End Of Story
File28:End Of Story
ルヴィアイ十五番街にある古びたアパートメントの一室。埃っぽい部屋の中には、靴箱にきちんと並べられた美しい革靴が並んでいる。黒髪の青年は鼻歌を歌いながら楽しそうに、コレクションのうちの一つを丁寧に磨いていた。
「うん、新しく買った革靴も素晴らしいな。値段はいつもの依頼料の五倍だったけど、さすがは豪商ボゴール。依頼料の支払いも気前がいいから普段買えないものも買えてしまう」
光沢が美しい革靴をうっとりと眺めていると、慌ただしく階段を駆け上がる音が聞こえて来た。エリックが扉を開けようとしなくとも、来客は勝手に開けて入ってくる。
「エリック、新聞を見たかい?」
興奮気味で話す幼馴染の手には、先ほど新聞売りから買ったらしい朝刊が握られている。エリックはジョンを気だるげに見やっただけで特に何も言わなかった。
「きみの活躍が一面に書かれているよ! ほら“名探偵オーガスト・デポネの弟子、二代目怪盗ファントムを破る! 酒造王の娘は無事に帰還!”って」
するとエリックは大きくため息をついた。
「ジョン、新聞屋の適当な主張に耳を傾けてはいけない。俺はあの勝負、負けたと思っている。誰がなんと言おうと負けは負けだ。真実に辿り着く事が出来なかった俺の負けなのに、新聞屋は適当なことをほざいてやがる。大体、クラリス嬢が無事なのは怪盗ファントムとグルだったからであって、俺の推理は関係ないんだぜ?」
ふっとエリックは革靴に息を吹きかけた。ジョンは冷静なエリックの態度に構わず話を続ける。
「だけど世間はきみのことを名探偵だって言っているよ。それはわたしも事実だと思うし、これから依頼が舞い込んで忙しくなるんじゃないかな? きみの金欠にもおさらばする日が近いかも」
そういえば、とジョンは続けた。
「ボゴールさんから貰ったお金はどうしたの? ちゃんと貯めた?」
エリックは黙る。沈黙が部屋に重くのしかかった。
柔和なジョンの微笑みがだんだんと険しいものになっていく。
「まさか使い切ったなんて言わないよね? お金をもらったのは昨日だよ」
「……いいか、ジョン。金を使って経済を回すことは、貴族や庶民といった身分関係なく大事なことなんだ」
「使い切ったんだね?」
笑顔のジョンがずいっとエリックに近付き、見下ろす。浮かべているのは笑顔だが、言葉の端々には怒気を含んでいる。さすがのエリックもジョンと視線を合わせていられなくて、目を逸らしてしまった。顔中の穴という穴から汗が噴き出る。
「使い切ったんだね? 何を買ったの?」
「怒られるから言いません」
「言いなさい。今言わないとあとで泣きついてきても知らないよ」
「靴を買いました」
「今月の家賃は払ったの? 食費は残しているの?」
「家賃は払っていません。食費もありません」
エリックの告白にジョンはため息をつくと、まくしたてるように説教を始めた。
「きみの浪費癖は収入を超えているからわたしはいつも怒っているんだよ。趣味に使うのはいいけど、生活をするうえで必要最低限のお金は残したうえで使いなさいっていつも言っているよね? きみ、わたしにどれだけ借金しているか分かっているの? 何回言っても直らないならきみに資産管理人をつけさせてもらうからね。大体、子どもの頃はこんなんじゃなかったのに大人になったらどうして駄目な人間になるんだ。きみ、頭は良いのにお金の使い方になると算数も出来なくなるよね——」
ジョンの説教は朝から夜まで延々と続いたのだった。その後、しょげながら依頼人と話をするエリックが目撃される。
*
汽車の汽笛が目的地に到着したことを乗客に知らせる。アデルは手提げ鞄を持つと駅のホームに降り立つ。長旅で疲れた体をほぐすように背伸びをする。深呼吸をして王都の空気を肺に入れた。
二代目怪盗ファントムの盗難事件は幕を終えた。あの後、クラリスとボゴールの申し出で事件に携わっていたアデル達の処分は無くなった。領主であるアイベリー候も、レーボルク家の実態に気が付かなかったことと、市民に頼りないと思われてしまっていた己の不甲斐なさから懲罰は下したくないと言っていたそうだ。
ジェシーをはじめとするレーボルク家の子ども達は、アイベリー候によって救われ、全国各地の孤児院や里親を希望する人々に引き取られていった。レーボルク家の事があったため、アイベリー候は里親の身分を徹底的に確認してから養子縁組を組むよう法律を定めた。
レーボルク家の大人たちは捕らえられ、裁判にかけられる予定である。
ジェシーは無事にエデルミナ孤児院へ戻ってきた。痩せこけた彼女を抱き締め、みんなで泣きじゃくった記憶が思い出される。彼女には本当に申し訳ないことをしてしまったとアデルは今でも後悔している。もっと自分が里親の情報を集めていれば、と何度思ったか。
そんなアデルは全ての責任を取る形でエデルミナ孤児院の院長を辞めたのだ。アイベリー候やボゴールは、怪盗ファントムのみんなに処分は下さないと言っていたが、アデルが自身に下した判断だ。彼らにはお咎めは無い代わりに、自分が院長を辞めてルヴィアイの地を離れることでけじめをつける意味がある。
当初は治安部からアイベリー候に厳重な処罰を求められていたが、クラリスの懇願もあってボゴールは処分をしないということで納得した。アイベリー候も被害者であるボゴールが納得するなら、そのようにしようと寛大な判断をしてくれたのだった。
本来なら処刑されてもおかしくないことをやっていたので、自分が今王都の地を踏んでいることが信じられないくらいだ。
育ったルヴィアイを離れて王都に来たアデルは、やってみたいことがあった。
それはクラリスが話していた演劇を見ること。その為に王都へ来たのである。演劇を見た後はどうするか全く考えていないが、たまには衝動に駆られてみるのもいいだろう。
アデルは道行く人々に劇場の場所を聞きながら向かった。
劇場の前に辿り着くと受付に行って一人分のチケットをもらう。心を弾ませながら劇場内へと足を踏み入れたのだった。
この経験がのちに大女優アデルが誕生するきっかけになることは、当の本人もまだ知らない。
了
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