File17:Side Detective
ボゴール家に住み込みで働く使用人の寮は、庶民が住むアパートメントほどの大きさがあった。エリックの住むボロボロのアパートメントより立派な建物である。
女性と男性で棟が分かれており、正門には寮母が受付をしている。エリックとジョンは、男性用の棟に行って受付となっている小部屋で休んでいる年老いた女性に話し掛けた。
「ここで住んでいる……ええっと、名前を聞いておくのを忘れたな」
昨晩の護衛を担当していた門番の名前が分からなければ、取り次いでもらえない。エリックは困ったように頭をかいたが、老婆は落ち着いた様子で彼に問いかけた。
「あんたは誰だい」
「俺はエリック。私立探偵をしている。訳あって——」
最後まで言い終わらないうちに老婆は頷いた。エリックの正体が分かっているかのように。
「お館様の客人ってところだろう? ここに何の用だい」
エリックは話が早くて助かる、と目を輝かせた。
「昨晩の門番をしていた者に話を聞きたいんだ」
すると老婆は、寮の部屋番号とそこに住んでいる者の名前が書かれた紙の束を取り出し、ぱらぱらとめくっていく。何枚かめくっていたが、ぴたりと手が止まった。
「ああ、昨日はショーンが担当だったかね。二〇一号室にいるよ」
「助かったよ、マダム」
エリックは老婆に礼を言うと、内部へ入って行く。階段を上がると目的の人物がいるらしい二〇一号室が目の前にあった。
「ショーン! いるか、俺はルヴィアイの私立探偵エリックだ! ボゴールさんから依頼を受けてある事件の捜査中だ。話を聞かせてくれ! 起きろ!」
エリックは力いっぱい扉を叩きながら大声を出す。あまりの騒がしさに同じフロアに住んでいるらしい他の使用人達が部屋から出てきて、怪しげなものを見るような目でエリックを見ている。ひそひそと話し出す使用人の姿を横目に、青ざめた顔のジョンが暴走するエリックをひたすら止めようとしていた。
「ショーン、起きろ! 君に聞かなきゃいけない事がある! 捜査に必要なんだ、起きろぉ!」
どん、どん、どん、と扉が力強く叩かれる。
「……何ですか、朝っぱらから。こっちは夜勤だったんですけど」
ゆっくりと扉が開く。口調は丁寧なものの、怒りを含んだ声が聞こえてくる。
中にいた青年が眠たそうな目でエリックを睨んでいた。貴重な睡眠時間を邪魔しやがってと言いたげな表情である。
「君が昨晩の門番だな?」
エリックの唐突な質問に、まだ起ききっていないらしいショーンは少し間を置いてから頷いた。そして、扉を開けきると中に入るよう促す。
「そうですけど、僕に何を聞きたいんですか? 何があったかは知りませんけど、僕に対しての用事をさっさと終わらせてください。はぁ~……、今日も夜勤だというのに迷惑な人だなぁ」
ショーンは目の下のクマが酷い状態だった。無理もない、彼はさきほど仕事を終えたばかりだったのだろうから。
それと、まだ他の使用人達にはクラリス失踪事件は耳に入っていないようだ。
エリックはショーンの悪態を聞こえてはいたが、意にも介さずに質問を投げかけた。ショーンの感情や都合はエリックにとっては、どうでもいいものだからだ。
「昨晩、祝賀会があったことは知っているか?」
「ええ」
「祝賀会が終わる前に誰か屋敷から出て行かなかったか?」
すると、ショーンは欠伸を噛み殺しながら答える。エリックは手帳を取り出した。
「中に乗っていたのが誰かまでは分かりませんけど、馬車が出て行ったのは見ました」
「どんな馬車だ?」
「二頭仕立てのコーチだったと思います」
「出ていったのは一台だけか?」
すると彼は首を横に振る。
「いいえ、二台です。続けて出て行ったのでよく覚えています」
「見た目は覚えているか?」
「周りが暗かったので、はっきりとは見えていませんでしたが二台とも“無印”の馬車だったと思います」
