されているらしい。まだ返却されていないらしくてね、確認してもらうついでにわたしが返しておいたよ。貸し出したもので間違いないとの事だった」

「借りてきた者の情報は?」

「二社ともにミレー蜜の輸送会社を名乗っていたらしい。だけど、会社名と所在地を調べてみたら架空の会社だったよ」

「そうか、上出来だよ!」


 珍しく喜びを露わにすると、エリックはジョンとの電話を切った。

 すると、エリックの電話が終わるのを待っていたかのように、背後から声がかけられる。

「あまり見ない顔ですな。礼拝の方ではなさそうですが」

 振り返ると、黒色のロングコートのような服を身に纏った老人が立っていた。黒は司祭だけが着ることを許された色である。となれば、彼は教区の代表者カジミール司祭なのだろう。


「これは神父様。貴方に話し掛けてもらえるとは幸運です」

 エリックは仰々しく一礼をすると、カジミール司祭は人好きのする笑顔を浮かべて話し出した。

「いやはや教区に礼拝者以外のお客様は珍しいですからな。教区というのは、メグナコ村の人々か、運送や配達業をしている人くらいしか行き来しませんので。ここを訪れる方の顔はあらかた覚えておるのですよ。新しい顔を見ると話してみたくなって、つい喋ってしまうんです。老人の悪い癖ですなぁ」

 そう言うと、カジミール司祭は心の底から面白おかしそうに笑った。


「仕事で何度か訪れた事はあるのですが、のどかで良い所ですね」

 エリックが言うとカジミールは大きく頷いた。愛おしそうに教区の風景を眺めながら話し出す。

「そうでしょう。ここでは時間がとてもゆっくり流れているように感じるのです。主要区は商いの中心ですから、人々はせわしなく生きている。それが悪い事とは言いませんが、人間ずっとせわしなく動き続けることは出来ないのです。こうしてのんびり暮らすことが人としてあるべき姿に戻してくれるとワシは思うのですよ」


 カジミールの言葉にエリックも同意する。司祭の話を聞きながら、頭の端で聞きたい情報が取れるかもしれないという探偵の勘が囁いていた。

「先ほどエデルミナ孤児院へ行って来たんですよ。みんな仲が良くて温かみのある雰囲気でした」

 エリックが話題を自分の集めたい情報に変えると、カジミールは目を輝かせて話に乗る。

「おお! 今はアデルが院長をしておりますね。今の職員であるアデル達は、あそこの孤児院出身なのですよ」

「へえ。ティナって女性も孤児院出身では?」

「そうです。ローランと同い年だったかな」

「アデルやティナ以外にも職員がいるのですか?」


 初めて上がった名前にエリックは質問を投げかけた。おそらくジェシーの絵に描かれていたうちの一人だろう。


「いますよ、アデルを含めて四人です。ティナ、ローラン、スパロウ。スパロウは人付き合いが苦手な子ですから、あまり表には出て来ませんがとても手先が器用なのです。ローランも少し乱暴なところはありますが、女性や子どもには優しいですし、素直な青年に育ちました。昔は手がつけられなかったくらい暴れん坊だったんですがね」

 カジミールの話を聞きながら、エリックは自分が睨んでいた事が正しかったことを理解する。やはりティナは怪盗ファントムと関わっている。


「アデルはどんな人ですか?」

 エリックの質問にカジミールは嫌な顔をする事無く答える。彼の表情は生き生きとしていて、孤児院の子ども達を自分の孫と思っているのだと感じた。

「彼女はとにかく頭が良い子です。孤児院のまとめ役ですね、それに見目も美しい。貴族の妻にはなれぬとも、良家に娶ってもらえる可能性は十分あるでしょう」

 彼の言葉にエリックは返事をしなかった。アデルはそんな役割におさまるような人間ではないと思っていたからだ。


「貴重なお話をありがとうございます」

 エリックが礼を言うと、カジミール司祭は顔を近付けてきて声を落としながら話をする。

「……アデルに惚れたんですか?」

「ん?」

 突然の言葉にエリックの動きが止まる。この老人は今なんと言ったのだろうか。頭の中は整理がつかない。


「いやぁ、いるんですよ。教区に来てアデルを見かけて惚れていった人! そうか、そうか、貴方もそうでしたか!」

「いや、ちがっ」

「頑張ってください! 若者は素直なくらいがちょうどいい! 恋愛は己の心に従うのが一番ですから!」

 エリックはカジミール司祭に背中を太鼓のように強く叩かれながら、力なくうめき声をあげたのだった。

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