File20:Side Detective

 用件を伝えに来た衛兵は、事件の内容を気にしている様子だったが、ジョンには聞くことはせず、ただ己の仕事をこなした。

 エリックはジョンの視線を受けて頷くと、フアンのアパートメントを飛び出し、城門前に繋いでいた馬に乗る。

 門番に怒鳴るようにして、ジョンの知り合いであるということと、私立探偵をやっていて事件の捜査中だから邪魔をするなと言い放つ。

 門番をしていた衛兵はエリックの言葉に耳を傾けなかったが、詰所にいた同僚がやって来てエリックを通すよう話をしてくれた。解放されたエリックは、不安定な道のなか馬を走らせて教区へと向かっていった。


 主要区から教区までの道は、土がむき出しで小石が転がっているような道である。馬が転倒しないよう、景色が目まぐるしく進んでいくなかで慎重に走って行く。

 しかし、順調に進んで行ったものの、道は途中で森の中へと消えていった。エリックは舌打ちをして空を見上げた。今ならまだ間に合うかもしれない。低木や草が生い茂り、かなり足元が悪かったが帰り道のことも考えて馬を連れて行くことにした。


 教区に出るためには深い森を抜けなければならない。土地勘のない者は必ずと言っていいほど迷う。

 慣れていない者は案内人を雇うのが一般的だが、エリックは何度か教区を訪れたことがある。依頼だったか、師匠についていった時だったかは忘れてしまったが、当時の記憶を頼りに森を抜けていく。

 幸いにも森の中でも道は出来ていた。教区と主要区を行き来する人々が踏んでいった跡だ。エリックは大人しくついてきてくれる馬を時折撫でながら休むことなく、歩みを進めていった。


 森に差し込む光がだんだんと強くなってきた頃には、教区前に辿り着いていた。教区が主要区と異なるのは、城壁がない部分である。畑や家畜小屋、聖職者がいる教会や修道院、孤児院など人々の営みが、森を切り拓いた空間に存在する。

 エリックはのどかな風景を眺めながら、ゆっくりと教区へと足を踏み入れた。


「お兄ちゃん、危ない!」

 子どもが叫ぶ声と同時に丸い物体がエリックの顔に向かって飛んでくる。まずいと思った時には手遅れで、子ども達が遊んでいたボールは、エリックの顔面を直撃した。

 スイカやメロンを叩いた時よりも鈍い音が響く。あまりの衝撃にエリックの体は後方へと倒れこむ。


「ごめんなさい!」

「大丈夫?」

 口々に言いながら子ども達が倒れたエリックの周りを囲むようにして、わらわらと集まってきた。ボールを蹴ったらしい男の子は、今にも泣き出しそうな顔でエリックを見ている。

「おいおい、別に死にはしないから泣きそうになるなよ」

 鼻を押さえながらボールを持つ男の子の頭を撫でてやると、ほっとしたように彼の顔に笑みが戻ってきた。


「お兄ちゃんはお祈りしに来たの? それとも司祭さまのお話を聞きに来たの?」

 子ども達のうちの一人がエリックに問いかけた。彼は口の端を片方だけ上げると、首を横に振る。

「俺は神様なんてものは信じていないからな。ここへはお仕事で来たんだ」

「へえ! 時間があったら孤児院うちにおいでよ」

「そうだよ、お詫びもしなきゃだし!」


 子ども達の中で年上だと思われる少女達が口々に言うと、いつの間にかエリックは彼らに手を引かれて孤児院へ向かっていた。


(あれっ、行くって言っていないのだが)

 途中で手を振り払おうと思ったが、まだ教区でどこを探せば良いのか見当がついていなかった。とりあえず、適当に話を聞いて目星でもつけるかとエリックは考え、手を引いている少女に任せることにした。


「わたしたちのお家はね、エデルミナ孤児院っていうの」

「そこの院長のお姉ちゃんがとっても美人なんだよ!」

「お兄ちゃん、お姉ちゃんと結婚したらー?」

「馬鹿、結婚っていうのはそんな簡単に出来るものじゃないって」

「え~? お姉ちゃんは美人だし、お兄ちゃんはカッコいいからお似合いだと思うけどなぁ」


 好き勝手に話し出す子ども達に、相槌を打つことなく黙って聞いていた。いつの間にか、馬の手綱は男の子に握られている。彼は動物の扱いに慣れているらしく、自分よりも遥に大きな馬を上手く引き連れていた。馬も素直に従っていて、暴れ出す様子もない。


「ほら見えてきたでしょ、あの建物がエデルミナ孤児院だよ!」

 先頭を行く少女のうちの一人が振り返って言う。指をさした先には、こぢんまりとした二階建ての建物があった。周りには畑があり、作物が見事に育っている。鶏小屋もあるようで、食事の一部は配給だけでなく、自給自足をしているのだと感じられた。


