File15:Side Phantom
「それにしても、このお部屋だけでかなり高価な素材で作られた調度品ばかりですね。まだ屋敷全体を見ていませんが、価値の高いものがたくさんありそう」
アデルはぐるりと視線を流して、クラリスの部屋を見渡す。
「ええ、母が芸術品やアンティークものが好きだったので。鑑定すればかなりの値がつくものがあると思いますわ」
クラリスが頷きながら答える。
ティナは数か月この屋敷で働いていて、全体を知っているつもりだったが、それほど高価なものに囲まれて過ごしていたとは知らなかった。
「クラリス様、この屋敷で最も価値の高い品はご存じですか」
アデルは澄みきった青色の瞳をクラリスへ向ける。クラリスが太陽の女神だとすれば、アデルは月の女神だろう。二人には対称的な美しさがあった。
「そうですわね……」
クラリスは暫く考え込んでいたが、一つ思い出したようで顔をあげて答えた。
「ナリルの涙かしら」
「へえ、それはどんなもの?」
「大きくて美しい形をしたサファイアです。母が愛した宝石で、形見とも言えますわ。鑑定したことは無いのですけれど、おそらく王国内でもあの大きさの石はほぼ無いと思います」
アデルは興味をそそられたようで前のめりになってクラリスの言葉を聞いていた。
「でも、お母様の形見だったらさすがに盗む対象には出来ないよね?」
ティナはおそるおそるといったようにアデルへ問いかけた。彼女の様子からナリルの涙なる宝石に心を惹かれているのでは、と思ったティナは期待をこめてアデルに問う。しかし、彼女の返答はティナの予想を裏切るものだった。
「形見でも貴重なもので価値が高いなら盗むよ」
アデルの言葉にティナは怒りで血が頭にのぼるのを感じた。小さい頃から共に育ってきた彼女は、ティナにとって姉のようでもあるが、同時に憧れの存在だった。いつも凛としていて、みんなの輪にいても一歩引いて冷静に物事を見ている。ずっと一緒にいたティナでさえも、アデルの考えることは思い至らないし、分からないが、絶対に間違ったことはしないという信頼があった。しかし、アデルの言葉は長い年月を経て積み重ねてきた信頼をいとも簡単に揺らがせるほどの衝撃があった。
「アデル、いくらジェシーを助けるためでも人の形見を奪うなんてひどいよ! あたし達、一度は家族を失ったことがある人間なんだから愛していた人の形見を失う辛さは想像できるでしょ!!」
そんなことが分からないアデルではない。彼女の賢さを理解しているからこそ、ティナは腹が立った。この優しいクラリスから命と同じくらい大事なものを奪うな、と怒鳴ってやりたい気持ちになる。
だが、当のアデルは涼しい顔をして微笑を浮かべていた。彼女の感情は推し量れなかった。
「まあまあ、ティナ。落ち着いて。最も価値の高いものを一度は盗むわ。でも、最後にはきちんと持ち主に返すの。う~ん、
「借りる?」
「そう、ナリルの涙を盗んでボゴール氏に“お金と交換しましょう”って持ちかけるの。私はジェシーを助けるためのお金が手に入れば良いから、宝石には興味ない。お金を借りるために宝石を一度預からせてもらうってだけ。お金を動かすには、ボゴール氏にとって大事なものを奪わなきゃいけない。だから貴重な品なら形見でも一度盗むってこと」
アデルの説明にティナは、ついかっとなってしまった自分を恥じる。短絡的に物事を考えてしまう自分と、その先を見据えているアデルの差が改めて見せつけられたようだ。隠れられるなら隠れたいと思った。
「ごめんなさい、アデル。怒鳴ってしまって」
謝るティナに微笑を崩さずにアデルは言う。
「良いの。それくらい君がクラリス様と心を通わせているって証拠だから」
どこか嬉しそうに話すアデル。ティナが隣に立つクラリスを盗み見ると幸せそうに頷いていた。
「それでクラリス様、ナリルの涙とやらはどこに?」
問われたクラリスは申し訳なさそうに眉を下げて首を横に振った。
「ごめんなさい、わたくしも知らないのです」
「へえ? でも見た事はあるんでしょう」
「ええ。保管場所は父しか知りませんわ。でも、年に一度わたくしの誕生を祝う祝賀会で、わたくしが生まれた時間にお父様はナリルの涙を参加者の皆様へお披露目するのです」
そうすることで母も一緒に祝っているような気になるらしい、とクラリスはボゴールの行動について説明を加えた。
アデルはきらきらとした目を真っすぐに向けている。まるで子どもが新しいおもちゃを手に入れて遊んでいるかのような。彼女が胸を弾ませているのが感じられた。
「誕生日はいつですか」
