File14:Side Phantom
ティナは夜になるのを今かと待ちわびていた。クラリスの悩みを聞いた次の日、いつも通りに仕事をこなしながら良い案がないかと考えていたが、全く思いつかない。アデルならば答えを出してくれるだろうと思い、ローランに言伝を頼んだ。そして今晩、彼女の返事がローランによって運ばれる。
ティナはいつものように人目を忍んで、ローランとの待ち合わせ場所に急いだ。辺りを警戒して人の目がないことを確認してから、茂みに向かって声をかける。
「ねえ、いる?」
「ああ」
葉同士がこすれ合う音と闇の中で草木が揺れる。いつもならローランは茂みの中に隠れて動かないはずなのに。怪訝に思うティナの前にひょっこりと現れたのは、月光を浴びながら美しい白銀の髪をたなびかせるアデルだった。
「アデル!」
ティナは声を抑えつつも、驚きを隠せずに彼女の名を呼んだ。すると、アデルはにっこりと笑みを浮かべて、首を傾けた。
「来ちゃった」
「ティナの伝言をアデルに話したら直接行くって言ってな」
アデルの隣にはローランが立っている。二人とも茂みに隠れていたせいで、服や髪に葉を付けていた。
「ティナ、早速なのだけどクラリス様にお会いしたいの」
「ええっ? こんな夜遅くに客人っていうのは不自然すぎるよ」
すると、アデルは首を横に振る。彼女の美しい髪が頭の動きに合わせて揺れた。
「私はお部屋に侵入……いえ、お邪魔させてもらうの。君にはその手引きをして欲しい。もちろん、クラリス様の許可を取ってね。叫ばれたら困るから」
「部屋に入るってどうやって? クラリスお嬢様のお部屋は二階だよ」
「これを持って行って部屋から垂らしてくれればいい」
アデルが渡したのは頑丈な縄だった。
「これを部屋の中でも重い調度品に括りつけて。合図を貰ったら私がのぼるから」
「大丈夫なの?」
「ええ、木登りと同じ要領じゃないかしら。ローランはここで待機していて、君より私の方が身軽だから」
アデルには悪気はないが、少し棘のある言葉にローランは呆れたような、諦めたようなため息をつく。
「へいへい、二人とも気をつけて」
*
ティナは早速、屋敷の中に戻りクラリスの部屋の前まで向かった。先ほど外から確認した時は、クラリスの部屋の灯りはついていたからまだ起きていると思うが、夜中に訪ねたことはないので開けてくれるだろうか不安に思いながらも、ティナは扉を叩いた。
「お嬢様、ティナです」
すると、中からくぐもった声でどうぞ、と返ってきた。
「失礼いたします」
ティナが部屋に入ると、寝台の上に座って本を読んでいたクラリスが顔をあげた。
「珍しいわね、ティナが夜中に来るなんて。どうかしたのかしら?」
クラリスはいつものように笑みを浮かべてティナを歓迎してくれた。彼女はクラリスの正面に立つと、アデルから預かった縄を握り締める。
「クラリスお嬢様。この前言っていたあたしの知人なんですけど」
「ええ。その方がどうかなさったの?」
「クラリスお嬢様に会いたいと言っています、今晩」
すると、ティナの時と同じようにクラリスが驚いて目を丸くする。大きな目がさらに見開かれた。
「今晩ですって?」
彼女は縄をクラリスの目の前に持ち上げて見せた。
「これです。窓からこれを垂らして部屋に入ってきてもらいます」
「まぁ……盗賊みたいね」
「盗賊です」
「えっ」
ティナの言葉にクラリスは声を失う。
「ど、どういうことかしら?」
「申し訳ございません、クラリスお嬢様。詳しくはアデルから話してもらいますが、あたし達は盗賊なんです。ごめんなさい、あたしは貴女を利用しようとしているんです」
ティナはクラリスに向かって深々と頭を下げた。一か八かの賭けだった。
「嫌だったら言ってください。あたしはすぐに屋敷を去りますし、ボゴール家に危害を加えません。でも、クラリスお嬢様を騙したまま、作戦を遂行できません」
彼女はどうしてもクラリスに真実を告げてから、怪盗ファントムとして動きたかった。黙っていれば必ず彼女を傷付けてしまう。それだけは避けたかったのだ。
クラリスに話しても良いかと尋ねた時のアデルは、どこか嬉しそうに頷いて“やっぱり君は優しいね”と言っていた。ティナの個人的な気持ちのせいで、作戦を一から練らないといけなくなるかもしれない。それでも良いのか、と言ったティナにアデルは笑って答えた。
“誰一人嫌な気持ちをさせずに盗めるならそれに越した事は無いから”と。
嫌われる覚悟で白状したティナに降りかかったのは、クラリスの意外な言葉だった。
「ずっとティナはわたくしに何か話していない事があるって思っていたわ。本当は盗賊のお仲間だったのね。でも、これでわたくし達、隠し事が無いわね」
意外にもクラリスは落ち着いていた。もっと怒鳴られるか、物を投げつけられるかを想像していたので拍子抜けた。
鈴を転がした美しい声音でクラリスは笑う。