「いた、アデルお姉ちゃん! ただいま!」

 少女が走って行く。孤児院の扉前に立っていた女性に抱き着くと、笑顔でエリックのことを紹介しているのが見えた。

 アデルと呼ばれた女性は、子ども達の言う通りとても美しい人だった。他人に興味がないエリックでさえ、心を動かされるほどの美しさ。見た目だけじゃない、内面からも滲み出る美。手を伸ばせば、するりと抜けていきそうな雰囲気に、エリックは強い興味を抱く。


 アデルは掴みどころのない微笑を浮かべて、エリックに歩み寄った。

「子ども達がご迷惑をおかけしたようですね。どうぞ中に入ってください、お顔を冷やしましょう」

 彼女の少し擦れたような、特徴的な声が耳に心地よい。

「お気遣いなく。大したことじゃありませんから」

「そうですか? 鼻が赤くなっていますが」

 アデルの指摘に悪戯が好きそうな男の子がエリックを茶化した。

「赤鼻のトナカイだ! あはは」

 彼の言葉に他の子ども達が釣られて笑う。

「こら、お客様に失礼でしょう。君達は午後の仕事をしてきなさい」

 アデルの指示に子ども達は元気な返事をして、散り散りに去って行く。二人だけになると、彼女は困ったように笑った。


「うちの子ども達が申し訳ございません。是非、中に入ってください。鼻だけでも冷やしましょう」

「ではお言葉に甘えてそうします」

 エリックが頷くと、アデルは微笑みを絶やさずに彼を見やる。

「申し遅れました、私はエデルミナ孤児院の院長をしております、アデルと申します」

「ご丁寧にどうも。俺はエリックです、マドモアゼル」

 エリックが名を言うと、アデルの青い瞳がすっと細められた気がした。


 *


「エリックさんはどうして教区へ? 旅人ではなさそうですが」

 桶に入った水に布を浸しながらアデルは問いかける。

「まぁ……仕事とだけ言っておきます」

 エリックの答えにアデルは何も言わず、水で濡らした布を鼻に当てた。井戸からすくいあげられた水だろうか、とてもひんやりとしていて気持ちがいい。


 エリックは通された空間を観察する。一階部分には長机と椅子が並べられており、奥には台所があった。察するに食堂だろう。子ども達はここで食事をとっているようだ。

 壁には子どもが描いたと思われる絵が飾られており、何枚もあった。

 エリックの視線に気がついたらしいアデルが、絵について教えてくれた。


「あれは里親が見つかった子ども達が描いた自画像です」

「へえ、去っていった子ども達の絵を飾るとは。なんと言うか、温かみのある孤児院ですね」

「そうでしょう? ここは私の大事な場所なのです。ここを巣立っていった子達から届く手紙を読むのが、私の趣味です。ここから巣立っていった子ども達が、私の知らないところで成長しているのがよく分かるんです。それがどんなに嬉しいことか」

 壁に飾られている絵を眺めながら話すアデルの横顔は、慈愛に満ちた女神のようだとエリックは思った。


 飾られている絵の下には、日付が書かれている。おそらく、子ども達が孤児院を卒業した日なのだろう。直近で孤児院を去ったのは、二月十四日のジェシーだ。エリックは何となくアデルに聞いてみる。


「このジェシーって子から手紙は届いたのですか?」

 すると、アデルの動きがほんの少しだけ止まった。普通の人なら気にしない程度だが、エリックにはかなり不可解に思える。

「ええ、もちろん。最年少でしたけど、私が字を教えたのでちゃんと書けるのですよ」

 彼女の一瞬の戸惑いに引っ掛かったエリックは、問いを重ねた。

「どちらへ引き取られたんですか?」

「……レーボルク家です。主要区にある裕福なお家でして」

 アデルは鋭い視線をエリックに向けた。不快感を隠さないアデルに、エリックは獲物を見つけた肉食獣のように目をぎらつかせる。


「ジェシーという子は君に手紙は書かないのですか?」

 エリックの言葉に彼女は冷たい微笑みを浮かべた。

「書きますよ。見たいのですか?」

「はい。全く知らない人間に見せるというのは抵抗があると思いますけど」

 するとアデルは首を横に振る。エリックの言葉を引き継ぐように話し出す。

「君は次に“捜査のためだから”と言うでしょうね」

「ほう?」

「どうして分かったかって言いたげですね。主要区を騒がせている盗難事件の直後に、教区をあまり訪れない人間が来たら関係者だと思うでしょう。君の格好は、ここでは洒落すぎているからよく目立つのですよ」


 アデルはぬるくなった布を井戸水に浸した。

「治安部なら制服を着ているし、何より複数人で行動する。君は趣味の良いスーツと革靴だから治安部とは関係ないだろうとあたりをつける。事件について調べ回る人間が他に居るかと考えれば、探偵くらいのものでしょう」

 冷たさを取り戻した布がエリックの鼻に再び押し当てられる。


「あるいは俺を最初から知っていた・・・・・・・・・のかもしれない」

 エリックは意地の悪い笑みを浮かべて、挑発するようにアデルを見つめた。しかし、彼女は片方の眉を上げただけで特に何も言わなかった。

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