「八月二十日です。生まれた時間は二十一時を過ぎた頃ですわ」
「なるほど。準備出来るのは、あと二か月と十日ほどってところかしら」
アデルは唇に手を当てて考え込む。思考中の彼女にティナは思わず声をかけた。
「宝石を盗むのは、祝賀会で披露されている時間帯に行うの? すり替えでもするの?」
すり替えるならスパロウに偽物を作ってもらわなければならない。かなり時間がかかるし、参加者の目があるはずだ。一体どうやって盗むというのだろう。
「祝賀会で披露されている間は盗らないわ。監視の目は必ずあるでしょうし、参加者に紛れたとしても困難よ」
「じゃあ、どうやって手に入れるの?」
「うん、そうね。クラリス様のお悩みを解決しつつ、私達ファントムの目的も達成できる方法はね」
アデルはもったいぶって言う。続きが気になるティナとクラリスは、体をアデルの方へ前のめりにしながら言葉を待つ。
「私とクラリス様、入れ替わり大作戦!」
無邪気に告げるアデルは、いつもの微笑を浮かべていたが本当に楽しそうに告げた。
「入れ替わりって、アデルがお嬢様に成りすますの?」
「ええ。もちろん、変装してね。ずっと成りすますわけじゃないけど。成りすますのは祝賀会当日だけ」
アデルは長椅子から立ち上がると、部屋の中をゆっくりと歩きながら作戦を話し出した。その様子はまるで教師が教え子に勉強を教えているかのようだ。
「私とクラリス様が祝賀会当日に入れ替わるの。変装した私は祝賀会の途中で失踪。おそらくボゴール氏は、動揺しながらもナリルの涙はちゃんと元の場所に戻すはず。もし、戻さなかったとして屋敷に置いたままでも問題ないわ。スパロウかローランにボゴール氏を尾行してもらって、ナリルの涙の保管場所を探し当てる」
部屋にはアデルが歩く音と彼女の声だけがあった。
「あくまで私が扮したクラリス嬢失踪は陽動。そのため祝賀会当日の朝刊に、怪盗ファントムの名前で犯行予告を出す。ボゴール氏の宝石が盗まれると勘違いする可能性を高くする」
「ねえ、その作戦にクラリス様のお悩み解決はあるの?」
気になったティナが聞いてみると、アデルはもちろんと頷いた。
「あるわよ。クラリス嬢は私が成りすましている間に孤児院へ行ってもらう。その後で私が合流したらボゴール氏へ再度、予告状を出す。“あなたの大事なものを交換しよう”って」
「それならナリルの涙を盗む必要は無いんじゃないの?」
交換条件にクラリスを挙げれば良いのではないか。考えたティナはアデルに問いかけた。
アデルはティナの言葉を見通していたように、余裕のある微笑みを浮かべている。
「クラリス嬢を金銭要求の対価にしてお金が払われたとしても、お嬢様からすればどのくらい愛されているかはかりにくいじゃない? ナリルの涙を盗むことで、どちらかだけ返してあげるから選んでくださいと言えば、お父様がどう思っているか分かりやすく見えるでしょう? 大事な亡き妻の形見と娘のどちらを選ぶのか。まあ、結果は見えているけど……目に見えればクラリス様もご納得されるでしょう」
「確かにその方法ならわたくしにもお父様のお気持ちがよく伝わると思いますわ」
クラリスの不安そうな、少し期待の混じった表情をアデルは見つめながら話す。
「それとね、個人的に私は人を、金銭を得るための交換条件にしたくないの。野盗と変わらない盗みはしない。きちんと意味を持って盗むのがファントム流だから」
アデルの言葉にティナは納得した。彼女がクラリスを盗むのは、父の娘を想う気持ちを試すためで、ナリルの涙を盗むのは当初の予定通り、ジェシーを救出するために必要な資金を得るためだと。
「作戦について詳しく話すのは今度にします。今日はもう遅いですし、まだ灯りがついていると不審に思われてしまうかもしれません。私は決行の日まで主要区で過ごします。夜になったらここへ来るので、また縄を窓から垂らしておいてください」
アデルはクラリスに説明しながら窓に行き、縁に手をかけた。
「あと私にお嬢様の事について、どんな些細なことでも良いのでたくさん教えてください」
「ええ、もちろんですわ」
アデルは窓に足をかけて半身を外に出しながら、部屋にいるティナへ顔を向ける。
「ティナ、色々とありがとう。君がいなかったらこの作戦は思いつかなかったわ。必ず成功させましょう。それじゃあ、おやすみなさい」
言うや否や彼女はするすると縄を使って下へ降りていき、あっという間に闇の中に消えていった。
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