File18:Side Detective
ボゴールの別邸は本邸より馬で数十分離れたところにあった。富裕層の間で建てられる別邸は、本邸よりも遠く離れた場所にあるのが一般的である。
そして、裕福な人々の世界では別邸を持つのが当たり前であった。普段見ている本邸の景色とは百八十度違った世界を見て癒されたいという思いから、別邸を建てる文化が生まれたのである。
しかし、ボゴールの別邸は病に倒れた妻に自然の中で療養してもらうという目的で建てられたのだそうだ。その理由から、ボゴールが見舞いに行きやすいよう、本邸より馬で数十分ほどで辿り着ける距離に別邸がある。
「ボゴールさんは愛妻家だったんだな」
馬に揺られながら見えてきた屋敷に向かって、エリックは呟いた。横にやって来たジョンは、手慣れた仕草で馬を操りながらエリックの言葉に返事をする。
「そうだね、陽光が屋敷内に入りやすいよう窓を大きめに作ってあるし、敷地の真ん中に花壇を作って奥様がいた部屋から景色が見えるように設計しているようだね」
ジョンの言う通りだった。別邸は本邸よりも小さめに建てられていて、装飾がほとんどない。最初に言っていたように、ボゴールの妻の故郷で使われる建築様式で建てているのだろう。屋敷の目の前には、円形の花壇があり、色とりどりの花が私を見てと言わんばかりに咲き誇っている。
別邸は二階建てになっていてジョンが話していたように、二階部分には大きな窓が作られていた。これならば、陽射しがしっかりと部屋に入ってくる。きっと病床の妻には、明るい部屋で過ごして欲しいというボゴールの想いから、通常に使う窓より大きくしているのだろう。
質素な美しさを持つ別邸には、大きな違和感があった。花壇の近くに馬のいない馬車が放置されているのである。
エリックとジョンは別邸の目の前で馬を降りて、敷地内に入っていく。本邸と違って別邸には門番が居なかった。しかし、綺麗に手入れをされている状態から放置はされていないようなので、とりあえず管理をしている者がいないか確認するため、扉を叩く。
すると、中から背の高い白髪混じりの品の良い男性が出てきた。
「こちらはジャン・ボゴール様の別邸でございますが……」
彼は本邸と間違えてエリック達がやって来たのだと思ったようだ。エリックは首を横に振ると、自分がボゴールに雇われた私立探偵でとある事件の捜査をしているのだと説明をする。すると、主人からエリックのことは話を聞いていたようで、柔和な笑みを浮かべて歓迎してくれた。
「ところで、ムッシュ」
エリックが男性に話し掛けると、彼は優雅な動作でお辞儀をする。
「名乗り遅れましたな、私はボゴール家の家令を務めさせていただいております、ベネディクトと申します」
「ご丁寧にありがとう。一つ聞きたいことがあるのですが」
「ええ」
エリックは花壇の近くに放置されている馬車を指差した。ベネディクトは、エリックの指先を追うように視線を向けると、あぁと困ったように何度も頷いた。
「あちらの馬車は私が今朝、別邸に来た時にあったものです」
「ボゴール家所有のものではないですか?」
エリックは手帳とペンを取り出すと、ベネディクトに質問を投げかける。
「いいえ。私はボゴール家の全ての馬車を把握しておりますが、あの馬車はありません。二頭仕立ての四輪で客室が箱型の“コーチ”は、何台か所有されておりますが、どの馬車も家紋が刻印されております。ご覧ください、あの馬車の客室は、ボゴール家所有のものと同じ黒色ですが、葡萄の実と葉が描かれておりません」
ボゴールの家紋はエリックも見ている。ベネディクトと一緒に放置された馬車の近くに向かうと、三人で家紋を探した。しかし、どこにも刻印されておらず、正真正銘の無印の馬車であることが確定する。
「ムッシュ・ベネディクト。貴方は馬車について今朝知ったとおっしゃいましたが、ここへは本邸の使用人専用の寮から通っているのですか?」
馬車を見ていたベネディクトだったが、エリックの言葉に少しだけ寂しそうな顔をして答えた。
「いいえ、ありがたいことにこちらに住まわせてもらっております。私は昔、マチルダ様がまだ幼かった頃から執事をさせていただいておりました。お亡くなりになるまでずっと。マチルダ様亡き後、私は故郷に帰ろうと思ったのですが、ジャン様が“出来ることならマチルダが最期に過ごしたこの場所を管理して欲しい”というご提案をしてくださり、それから私はここで住まわせていただきながら別邸の管理をしております」
別邸は主が居なくなってからも、おそらくは当時の美しさをそのまま保っているのだろう。ベネディクトの献身的な主人への愛と、彼の仕事を尊重するボゴールの思いやりがあったからこの家があるのだろうとエリックは思った。
「馬車の存在は今朝、屋敷の外に出た時に気がつきました」
「その時から馬は居ませんでしたか?」
「はい、今の状態のままです」
エリックは手帳に書き留めた。
「昨夜はクラリス様の誕生日を祝う祝賀会でしたが、貴方はどこに?」
「別邸におりました」
「夜に誰かが来たことも無いですか?」
「お恥ずかしながら昨夜は陽が沈んでからすぐに眠りました。もしかしたら、誰かが来ていたのかもしれませんが……私の認識では物音はありませんでした」
「馬車は今朝からあったのですよね。それ以前からあったわけではなく」
ベネディクトは大きく頷いた。
「クラリス嬢が昨夜ここに来たことは?」
「ありません」
エリックは手帳に書き留めながら考える。
(ベネディクト老を犯人から除外するならだが、馬車が別邸の敷地内にある以上、必ず誰かがここにやって来たことになる。おそらくベネディクト老が眠っている時間帯に来ているとなると、クラリス嬢が会場から出た後だろう。ショーンが言っていた“屋敷から出た二台のうちの一台”がここに来た)
エリックの目が手帳に書いた《クラリスは別邸に来ていない》という文字をとらえる。
(もしクラリス嬢が乗っていた馬車がここに来たとすれば、馬車だけを乗り捨てて馬で去って行ったことになる。二頭仕立てだから御者役と本人で逃げられる)
彼は馬車の周辺を念入りに観察する。
(足跡はないな。追うとなると別邸からの馬の蹄を追いかけることになるが、残っていなさそうだな。舗装されていない道——獣道——を選んでいる可能性が高い)
別邸に来た跡は残っているのだが、そこからの足跡が全くなかった。おそらく植物が生い茂り、跡が目立ちにくい道を選んで去っている。草を掻き分けて地面をよく見れば蹄の跡は見つけられるだろうが、おそろしく時間がかかるうえ、雨が降れば消えてしまう。追跡手段としては非効率的である。
(とりあえず別邸で得られる情報はこのあたりか。あとはもう一つの馬車の行方を調べてからだな)
エリックは考えを整理すると、ベネディクトに礼を言って、走るように馬のもとへ急いだ。
「ジョン、城門前へ行くぞ!」
彼の返事を聞くことなく、エリックは馬に飛び乗った。平民出身のエリックだが、乗馬の技術は師であるオーガスト・デポネに教わっている。推理をするにも馬には乗れた方が良いという教育方針からだ。
あまり優雅とは言えない手つきでエリックは馬を飛ばした。
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