「クラリスお嬢様……怒ってはいないのですか?」
「怒る? どうして?」
「どうしてって……あたしは盗賊なんですよ? それもクラリスお嬢様の家から物を盗むために侍女になったんですよ。あたしは貴女をずっと騙しておそばに居たのですよ!」
すると、クラリスは感情を昂らせるティナを落ち着かせるように肩に手を置く。
「ティナは根っからの悪人じゃないもの。期間は短いけれど、わたくしがしっかり見て来たから保証できる。貴女が盗まないといけない理由もちゃんとあるのでしょう? 自分の利益の為だけに動くような子じゃないわ。こう見えてもわたくしも商人の端くれ。人を見る目はあるつもりよ」
クラリスは言うとティナをぎゅっと抱き締める。彼女の体温と香りがティナの心に届く。
「ずっとわたくしを騙しているようで心苦しかったのでしょう?」
「クラリスお嬢様……」
「貴女がアデルって方とわたくしを会わせようとするのも、わたくしの悩みを解決出来ればという気持ちからなのは伝わるわ。さあ、ティナ。その方をここにお呼びして」
クラリスはティナの顔を覗き込み、頷いた。ティナはぎゅっと縄を手にする力を強くすると、クラリスに頷き返し、部屋で一番重い家具を探す。
目についたのは寝台の近くにあるオーク材のキャビネット。キャビネットの足に縄を外れないようにしっかりと結ぶ。そして、窓を開けて縄の先を垂らした。ティナは部屋に置いてある燭台を手に取り、窓の外にある庭へとかざす。合図である。暗闇の中、人影が茂みから出てくると、するすると縄をのぼっていく。
さすがはアデルである。ものの数分のうちにのぼりきってしまった。
「はぁ、やっぱり疲れる」
自分の体重を細い二本の腕で支えながらのぼるのだから、相当の運動量になる。その証拠にアデルは息が上がっていた。
ティナは部屋にある水差しを手に取ると、空いているグラスに水を注ぐ。息をきらして床に座り込むアデルに手渡した。
彼女は受け取った水を美味しそうに飲み干すと、先ほどの息切れはすっかりとおさまったようだった。スカートの裾をつまみ、片足を一歩下げて膝を曲げる令嬢の挨拶をクラリスにしている。服に木の葉や枝がついていなければ、完璧な令嬢に見えただろうに。
「お初にお目にかかります、クラリス・ボゴール様」
アデルの少し擦れた特徴的な声が懐かしいと感じる。
クラリスは驚きつつもアデルに礼を返す。
「はじめまして、アデルさま。なんてお綺麗な方なんでしょう」
「ふふっ、それはクラリス様の方がお美しいですよ。なんて言ったって“ルヴィアイの薔薇”と呼ばれているお方ですから」
アデルは辺りを見渡し、適当な長椅子に腰掛ける。
「早速ですが自己紹介をさせていただきましょう。私はアデル、そこのティナとは仲間です。私達は二代目怪盗ファントムとしてボゴール家で最も価値のある宝をいただくために潜入しています」
丁寧に自己紹介をするような盗賊がいてたまるか、とティナは思ったが、自分も同じようなことをしているので苦笑いしか浮かべられない。
「何故、価値の高い資産を盗む必要があるのかというところは、大切な仲間を取り戻すためにお金がたくさん必要だからとお答えさせていただきます」
「あの、わたくしにそこまで赤裸々に話して大丈夫なの?」
クラリスが困ったように眉を下げてアデルを見る。彼女の盗賊らしからぬ態度にクラリスの方が不安になっているようだ。
「クラリス様は今の段階では、本当に私達が敵か、そうじゃないか見極められないでしょう。君の悩みを解決するには、信頼を私達が勝ち取ったうえで作戦を遂行しないと意味がないから」
それに、とアデルは続けた。
「君の悩みを解決するついでの方が私達にとっても勝率が良いの。だから信頼は必ず勝ち取らないといけない。その為に私は素性を明かしているところです」
「そう……アデルさまのお家はどこなの? どこに住んでいるの?」
「ルヴィアイ教区にある孤児院です。私はそこの院長、ティナは職員として働いています。二人ともその孤児院出身でして」
すると、クラリスはティナの方を振り返る。
「ティナ、ハムリンというお家の出というのは嘘なの?」
「……はい」
罪悪感に苦しめられているティナは、眉を潜めて頷いた。
「そうなの。ずっと嘘をついていて苦しかったわよね」
クラリスはそんなティナを責めることなく、労わってくれた。ティナの葡萄酒色の瞳に自然と大粒の雫が浮かび上がる。
「アデルさま、わたくしは貴女を信用します。わたくしに出来ることがあれば協力させていただくわ。その代わり、わたくしの悩みを解決してください」
クラリスの言葉にアデルは微笑を浮かべて頷いた。
「ええ。交渉成立ですね」
長椅子に座って不敵に笑うアデルは、とても美しかった。
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