無印とは家紋がついていない馬車のことを指す。つまり、出て行った馬車はボゴール家所有のものではない。祝賀会に招待された客のものである可能性も捨てきれないが、ボゴールと交流が持てるほどの財力、家名があると考えられるため、無印の馬車を使う者はいないとエリックは考えた。つまり、怪盗ファントムが用意した馬車であると。
エリックはショーンに礼を言うと、慌ただしく部屋を出て行った。
「ちょ、ちょっとエリック!」
「はぁ~、失礼な人だなぁ、もう」
「申し訳ない、本当に。エリック、待って!」
ほとんど走るようにして使用人の寮を後にすると、正門前へと急いだ。ジョンが後に続く。お坊ちゃまの彼があちこちに動き回るエリックについていくのは容易ではないが、彼は一生懸命に前を行くエリックを追いかける。
エリックは後ろを振り返りもせず、ひたすら正門へと急いだ。軽く息を上げながら辿り着いた彼らは、門から出てボゴール邸の前にある道路を見る。
「門番の寮は正門近くに建てればいいのに。こんなにも歩きまわるはめになったじゃないか。俺の一週間の歩数は今日一日で軽く超えただろうな」
エリックは苛立ちを隠すことなく、文句を言いながら追いついたジョンに話し掛けた。ジョンは息を切らしながら横目でエリックを見やる。
「どうしてきみは苛立っているのさ?」
「決まっているだろう! 移動が面倒くさいからだよ。金持ちや貴族連中には家を無駄に大きくするんじゃなくて、動線を考えた合理的な造りの家を建てろと言いたいね」
エリックはそう言うと、はぁっと大きくため息をついた。
「無駄に大きいと言えばジョンの家もそうだが、家の敷地内に美術館っているかよ? 街に建てればいいじゃないか。それに牧場! これも領地で運営すればいい話じゃないか」
エリックの苛立ちがジョンの家に向けられている。完全な八つ当たりである。
「美術館は兄上とクラリス嬢がパトロンをしている画家の絵を飾るための施設で、国王陛下がお越しいただいた際に見ていただいて、気に入った画家がいれば王宮に召し抱えてもらうんだ。それに世界各国から画商を呼んで販売するための施設でもある」
ジョンは淡々と説明をする。彼の静かな怒りに気がついたのか、エリックは静かになった。
「牧場は動物好きのリリーが父上にねだったものだけど、そこでは品質の良い家畜を育てるための餌の配合や安全な繁殖の方法を研究している。わたしの家は“無駄”に広いんじゃない、領民がよりよい暮らしが出来るために施設を作っているんだ」
エリックは先ほどまでの威勢はどこへいったのか、今やすっかり縮こまってしまった。
「えっと……すみませんでした」
素直に頭を下げるとジョンは朗らかに笑った。
「分かればよろしい。で、道を調べに来たのかい」
ジョンの言葉に当初の目的を思い出したエリックは、ぱあっと目を輝かせた。
「そうだ! 消えた令嬢の行方を掴める手がかりが残っているんじゃないかと思ってだな」
屋敷前の道は馬車が二台すれ違えるほどの広さがある。領主の館まで向かう公道と違って、“個人の敷地内にある道”という扱いから石畳には整備されない。ボゴールほどの財力があれば、公道まで石畳に整備できるだろうが、彼は実行に移さなかったようだ。しかし、そのおかげで轍がよく見える。
ショーンの証言通り馬車の轍は二つ残っていた。どうやら目の前の道ですれ違って、それぞれ正反対の方へ向かっていたようだ。一つは教区に繋がる城門の方面へと続いている。
「おい、君!」
エリックは門番の一人を呼んだ。真面目な門番は黙ってエリックの下にやって来て“お呼びでしょうか”と尋ねる。
「こっちは教区方面だと思うが、反対側には何があるんだ?」
エリックの知識ではこれといった施設はなかったと記憶している。門番はエリックの指差す轍を見て、あぁと頷いた。
「あちらはボゴール様の別邸があります」
「別邸もあるのか……やれやれ」
平民のエリックには家が二つあるということが想像もつかない。呆れたようにため息をつくと、自身とジョンを交互に指差しながら門番に依頼をする。
「馬を貸してくれないか?」
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